ウォーキングと旅行でのひとり言

秀吉の城下町 長浜 散策 その5




大通寺の寺内の広間附玄関の前にいます。

右前方に見えるのが大通寺本堂です。









黄色の線に沿って番号順に歩きます。


山門の西側にある別の門から寺の外へ出ました。





「大通寺台所門」になります。

長浜城にあった大手門の遺構です。

門にある扇金具に、天正16年の銘があることにより、山内一豊が藩主であった時の大手門だと推測できるそうです。

大通寺の庫裏(台所)の正面に置かれているのでこの名前になりました。

山門が建築されるまでは、山門の位置にこの門があり、山門ができたのちは、現在の位置に1805年に移築されました。


台所門の前にある焼き鯖そうめんの店の「良太郎」です。





ガラス戸がおしゃれですね。何時代の建物の雰囲気でしょうか?






ここから寺の中に戻り、西側から出ました。

次に「知善院」を目指します。


約10分ほど歩いて知善院に着きました。





表門です。長浜城の搦手門の遺構。

戦国時代末期に、秀吉が長浜城を築城した時に、城の鬼門を守らせるために小谷城下から移されました。





本堂には、阿弥陀三尊像が安置され、その左手には、大坂城落城の時に持ち出された秀吉の木像が安置されているそうです。


ここから、ハイキングMAP の指示通り「曳山博物館」を目指します。


途中にあった「会津屋」です。創業元禄3年。線香、ろうそく、薫香の店。





「叶匠寿庵」カフェ。





この辺りに来て、かって昔来た時のことがうかびました。

米川の流れと小さな石の橋(針屋橋)が素晴らしい風景を作っている場所を思い出しました。

確かこの辺りという記憶だったのですが⋯⋯⋯⋯?

曳山博物館の裏の方を米川が流れています。

そこへ行ってみました。





どうも、この小さな川の遠い前方に、針屋橋があるようですから、その橋からの風景でしょう。

(場所を思い違いしていたみたいです。戻ってその場所を探すのもたいへんなのであきらめます。)


元の通りに戻ってきました。





この通りを先に進むと「曳山博物館」がありました。





秀吉に子供が生まれた際に、町民に砂金を贈り、それを資金に山車をつくったのが始まりと言われます。

秀吉によってひらかれ、大衆文化都市として栄えた長浜でした。

江戸中期には絹織物を中心とする産業が発展します。

町衆が町をつくるのだという自治都市としての気風を育み、その結果、子供歌舞伎に見られる曳山祭りなどの町衆文化が誕生しました。

豪華絢爛な曳山の舞台で、子供が歌舞伎を演じます。


この曳山博物館には4基の曳山を収蔵し、2基ずつ展示されるそうです。


ここから、ハイキングコースからそれてしまいました。

どこをどのように歩いたのかわからぬままに、「安藤家」の前に出ました。





この近くにコーヒーを飲める店を見つけたので、コーヒーブレイクします。
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