トレスポ Journey

草野球好きサラリーマンが、どこかに出掛けて撮って来た写真をただ単に個人的な記録として残しておくWebアルバムです

◆2011年8月 南三陸町へ…◆(写真縮小版)

2011年11月10日 21時45分22秒 | 東日本大震災
JR東日本ウィークエンドパスを使って、土日にて、野暮用で福島へ、そしてその合間に、秋にボランティアで行く予定の南三陸町へ、行ってまいりました…




まずは、途中駅で腹ごしらえ…





福島・郡山の学校の校庭です…ブルーシートは校庭の土を削った砂山でしょうか…




途中、少し新幹線で移動…





その車窓です…





福島市街です(新幹線車窓)





福島・伊達付近です(新幹線車窓)





甲子園の常連校、福島・聖光学院です(新幹線車窓)





仙台では牛タンを…




一夜明けて…


宿泊した、宮城・古川地区です…こちらも液状化があったようです





宿泊したホテルと、陸羽東線列車…





車窓です…










小牛田より、石巻線に乗ります…このルートは2ヶ月前と同じです…





列車本数の関係から、とりあえず石巻へ寄ります…
ここから先はまだ不通区間です…





6月以来の再会








周辺は、まだまだ不通区間が…






























海から離れているこの場所でも、ビルの壁の汚れが物語るように、津波は、ジェロニモの足の高さまで来たそうです…





また移動開始です(車窓)











































気仙沼線・柳津にやってきました…




ここから先も、不通です…











代行バスに乗ります…3~4人しか乗ってなかったです





そして、南三陸町到着です…これは、気仙沼線の高架でした…





南三陸町の中心駅、志津川駅です…
個人的には10年ぶりに訪れました。この志津川駅は思い出の駅でした…あまりに変わってしまった姿に言葉がでません…





あまりにも変わってしまってました…





ここには線路がありました…
















水門です





満潮になると水没する、元交差点です…










屈強だったはずの堤防も…















地盤沈下の影響で、こちらも、満潮時になると、海水が浸入してきます…










道路に魚が泳ぐ…





そして、道をふさぐ、黒いかたまり…






















これは、SLで唯一被災した車両かも知れない、南三陸町松原公園に展示してあったC58-16号機です…
マンションの4階にまで到達する、巨大大津波に飲み込まれながらも、数十メートル流されただけで済んだという、このC58です。





半年近く経っても、撤去されずに残っているということは、復興のシンボルとして、残してくれるのかもしれない…
と希望的観測が頭をよぎりました…





その、C58の下敷きになっていた、50年前のチリ地震津波を、後世に伝える記念碑です…






こちらは、昭和35年のもの…この教訓は活かされたのでしょうか…


















“津波非難ビル”となった4階建てマンションですが、その4階まで津波は来たそうです…











何もなくなってしまった志津川駅前から、代行バスに乗り、思い出の地、志津川後にします…





柳津駅に戻ってきました…





帰路のローカル線に夕陽があたる…





また石巻駅に戻る…。石森キャラクターがお出迎え…















石巻から仙石線に乗る…





途中、まだ不通区間があるため、バス代行による振替輸送となる…





松島で下車…

















松島地区も被災してしまったため、支援の意味もこめて、営業中の飲食店にて夕飯をとりました…




この後は、仙台へ出て、新幹線で帰京しました…
一人で乗車帰京中の新幹線では、ボランティアへの意欲が一層強まりました…



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