お山の大将独り言の時間です
与○助から甚○ェ門へ越してから、終戦の雰囲気が漂ってた頃、出兵して居た与○助の長男だか次男だか(此処では仮にA男と呼ぶ)が戦地から帰って来た。大将この方にも可愛がられ、A男との間に陸軍の帽子(あの、カーキ色で赤い帯、星の記章の付いたあれだ)をもらう約束を取り付けた(後の為に積りにして置く)、当時は大将2歳と云う事もあり、学校も勤めにも行って無いもんだから暇でしょうがない、来る日も来る日も与○助へ通って、「帽子呉れ」「帽子呉れ」と言ってたらしい、軍国主義真っ只中に生まれた大将、きっとお国の為と勇んで居た。と今は当時を振り返り思いを馳せている。
何日か通う内、とうとう憧れの帽子を手に入れた、嬉しかったんだねえ、頭がスッポリ入ってしまう帽子を被って勇んで凱旋、いや帰宅だ、母親は大切な物だから大事にしようね、とか何とか言ったに違いないが暫く鴨居に引っ掛かっていた。まあ、大将お国の「為とは言いながら若干2歳、鴨居にも届かないのでその内忘れてしまった様だ。或る日A男と遊んでやろうと思って与○助へ行った処、同じ様な帽子が鴨居に引っ掛かっている、「へええ、この帽子はアチコチに有るもんなんだ」と思ったか思わなかったか、もう其の頃は帽子に憧れる情熱も冷めて終ってたのか、指して気にもしなかった様だ、・・・実はA男と家の両親との間に怪しい密約が有って、「子供だから直ぐに忘れようから暫くお預けします」な~~んて事をやってたんだねキット、大将、天真爛漫と言うか物に執着しない性格と言うか、はたまた飽きっぽいいと言うか、まあ、そんなとこなんでしょう・・・・今の大将に通ずるところも有りそうだ。
さて、ここは大門尻と言う地域、その頃の日常生活と言うのは、集落の中に小川が流れており、人々は、顔を洗い、歯を磨き、口を濯いだり、頭髪を洗ったり洗濯をしたりするのが普通、泥鰌やタニシ、時々ウグイ等も流れ込んで居る様な綺麗な水が流れていた。
又、炊事に使う水は、朝一番に桶を天秤で担ぎ、下の川(小又川だったかな)まで汲みに行き瓶に入れて、一日の生活用水にしていた、大将の家では、父親が終戦で失業、収入の道は絶たれ極貧生活、食卓は少々のお米と倍位の大豆と一緒にご飯を炊き、両親は殆ど大豆、大将と姉は大豆がくっついたご飯、おかずは漬物、味噌汁、サツマイモの弦、山菜、近所から頂いた食材でまかなっていた。それでも大将、ひもじい思いはした事がない、腹いっぱい食べて居た、両親とは有り難いね。
朝食の時間になると、大将、障子の破れたとこからおじちゃん夫婦の食卓を除くのが日課、囲炉裏の上座に座ったおじちゃん、その左手に座ったおばちゃんが真っ白いご飯、ホタテの貝殻に大根やゴボウ、タマネギと玉子をイシルと言う魚醤で煮込み、これが何とも言えない美味しい匂いを漂わせている
大将に気付くおじちゃん、(気ずく様に覗いている訳だから気付かないはずが無い)「坊、茶碗持ってこ」この言葉を今か今かと待っている、声が掛ると、頭でっかちの大将飛んでったね、こんな時は頭っから転ぶ様な事はまず無い、アツアツの真っ白いご飯に貝焼を乗せて食べる、いやああ~~今思ってもよだれが出て来る、美味しかったねえ
夢の様だね
う~~ん思い出の最高潮だ、沢山有りすぎて書き切れないんだ・・・・・又ね
与○助から甚○ェ門へ越してから、終戦の雰囲気が漂ってた頃、出兵して居た与○助の長男だか次男だか(此処では仮にA男と呼ぶ)が戦地から帰って来た。大将この方にも可愛がられ、A男との間に陸軍の帽子(あの、カーキ色で赤い帯、星の記章の付いたあれだ)をもらう約束を取り付けた(後の為に積りにして置く)、当時は大将2歳と云う事もあり、学校も勤めにも行って無いもんだから暇でしょうがない、来る日も来る日も与○助へ通って、「帽子呉れ」「帽子呉れ」と言ってたらしい、軍国主義真っ只中に生まれた大将、きっとお国の為と勇んで居た。と今は当時を振り返り思いを馳せている。
何日か通う内、とうとう憧れの帽子を手に入れた、嬉しかったんだねえ、頭がスッポリ入ってしまう帽子を被って勇んで凱旋、いや帰宅だ、母親は大切な物だから大事にしようね、とか何とか言ったに違いないが暫く鴨居に引っ掛かっていた。まあ、大将お国の「為とは言いながら若干2歳、鴨居にも届かないのでその内忘れてしまった様だ。或る日A男と遊んでやろうと思って与○助へ行った処、同じ様な帽子が鴨居に引っ掛かっている、「へええ、この帽子はアチコチに有るもんなんだ」と思ったか思わなかったか、もう其の頃は帽子に憧れる情熱も冷めて終ってたのか、指して気にもしなかった様だ、・・・実はA男と家の両親との間に怪しい密約が有って、「子供だから直ぐに忘れようから暫くお預けします」な~~んて事をやってたんだねキット、大将、天真爛漫と言うか物に執着しない性格と言うか、はたまた飽きっぽいいと言うか、まあ、そんなとこなんでしょう・・・・今の大将に通ずるところも有りそうだ。
さて、ここは大門尻と言う地域、その頃の日常生活と言うのは、集落の中に小川が流れており、人々は、顔を洗い、歯を磨き、口を濯いだり、頭髪を洗ったり洗濯をしたりするのが普通、泥鰌やタニシ、時々ウグイ等も流れ込んで居る様な綺麗な水が流れていた。
又、炊事に使う水は、朝一番に桶を天秤で担ぎ、下の川(小又川だったかな)まで汲みに行き瓶に入れて、一日の生活用水にしていた、大将の家では、父親が終戦で失業、収入の道は絶たれ極貧生活、食卓は少々のお米と倍位の大豆と一緒にご飯を炊き、両親は殆ど大豆、大将と姉は大豆がくっついたご飯、おかずは漬物、味噌汁、サツマイモの弦、山菜、近所から頂いた食材でまかなっていた。それでも大将、ひもじい思いはした事がない、腹いっぱい食べて居た、両親とは有り難いね。
朝食の時間になると、大将、障子の破れたとこからおじちゃん夫婦の食卓を除くのが日課、囲炉裏の上座に座ったおじちゃん、その左手に座ったおばちゃんが真っ白いご飯、ホタテの貝殻に大根やゴボウ、タマネギと玉子をイシルと言う魚醤で煮込み、これが何とも言えない美味しい匂いを漂わせている
大将に気付くおじちゃん、(気ずく様に覗いている訳だから気付かないはずが無い)「坊、茶碗持ってこ」この言葉を今か今かと待っている、声が掛ると、頭でっかちの大将飛んでったね、こんな時は頭っから転ぶ様な事はまず無い、アツアツの真っ白いご飯に貝焼を乗せて食べる、いやああ~~今思ってもよだれが出て来る、美味しかったねえ
夢の様だね
う~~ん思い出の最高潮だ、沢山有りすぎて書き切れないんだ・・・・・又ね