ウォーキングと旅行でのひとり言

姫路市妻鹿 黒田官兵衛ゆかりの地を歩く その1

7月のはじめ、かねてから歩いてみたかった姫路の妻鹿と、網干に行きました。

播州赤穂からJRで姫路駅にやってきます。





姫路駅前です。

正面はるか遠くに、姫路城が望めました。

ここを左方面に行くと、山陽電車の姫路駅があります。


山陽電車で、妻鹿駅まで行きました。





妻鹿駅についたところ。





次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩きます。





若い頃に、姫路の高等学校に勤めていたのですが、この妻鹿を歩いて観光することはありませんでした。

今回、黒田官兵衛ゆかりの地を歩くということで、たいへん楽しみです。


妻鹿駅を出て、市川沿いに歩きます。


最初に、「黒田職隆廟所」を訪ねようと思いました。





(地図のAの印の場所の風景)


少し行ったところで、右へ鋭角的に曲がり坂を下りました。


地図のBのところから見た風景です。





大きな立派なお宅です。


ここを道なりに行くと分岐点にきます。

地図のCの地点





「まち歩きガイド」の観光MAPを参考に歩いています。

その地図には、案内看板の位置まで記載していて、今、前に見ている案内看板もありました。


山陽電車沿いに少し歩き、左に曲がります。





ここを右に曲がります。





(ここが、地図のDの場所です。)

案内看板が要所にたくさんあるので、道に迷うことがないようでした。


この曲がり角のところで、住宅の庭に素敵なお花が咲いています。





赤っぽい紫陽花ですね。

紫陽花は、いろんな色の花……、花の形も様々です。


「黒田職隆廟所」は、ここから近いようです。





右へ曲がる場所(地図のEの地点)に、案内看板と「筑前さん参道」の石碑が…………。





これを、奥へ少し歩くと、廟所に着きました。











お参りさせてもらいました。





黒田職隆は官兵衛の父です。

孫の黒田長政は、初代の筑前福岡藩主になりました。

地元では、「筑前さん」と親しまれているようです。

豊臣秀吉は、黒田職隆の誠実なことを知り、重用しました。

元日に家臣たちに盃を与える際には、まず職隆に与えます。

出陣の時は、常に城の留守居を命じたといわれています。


ここから、次の観光ポイントの「元宮八幡神社」を目指しました。


奥に入ってきたところまで戻って(E地点)、東へ少し歩きました。


このすぐ先を左に曲がります。





鳥居をくぐって、まっすぐ歩きました。





しばらく歩くと、「元宮八幡神社」につきます。





のちに行く「松原八幡神社」の元宮で、黒田二十四騎のひとりの母里太兵衛(もり たへい)の生誕の地碑があります。





母里太兵衛は、妻鹿の国人曽我一信の子としてここで誕生しました、

槍術に優れた剛力の勇将として知られ、黒田軍の大将を務めます。

二十四騎の中でも特に重要視された黒田八虎の一人でした。


彼は酒豪で、福島正則から、大杯の酒を飲み干し「日本号の槍」をせしめます。

そのことで、民謡の黒田節のモデルになった人でした。

(酒は飲め飲め飲むならば……………………)








ここまで、妻鹿駅に着いてから約45分経過しました。


ここで、少し休憩します。

今日も、しっかりお茶を飲みます。
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