ウォーキングと旅行でのひとり言

岡山の小京都 津山 城東界隈 その2

「作州城東屋敷」の付近からブログを続けます。






この街道の北のほうに用水があるのですが、それより北側が武家屋敷が集まっています。

それに加えて数ヶ寺があります。「上之町」と言います。


絵の場所は東を見ています。ここから、東へ向かってウォーキングを続けたいと思います。





黄色の線に沿って歩きます。



しばらく歩くと、「中之町」にやってきました。


この城下町は「森忠政」によってつくられますが、出雲街道を挟んで南北に町人町が続きます。

最初につくられたのが、「橋本町」、「林田町」、「勝間田町」で、その後に「中之町」、「西新町」、「東新町」が加わりました。





「中之町」の地区の表示板が見えます。時計が付いているのが変わっていると思いました。


どんどん東へ向かって歩きました。





東新町あたりまでやってきたと思います。


城東地区の出雲街道は、いくつか大きく道が曲がっています。(たぶん防御のためだと感じます)

その曲がった箇所のひとつにやってきました。ずいぶん東に来たと推測しました。





「早瀬とうふ」があります。スイーツ感覚のとうふが食べられるそうです。

砂糖は一切使わずに、米麹(甘酒)と合わせることで、ほのかな甘みをだしているとのこと。



ここから西に向かって、もどって行きます。



「作州鎌」の鍛冶屋さんがありました。






昔は、26軒もあったそうですが、今では2軒になってしまったそうです。

ここの品物は優れた切れ味があり、耐久力がある強い鎌だそうです。







東新町付近の風景です。手前の店で「着物体験町歩き」ができるみたいですね。外国人に人気があるみたいです。








「城東むかし町屋(旧梶村家)」にやって来ました。


今から310年前の元禄時代に建てられました。

梶村家は、「茂渡籐右衛門(しげとうとうえもん)」が1767年に津山藩から「札元(今の銀行)」を命じられ、藩札の発行をしていました。豪商です。


中に入って、見学しました。











この洋館は大正の雰囲気です。



この家の、主屋は江戸時代の終わりに、西側の部屋は明治時代に、北側の2階建ては大正時代にと、いくつもの時代にまたがった建物が見れます。





窓ガラスが波うってゆがんで見えます。手づくりガラスで、最近のガラスでは考えられません。大変めずらしいです。











座敷です。天井に屋久杉が使われているそうです。





欄間に注目。変わった模様です。何を表しているのかわかりません。写真は見えにくいですね。








蔵です。東蔵が大正時代、西蔵が昭和だそうです。どっちが東か、中におるときは方向がわかりませんでした。


ゆっくりと見学させていただきました。


各時代に渡る(江戸時代から昭和まで)建物があり、楽しみました。


この家は、間口31.5メートル、奥行き34メートルあります。


外へ出ました。


ここから先は、次のブログで。
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