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ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

兵庫県丹波篠山 城下町散策 その10

2019年11月18日 | 旅行
地図の黄色の線に沿って、番号順に観光ポイントを巡ってウォーキングをしています。





今は、篠山城跡の南東のコーナーにある外濠にいます。





このコーナーを濠と反対側に曲がって、東へ歩きました。(地図のN地点)


以前に見た、箱寿司の店の前を通ります。





(箱寿司は、大阪寿司とも言われ、木製の型にエビや魚の切り身と酢飯を重ねて詰め、押して四角い形に整える寿司です。)



東へ「河原町妻入商家群」を目指して歩きます。





少し歩くと、右手に素敵な古民家がありました。





”Jasminetima"と木の洒落たプレートにありました。

ここは、篠山の人形ギャラリーとランチ&スイーツの古民家カフェのようです。本日休業になっていました。

(神戸から篠山へ移り住んだ人形作家が営んでおられるお店だそうです。蔵に人形ギャラリーがあるそうでした。左手に見えている蔵でしょうか?。)



ここからさらに東へ歩きます。

少し歩くと、右手に、「小南家長屋門」がありました。(地図のU地点)











もう少し、東へ歩くと妻入商家群に着くと思います。


架黒岡川にかかった小さな橋を渡ります。





橋を渡って、すぐに最初の”妻入商家群”が見れました。





この道を、さらに東へ歩きます。








地図のV地点の交差点にきました。





この右手の横断歩道を渡ると、河原町の商家群があります。





入り口の休憩所にあった観光案内の説明板です。















兵庫県丹波篠山 城下町散策 その9

2019年11月15日 | 旅行
これから篠山城跡の本丸、二の丸に入ろうと思います。





この場所は、鉄門跡(くろがねもんあと)になります。

昔の絵図によると、櫓門が設けられていました。

鉄門という名称から推測すると、門扉には鉄が貼り付けられていたのでしょうか?。

向こうに大書院が見えます。








大書院の入り口に来ました。





ここまでで、相当の時間を浪費したので、入って見学する時間がありません。


大書院の裏の方へまわりました。





内濠内の石垣に座って大書院の裏側を見ています。


この場所が二の丸で、右手の奥が本丸です。





1609年、徳川家康は、松平康重を関東の笠間城から丹波国八上城に移し、そこで新城の築城を命じました。

大坂の豊臣氏をはじめ、西国の諸大名の押さえとするためだったと推測されます。

縄張りを担当したのは、城造りで有名な”藤堂高虎”でした。


城は、内濠と外濠を持っていて、外濠の外まわりは一辺約400m のほぼ正方形で、東、北、南の門には、”馬出”を設置して守りを固めていました。

(馬出は、城門前の濠対岸に設けられた小さな郭です。)





右手の奥の方が、天守台のあった場所かも?……。



二の丸内を少し歩くと、城で一番大切な井戸がありました。





井戸の中を覗いてみました。





井戸から見た大書院





失火により失われていた大書院は、平成12年に復元されました。




これから、「河原町妻入商家群」の方へ行こうと思います。(今は15番の大書院)





鉄門跡を通って、右に曲がり内濠沿いに歩きました。











この先の方を右に曲がります。





見えているのは、東外濠です。





この外濠沿いの道を歩きました。





なにか、意味ありげな石碑?…………。





ハスのたくさん浮かんだ南外濠へきました。






このハスを見ながら、少し休憩します。(城の外濠の南東のコーナーのところです。)










兵庫県丹波篠山 城下町散策 その8

2019年11月13日 | 旅行
これから、”鳳鳴酒造 ほろ酔い城下蔵”の店内に入ります。














創業寛政九年(1797年)です。


どのお酒を購入しようか迷いましたが、店の名前の”鳳鳴”の辛口にしました。

この篠山市には、”鳳鳴”の文字がいろいろ使われていると感じていました。

(ちなみに、高等学校の名は”篠山鳳鳴高校”です。)

鳳鳴の意味を調べてみると、中国の隋末唐初に、梁政権を樹立し自立した蕭銑(しょうせん 群雄)が建てた私年号とあります。

「鳳」は、徳の高い天子が現れた時に出現するとされる中国の伝説上の鳥らしいです。

ところで、篠山市は、最近に”丹波篠山市”に市の名称が変更されました。

話がとんでもない方向にいってしまいました。



酒蔵が見学できるそうです。

蔵見学コース入り口








釜場








酒米を蒸していた大きな釜、木製のこしき、踏み桶、にない桶等々…………。





商品紹介








この辺りに来ると、クラシック音楽が流れているのに気づきました。

(そういえば、モーツアルトを聞かせてお酒をつくる話を、聞いたことがあるのを思い出しました。)





麹室がありました。





中を覗くと、











”清酒鳳鳴の出来るまで”








酒蔵を出て、店に戻る途中に、





句碑がありました。

”鶯の来るや きのうの いま時分  七十翁 武陵”

西尾武陵は明和三年(1766年)丹波国大山村に生まれ、代々家業として伝わる酒造業に携わりながら好きな俳諧の道を極めました。

ここは、西尾家というのだそうですが、武陵の時代に分家し篠山城下町で、酒造業をはじめ現在に至っているとのことです。


店から外へ出ました。





この”ほろ酔い城下蔵”の表玄関は、築200年以上前の西尾邸で、江戸期の建物そのままの雰囲気だそうです。


好きなお酒を買って、ウキウキしながら、店の前の通りを、東へ歩き始めました。(14番が鳳鳴酒造)





少し歩いたところの左手にあった料理旅館の「玉川楼」





この建物の前にきた時、忘れ物に気づきます。


篠山城跡を抜かして、観光コースを歩いてしまいました。

大幅に時間のロスになりますが、篠山城に戻ることにしました。


焦りながら、急ぎ足で戻ります。


”うお茂(鯖寿司)”(地図のT地点)で、左に曲がって、市役所の東側を歩きます。





市役所の南側の道に入りました。





もうすぐ、篠山城に着きます。





北外濠











鉄門跡(くろがねもんあと)のところまで来ました。





向こうに見えているのが、復元された大書院(おおしょいん)です。










兵庫県丹波篠山 城下町散策 その7

2019年11月11日 | 旅行
大正ロマン館から出てきました。





次の地図の黄色の線に沿ってウォーキングします。





(今、11番の大正ロマン館です。)


ここから、北へ歩きます。





篠山は、クリでも有名なところです。





美味しそうな焼き栗が売られていました。

ここら辺りに来ると、観光客もたくさんいます。

もちろん、外国の言葉が聞こえてきました。








上の地図のRの地点までやってきました。





前に見えているのは、ぼたん鍋の店のようです。



この交差点を右に曲がって、東に歩きます。





観光客が、すごく多くなってきました。





この通りは青山通りというようです。





歩いていると、町屋の前で、有機農法でつくった農産物を売っている出店に出会いました。





何かいいものがないか、見せてもらって、ニンニクを購入しました。





画廊のようなかんじですね?……………。


少し歩いて、この先を左に曲がって、春日神社への道に入りました。








今日は、いい天気で、ウォーキングしていても楽しいです。



春日神社にきました。





境内に入らせてもらいます。

すぐ左手にあった天満宮








”青山忠良公顕彰碑”





拝殿の前にきました。






能舞台です。





1861年、時の藩主青山忠良が建立寄進したと言われています。

建設当時は、箱根より西では、もっとも立派な能舞台だと言われたようでした。


150余年の歳月を経た現在も、元旦午前0時すぎに”翁”、春に”春日能”が奉納されるそうです。

(機会があればぜひ見にきたいものです。)


ここから、次の観光ポイントの「篠山歴史美術館」に向かいました。


前に見えているのは、”特産館ささやま”です。(地図のS地点)





この通りを南へ歩いていきました。





「篠山歴史美術館」が見えてきました。





1891年(明治24年)に建てられた木造裁判所を美術館にしたようです。

(中に入って見学する時間がないのが残念です。)


入り口の付近を南側から見たもの





建物の南側を見た風景





素敵な木造建築だと思いました。


美術館の前を南へ歩き、次の四角を左に曲がりました。





前に見えているのは、鯖寿司で有名な”うお茂”です。(地図のT地点)

(日本海のサバを京に運ぶ鯖街道にあたるようです。)


この通りを東へ歩きました。


(今のところ、地図のハイキングコースを間違わずにきちんと歩けているようです。)





通りの右側に、素敵な建物が見えてきました。





建物の上の方にかかっている木の看板に”鳳鳴酒造 ほろ酔い城下蔵”とあります。


ここは、時間がなくても入ってみたいです。










兵庫県丹波篠山 城下町散策 その6

2019年11月09日 | 旅行
安間家史料館から出てきたところです。





次の地図の指定のコースに沿ってウォーキングを続けます。





(⑨番の武家屋敷群の赤丸の所に安間家があります。)


この通りを北へ歩いていきました。


左手に「武家屋敷 中村家があります。





道を挟んで反対側にも「武家屋敷 城戸家」





その北隣りが「武家屋敷 原家」








きちんと、木の表札に”武家屋敷”と書かれています。






ここから、通りの先の方を見通しました。(上の地図のQ地点の風景)





いくつかの武家屋敷が、道の両側に並んでいました。


最初の町割が、現在も残っていて、間口は平均8間で奥行き25間あったそうです。


天保元年(1830年)に火災があり、大部分が焼失したといわれています。

復興に際して屋敷は道路より六尺後退させ、火除地をつくって火災に備えたそうです。

(今でも道路と土塀の間に犬走状の空き地を持っているのは、これに由来しています。現在もこの空き地がありました。)


この通りは、武家屋敷の面影をよく残していると思います。



さらに北の方へ歩いていくと、左側に「武家屋敷 佐藤家」がありました。





その隣の「武家屋敷 鈴木家」





この通りをぬけて、右に曲がりました。


曲がって少し行ったところの右手で、クリを販売していました。





普通の店舗じゃなくて、工場のような感じです。

”柄杓一杯 100円”とあります。


私は、こういうのが好きです。

(安いのは、少し傷ついたクリを販売しているからだそうです。)


三百円で購入しました。



この通りを東へ歩いていくと、上の地図の⑩番の「青山歴史村」がありました。














旧篠山藩主青山家の別邸で、現在は、江戸期の歴史と文化の史料がたくさん展示されているそうです。






ここを過ぎて、左に曲がり、北へ少し歩くと、右手に「大正ロマン館」が現れました。






この中に入って、飲み物でものみたいと思います。

(土産物を販売していて、レストランもあります。)





1923年(大正12年)に篠山町役場としてはじまった西洋館


















ここで、少し休憩します。