むすび居合道の刀一会《JMMA会員》

日本武道本質「むすび」を探求している道場。むすび居合を提唱。武術居合道を通じて平和理念を解きます。もしもしむすび協会会員

なぜ居合(真剣)なんだろう

2021-12-21 20:37:52 | 日々一言
居合道は、
居合刀いわゆる、合金製の刀で稽古するものから
真剣(日本刀)で稽古するものまで

居合道として全世界的に稽古されています。
当会は
無双直伝英信流を教えています。
でも本当は、
刀を手にして構えた意識、
もっと言うと、その感覚をレッスンで伝授しています。

感覚というのは、
先生と手をとり
つまり皮膚を通じて(本当は細胞レベル)ある種の意識
感覚をおしえていきます。

その中で基本中の基本として「むすび」技術があります。

世の中は、少数派は無視され
少数派は目だたず
本質のなかに斬りこんでそのテクニックを盗むためには
多数のレッスン(一般性の稽古)では無理です。

学問を考えられれば゛
分かると思います。
大学の講義のように大教室で学ぶものとはことなり
研究室でじっくりと教授の指導で学び展開していくものです。

茶道の教授においても同じです。
マンツーマンレッスンが基本です。

ですから、
当会では大勢にレッスンしていく方向制ではありません。
したかなくやっているものではなくて
必然として少数レッスン以下で行なっています。

居合で、真剣を使って稽古をすればいいのですが
総ての方に真剣をすすめているわけではありません。
はっきり言って
日本刀で稽古するのがベタ-ではありますが、
居合刀でもむすびとしての稽古になんら不都合はないものです。

むすびという意識操作は
それ意識の問題です。

大方の人は意識について、日常的に稽古されていません
意識という語句は知っていても
使い方を学んだ経験はおそらくないはずです。
刀を手にしたとき、その形(型)のみならず
その意識(どういう腹ずもり)でどうすればよいのかまでが
一連の刀の勉強となります。

いろいろ書きますが
要は
刀に宇宙を感じられますか?
それに尽きます。

名だたる武術家がどうして
意識や氣のことを語るのか?

それは身体の動きやスピードには極意が流れていないためです。




武術のむすび・・とは何?

2021-12-21 19:56:52 | 刀一会technique
むすびは
第一に、理論ではありません。
第一に、知識ではできません
第一に、ビデオや動画でも盗めません
言葉でも習得できません。

先生とのマンツーマンレッスンでのみ
伝授される性質の武術の本質にかかわる技。

その「むすび」はマイナーな技術です、今のところ
しかし
あと半世紀後にはメジャーで当たり前のものになるはずです。

宇宙の真理
言葉でも知識でも書籍からでもわからない
人間は宇宙
だから人や動物の意識を学んでいくと
いきつくところ
宇宙の本質に感覚できます。

むすびは、目の前の世界を一変します。
色も感覚も考え方も
根底から覆す次元のむこうにある意識テクニックです。

日本文化の極。
なぜなら
世界の人々はほぼ自己中だからです。

日本人はお人よしではなくて
他人と自分を同化できます。

むすびは利己主義、個人主義からでは
絶対に無縁の歴史から生まれた
武術技です。

むすびの成立は、室町後期だと私は考えています。
実際にあったのはもっと昔からかもしれませんが

歴史(戦いの)から考えると
そのあたりの時代になります。


居合はよそで、ムスビはこちらでも《堺市刀一会の向いている方向》

2021-12-21 19:33:36 | 刀一会technique
堺市で、むすびのレッスンと居合道、 護身術を教えています。

居合道の教室ですが、
居合の生徒さんは現在1名です。

居合道は私よりも素晴らしい先生がたくさんいますので
当会に来られなくても
生徒さんの数には全くこだわっていません。

当会では。
他の道場ではまず教えていただけないであろう
「武術むすび」のテクニックや
武術武道コンセプト・テクニックを教えています。

これまでに
様々なレッスンを行ってきました。
その生徒さんの一部の方から
レッスン後の感想を送っていただきました。
それを紹介しています。
👇
武術武道は
宇宙法則に則ったレッスン(本質)では
ないと一つになれないということです。

人間の作った武術ではなく
宇宙の作った武術を教える
でも、それは
自然体、
むすび、
心身一如。
わび・さび
空間
構え
などこれらは、すべて
宇宙の真理であるはずです。

ではその心理はどうして学ぶのか?
その答えとしては、
学ぶのではなく
経験とともに見えてくるのです。
宮本武蔵の五輪の書でも述べています
植芝盛平翁も発しています
塩田剛三氏も
佐川幸義名人も・・・

宇宙は知るものでもありますが
分かる(感覚する)ものです。

ですから、名だたる武道家は
「愛」とか「宇宙」とか「光かず包んで」とかそういう
哲学的な表現しか出てこないのです。

理解しなくても
理解できなくてもいいのです

見えてきます
分かってきます