ムハンマド・ザルクトゥーニ通りからイスティクラル通り、オクバ・ベン・ナフィ通りへとまっすぐ進んで行くと、徐々にお店や地元の人の姿が減ってきました。
と思った頃に見えてきたのは、オクバ・ベン・ナフィ通り沿いにある時計台。
そこを通り過ぎたところを右に折れ、道なりに進んで狭い壁の隙間のようなところを抜けると、
急に目の前が明るく開け、ムーレイ・エル・ハッサン広場に出ました。
左側の白い壁の建物と、右側のベージュの建物の隙間から出ていきます。
下の写真がムーレイ・エル・ハッサン広場
本当にがら~んと広くて、日本ではこれだけ広いスペースというのがなかなかないので、ちょっとビックリ。
地図だと、やや幅の広い道路、くらいにしか思えないのですが、これはまさしく広場です。
そして、向こうの人の多いところは、夢にまで見た大・西・洋
思わず、海へと向かう私たちの足も速まります。
たどり着いた先にあったのは、吹きつける強い海風、荒々しい波音、砕け散る波しぶき、哀愁を帯びたカモメの鳴き声、そしてこの景色。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/dd/a1d58da79c50d83cae379bc496be515a.jpg)
右手の方に、まるでお城のような城壁と建物があり、左には16世紀初めにポルトガル領だった頃の見張り台があります。
なんてドラマチック
これがもし日本の景色だったら、まさに『津軽海峡・冬景色』ですが、私のイメージはシェイクスピアの悲劇。
テレビで初めてこの景色を見たときに、私の脳裏に強烈に焼き付いた印象そのものでした。
本当は、エッサウィラに着いたばかりの頃は、お天気がイマイチなことを少し残念に思っていましたが、ここに来た瞬間「これで良かったんだ」と思いました。だって、シェイクスピアの悲劇には、やっぱり青空よりも、不吉さを感じさせる曇り空、強風、荒波の方がピッタリだもん
ちなみに、右手の方にあるお城のような建物は、ホテルだそうです。地図で見た感じだと、たぶん「オテル・スマラ」ではないかと思います。ここのホテルからの景色がまたまた絶景だそうですが、実は、私には、「ぜったいにここからの景色が見たい 」という場所がありました。事前に地図を見て、その場所のだいたいのアタリはつけてあったので、そちらの方向に向かいがてら、まずは先に食事をする場所を探すことにしました。
・・・つづく。