ウォーキングと旅行でのひとり言

秀吉の城下町 長浜 散策 その4




黄色の線に沿って番号順に歩きます。

昼食を食べ終わり、二の鳥居をくぐって、長浜八幡宮の拝殿の方へ行きました。





拝殿です。

この後ろに本殿があります。





参拝しました。

いつも思うのですが、2礼、2拍手、1礼だとか、いろいろ神社によって違っていて、難しいですね。

次に、「舎那院」の方へ向かいます。





舎那院は長浜八幡宮の学頭寺でありました。

八幡宮の境内とつながっています。


舎那院の本堂の前に来ました。





遅い紅葉です。(12月の中旬)

平安時代の初期の814年に、空海を開基として創建したとのこと。

16世紀の後半に、度重なる兵火をうけて、堂宇は焼失し、のちに秀吉により再興されました。

ここは、芙蓉の花で有名で、8月上旬から9月上旬にかけて、ピンクや白で、華やかです。

ちなみに、本堂の正面の左右両面に使われている扉は、旧国会議事堂から移設されたそうです。

左のほうに、小さく見えるのは「護摩堂」。


山門を通って外へ出てきました。

(たぶん、ここから入らなければいけないのでしょうね? 苦笑。)





左の石碑に愛染明王、右に阿弥陀如来とありました。

ここの本尊になると思います。

山号は「勝軍山」。


ここから、ハイキングコースを少しショートカットし、大通寺の方へ向かいます。

(JR西日本のハイキングMAPでは、「総持寺」に行くようになっています。遠いです。)



途中にあった店舗、メリヤスとあります。若い人には馴染みがないでしょうね⋯⋯⋯。





「酢長荒物店」の角まできました。





ここを右に曲がると大通寺に行きます。





大通寺の山門が見えてきました。

少し歩いて、山門の前に。





山門は、1808年ごろから造られ始め、細かい彫刻も含めると数十年かかったみたいです。

上層部と下層部の二重門です。

左右に山廊と築地塀が附属。

上層内部は板敷で、中央に須弥壇を設け、釈迦如来、弥勒菩薩、阿難尊者を安置しています。

この山門は、京都の東本願寺の山門を模して造られました。


寺内に入ります。





本堂です。

江戸時代の初期、長浜城内に大通寺は設けられました。

1649年、彦根藩の2代藩主の井伊直孝によって現在地に移転されます。

1657年に本堂が建立されました。伏見桃山城の遺構とのこと。


本堂の右側にある「仏骨奉安忠魂塔」。





本堂の左隣には、「大通寺広間附玄関」があります。





江戸時代の中期(1760年)に建立。

後ろには立派な大広間が続いているようです。大広間も伏見桃山城の遺構。


このちかくにベンチがあったので、少し休憩します。

ボヤッとながめていると、母親に連れられた小さな子が、鳩に餌をやっていました。

たくさんの鳩に追いかけられている子供の姿が、ほほえましいと感じました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旅行」カテゴリーもっと見る