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ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

兵庫県 但馬の小京都出石 散策 その3

2019年11月30日 | 旅行
「出石家老屋敷」から出て来ました。





地図の黄色の線に沿ってウォーキングします。





今は、②番の家老屋敷にいます。


家老屋敷の道を挟んですぐ前には、「勝林寺」がありました。





本堂





ここにも親鸞聖人像





隣の福成寺と同じで、いざというときは城壁の役目があったのかも?……。






ここから東へ歩きます。


出石城跡の正面にやって来ました。





少し前に見えている木の橋は”登城橋”、奥の櫓は”西隅櫓”です。



上の地図のC地点にあったのは、”旧出石町役場玄関車寄せ”です。





この前を通り、城跡の東側を登ろうと思います。





紅葉が素敵でした。








この有子橋を渡って、城跡に入りました。(上の地図のDの位置にあった橋)





工事をしていたので、作業が中断するのを待って渡らせてもらいました。





ここからすぐのところを左に折れると、「諸杉神社」があります。








ここも、黄色、赤のグラデーションが綺麗でした。


諸杉神社の境内にあった「川下神社」です。











静かで穏やかな境内












諸杉神社の拝殿にやって来ました。





仙石氏の城主時代は、参勤交代からの帰国に際して、城主自ら参拝するのが習わしであったと言います。




ここから、次の観光場所の「出石城跡本丸 感応殿」に向かいます。











この鳥居をどんどん上がっていくと、稲荷曲輪(有子山稲荷社)があります。


そのずっと上には、「有子山城跡」がありました。

標高321mに遺された戦国時代の山城です。

天正2年(1574年)に、但馬守護山名祐豊(すけとよ)によって築かれました。





(家老屋敷に展示されていた有子山城の写真……、東西約740m、南北約780mもある大城郭です。)


321mの上まで登ると、出石を遥か遠くまで見晴らせる絶景が見れるそうです。

(片道1時間、見学時間も入れて往復2時間半もかかるので残念ながら諦めました。)

















本丸跡までやって来ました。











前に、「感応殿」が見えます。
















兵庫県 但馬の小京都出石 散策 その2

2019年11月28日 | 旅行
今から、「出石家老屋敷」の中に入ります。





案内図の順路に沿って見学しました。





出石城下図








外の風景……、入って来た長屋門の方を見ています。





大名行列の諸道具が並んでいました。





”白熊”とあります。


”二本道具”





この出石では、江戸時代の所作をそのまま伝承して、”大名行列槍振り”をつづけているそうです。

現在も11月3日に開催される「出石お城まつり」で披露されます。



右が”小白鳥”、左が”仙石家の家紋”です。





小白鳥と黒鳥毛





右が”黒鳥毛”、左が”鏡槍”……。





槍振りの写真





鞍・鐙













家老がおられました。





仙石家といえば、歴史通には”仙石騒動”でよく知られています。

文政7年(1824年)、江戸参勤の途中で発病して急逝した藩主の仙石政美(せんごくまさみつ)の後継を巡って、主席家老の仙石左京と老臣たちが9年間に渡って対立し争いました。

これが幕府の知るところとなって、天保6年(1835年)、左京以下31名の藩士は断罪されて、仙石氏は5万8千石から3万石に減封されます。

(その後に、この話が講談や歌舞伎で取り上げられ有名になりました。)





”隠し二階”の階段





この階段を2階から見たもの





隠し2階は、12畳と7畳の二間ありました。

敵からの襲撃を防いだり、秘密の会議に利用したそうです。

2階に上がったのち、階段を上に引き上げて天井板で隠してしまい、下から見てもまったく二階がないように見せかけました。


二階の部屋











”ここに座ってみてください”と書かれていました。





会議中でも、座ったまま、人の出入りを見通すことができるようになっています。

(丸窓の効果が分かりますか……、こんなところにも工夫がなされていました。)


棒術の免状





この押し入れは、なにか分かりますか。





押し入れの棚は強く出来ていて、足場として屋根づたいに出入りでき、外へ通じるようになっていました。

いざというときに逃げ道であり、隠密などの出入り口になっていたようです。


下に降りて来ました。




















白亜の土塀と長屋門のあるこの家老屋敷は、内堀の近くで、上級武士の居住区であった内町通りに面して建っています。


家老屋敷(左京屋敷)を見学できて、素敵な経験でした。











兵庫県 但馬の小京都出石 散策 その1

2019年11月26日 | 旅行
11月21日、兵庫県の但馬方面へ1泊2日の小旅行に出かけました。


播州赤穂駅から姫路を経由し、播但線に乗り換えて和田山駅まできました。








ここで山陰本線豊岡行きに乗り換えて豊岡駅に到着します。

(ここまで、播州赤穂駅から3時間半かかっていました。)





さらに、ここから30分待って、バスに乗りました。





約30分で出石の停留所に到着します。





約4時間半の長い旅でした。

(私は、運転免許証を返して、電車やバスを使って旅行しています。それも、また、楽しいですよ。)





地図の黄色の線に沿って、番号順に散策しました。

出石のバス停を出発し北へ歩きます。


地図のA地点にやってきました。





出石の蕎麦屋さんです。

出石の蕎麦は有名です。

ここを曲がって、東へ歩きました。








前に見えているのが「福成寺」です。





寺の境内に入らせてもらいました。





かっての陣屋の表門を移築したとのことです。


本堂だと思います。











この寺でも、紅葉が綺麗です。








親鸞聖人御像





黄色が素敵でした。





この寺は、城を防御する出城のような印象を受けました。

建物にそのようなにおいを感じます。



ここから、次は「出石家老屋敷」に向かいます。


通りを少し東へ歩いて、福成寺の方を振り返った風景





通りをさらに東へ歩きました。





先の方に、家老屋敷の長屋門が見えてきました。





長屋門の前にきます。





門をくぐって中に入りました。


長屋門の内部の右側に展示されています。





”屋台”

この屋台は今から180年から200年前に造られたもので、当時は城下の各町々に同じような屋台がありました。

氏神の祭礼には各町内から美々しく繰り出し妍を競いながら練り歩いたそうです。

明治9年の大火によって殆どの屋台が焼失してしまい、現在ではこの屋台のみ残っています。






今から、家老屋敷の中に入って見学したいと思います。

























兵庫県丹波篠山 城下町散策 その12

2019年11月23日 | 旅行
今、能楽資料館の木の椅子に座って休んでいました。

これから、河原町妻入商家群の東の端まで最後のラストスパートです。





次の地図の「能楽資料館」にいます。





能楽資料館のすぐ東隣りには「小林家住宅」がありました。





明治12年に建てられたものです。

2階には、虫籠窓の上に小庇、外壁両端には、袖ウダツ、1階には下屋庇に格子戸が付いています。

格式の高さを感じる住宅でした。


道の反対側にある本屋さん。





本屋さんも建物が素敵でした。


小林家住宅から南北の小さな道を挟んで東隣の”花格子”





蕎麦のお店のようです。


南北の小さな道の南側の風景





北側の風景





北側の突き当たりには、「観音寺」がありました。


妻入商家群の通りを、少し東へ歩くと、”NIPPONIA"の暖簾が見れます。





2軒並んでいますね。

古民家をおしゃれにリノベーションしたホテルだそうです。


今の時刻が16:20ぐらいで、私の家まで帰るのにここから約4時間はかかります。

ちょっと急がなければいけません。





この通りを東へ歩きます。





なにかいわれのあるような建物ですが、立ち入り禁止で、どういう住宅かわかりません。





陶器のお店でしょうか?……………。





地図のW地点の風景





目の前の店は「ハクトヤ」さんです。

色とりどりの種類の雑貨や器、カバンに衣類が並んでいました。

好きな人には、1日でも滞在できる店のようでした。


時間がありません、東へ急ぎ足で進みました。























ようやく、河原町妻入商家群の東の端に来たようです。


そこで出会った醤油と味噌を製造する店のようです。(地図のX地点)





歴史を感じる古い店のような雰囲気でした。


この店を最後に、”京口橋バス停”に急ぎます。

予定したコースの全部はウォーキングできませんでした。


京口橋からバスに乗りJR篠山口駅に戻ってきました。

(今日の1日は、よく歩きました。)






この駅から播州赤穂駅まで、約3時間の旅です。




















兵庫県丹波篠山 城下町散策 その11

2019年11月20日 | 旅行
今、河原町妻入商家群の入り口にいます。





地図のV地点の道路を挟んで反対側です。








ここから、河原町商家群を見ながら歩きたいと考えています。


ちょうどV地点に、”鉾山の保管庫”がありました。





京都の祇園祭を思わせるような9基の鉾山が、宮入りするそうです。

下河原町の鉾山が”鳳凰山”と言います。(河原町は”三笠山”、上立町の”孔雀山”、下立町の”高砂山”、…………。)

1716年から35年には、今ある9基の鉾山が揃ったそうです。



この通りを東へゆっくり歩きました。





早速、右手に「西坂家住宅」がありました。





屋号を「綿屋」と言います。

元は綿花栽培、醤油屋を営んでいました。

主屋は中二階建てで、入母屋造妻入です。

間口は9間あり、篠山伝建地区ではもっとも広い規模を持っていました。

篠山城築城後の1620年につくられた、この河原町妻入商家群では、5mから8mほどの狭い間口と奥行きが非常に深いのが特徴です。

”妻入”というのは、屋根の三角形の部分が道に向かって建っている形を言います。



道の左側の風景です。”妻入”が並んでいました。





西坂家のすぐ東隣の「川端家住宅」





川端家は間口が9間半の入母屋造平入りの町屋。

(”平入”は、屋根の三角の部分でない方が道に向かっている形です。)

間口が広いことは隣の西坂家に次ぎます。



道の反対側の妻入





ちょっと、別世界にきたような”江戸時代”を想わせる建物が並んでいました。

ゆっくり楽しみながら歩こうと思います。



右側の「栄亀堂」は、町屋カフェです。





江戸時代から和菓子屋さんを営んでいたそうでした。












古い店が並んでいました。









すぐ先に「丹波古陶館」が見えてきました。





古陶館の正面に来ます。





この建物は、江戸時代そのままの姿です。

館内には、丹波焼の創成期から江戸時代末期に至るまでの約700年間に作られた代表的な品々を展示していました。



このすぐ東に「能楽資料館」があります。





藩政時代からの篠山地方に伝わる資料が展示されています。

さらに、中世から近世にかけての能面、装束、楽器などが展示されているとのことでした。



能楽資料館の前に木の椅子があったので、ここに座って休憩しながら町の雰囲気を味わいたいと思います。