居合道は、
居合刀いわゆる、合金製の刀で稽古するものから
真剣(日本刀)で稽古するものまで
居合道として全世界的に稽古されています。
当会は
無双直伝英信流を教えています。
でも本当は、
刀を手にして構えた意識、
もっと言うと、その感覚をレッスンで伝授しています。
感覚というのは、
先生と手をとり
つまり皮膚を通じて(本当は細胞レベル)ある種の意識
感覚をおしえていきます。
その中で基本中の基本として「むすび」技術があります。
世の中は、少数派は無視され
少数派は目だたず
本質のなかに斬りこんでそのテクニックを盗むためには
多数のレッスン(一般性の稽古)では無理です。
学問を考えられれば゛
分かると思います。
大学の講義のように大教室で学ぶものとはことなり
研究室でじっくりと教授の指導で学び展開していくものです。
茶道の教授においても同じです。
マンツーマンレッスンが基本です。
ですから、
当会では大勢にレッスンしていく方向制ではありません。
したかなくやっているものではなくて
必然として少数レッスン以下で行なっています。
居合で、真剣を使って稽古をすればいいのですが
総ての方に真剣をすすめているわけではありません。
はっきり言って
日本刀で稽古するのがベタ-ではありますが、
居合刀でもむすびとしての稽古になんら不都合はないものです。
むすびという意識操作は
それ意識の問題です。
大方の人は意識について、日常的に稽古されていません
意識という語句は知っていても
使い方を学んだ経験はおそらくないはずです。
刀を手にしたとき、その形(型)のみならず
その意識(どういう腹ずもり)でどうすればよいのかまでが
一連の刀の勉強となります。
いろいろ書きますが
要は
刀に宇宙を感じられますか?
それに尽きます。
名だたる武術家がどうして
意識や氣のことを語るのか?
それは身体の動きやスピードには極意が流れていないためです。