国宝さん
嵯峨さまとは竿忠、古い御贔屓である。まだ御前が二長町にお屋敷があって、御当主にならせられぬ時分からの御贔屓であった。御前は元は釣音の御客であったが、伜の竿忠が引続いて一層の御愛願である。釣具は其時分中田屋さんが御用であった。
御前が竿忠をお呼びになるに「竿忠さん」と云わず「国宝さん国宝さん」と仰言ってゞあった。
平民的な貴族
嵯峨様の御前は、申す迄もなく侯爵嵯峨公勝閣下で、失礼の事どもだが御誕生は文久三年六月と承わって居る。三条実房喞の御三男で存せられ、此嵯峨侯爵家の御先祖は公氏喞と申上げて藤原の
戸も朝臣となって居る。御家格は大臣家である。斯かる御身分の高い方では在るが、釣師としてはお古くから有名なお方だ。貴族には稀な平民的で嵯峨様が釣りにお出になり御自分の自動車の運転手と共に糸を垂れて居る所を他人が拝見すると、一般釣師の通例としてお召し物の上着は上等でない。其上会話の様子では、何れが御主人か分からぬ位の頗る徹底したもので、御身分を秘してのお楽しみが、時には八さん熊さんと竿を揃えてのお仲間入りをせられ、所謂大天狗、自称名人達の事とて、夢中になって八五郎から、お叱言や文句の一つも頂かれる場合もあるが、誰々諾々として御愉快気に微笑せられて御挨拶をなさるなぞ、お悟り遊ばしたものである。尤も釣師としては御身分階級は勿論位階勲等なぞ一切無関心の事で、四民平等であるべきものだが、分けても嵯峨様は、お話の分かる至ってお気軽な御気性で却々どうして下世話の事共何もかも心得ていらっしゃる、夫れこそ下様で申す苦労人だ。
釣りに就いて御前には御壮年の頃より数々の逸話があるが、お盛んの頃斯んな事もあった。御前の壮年の頃、まだ釣堀の珍しい時代だ。或る釣堀へ出掛けられ、例の如く糸を垂れていると何した拍子か隣の男の仕掛けに引懸った。すると其男が立腹して嵯峨様と知ってか知らずか釣竿を投捨てると、いきなり御前を池の中へおっぽり込mmだ。何という乱暴な真似をする奴だか、此男と云うのは当時明治座の金方をして居た高木、高浜と云われた内の一人高木金兵衛と云う者、毎度此の釣堀へ来ては我者顔に振る舞う。歯の浮く様な気障な男で、風采はと云うと、芝居の金方でもする位だから上下ぞろりっとした、五分でもすかさぬと云う姿だ。釣り上げでもする時の騒ぎは大変だ。両手に竿を持って胸の辺りに撓め込み、イキナリ履物を脱ぐと真新らしい白足袋の侭、水の浅い所へピチャ\/這入り、下手な剣術使いか田舎の神楽師の様な恰好で、アラ\/\/と脳天から奇妙な掛声を出し、右へ左へ踊り乍ら、子供が赤鯛でも上げやアしまいし鼻持ちならぬ傍若無人の下卑た真似をするので皆から、鼻っ摘みの嫌われ者、こんな男が御前を池へ投込んだのだ。後々迄も「いやな奴だったよ」と温厚大腹の御前も以前を憶い出されて呵々とお笑い遊ばされた。
嵯峨さまとは竿忠、古い御贔屓である。まだ御前が二長町にお屋敷があって、御当主にならせられぬ時分からの御贔屓であった。御前は元は釣音の御客であったが、伜の竿忠が引続いて一層の御愛願である。釣具は其時分中田屋さんが御用であった。
御前が竿忠をお呼びになるに「竿忠さん」と云わず「国宝さん国宝さん」と仰言ってゞあった。
平民的な貴族
嵯峨様の御前は、申す迄もなく侯爵嵯峨公勝閣下で、失礼の事どもだが御誕生は文久三年六月と承わって居る。三条実房喞の御三男で存せられ、此嵯峨侯爵家の御先祖は公氏喞と申上げて藤原の
戸も朝臣となって居る。御家格は大臣家である。斯かる御身分の高い方では在るが、釣師としてはお古くから有名なお方だ。貴族には稀な平民的で嵯峨様が釣りにお出になり御自分の自動車の運転手と共に糸を垂れて居る所を他人が拝見すると、一般釣師の通例としてお召し物の上着は上等でない。其上会話の様子では、何れが御主人か分からぬ位の頗る徹底したもので、御身分を秘してのお楽しみが、時には八さん熊さんと竿を揃えてのお仲間入りをせられ、所謂大天狗、自称名人達の事とて、夢中になって八五郎から、お叱言や文句の一つも頂かれる場合もあるが、誰々諾々として御愉快気に微笑せられて御挨拶をなさるなぞ、お悟り遊ばしたものである。尤も釣師としては御身分階級は勿論位階勲等なぞ一切無関心の事で、四民平等であるべきものだが、分けても嵯峨様は、お話の分かる至ってお気軽な御気性で却々どうして下世話の事共何もかも心得ていらっしゃる、夫れこそ下様で申す苦労人だ。
釣りに就いて御前には御壮年の頃より数々の逸話があるが、お盛んの頃斯んな事もあった。御前の壮年の頃、まだ釣堀の珍しい時代だ。或る釣堀へ出掛けられ、例の如く糸を垂れていると何した拍子か隣の男の仕掛けに引懸った。すると其男が立腹して嵯峨様と知ってか知らずか釣竿を投捨てると、いきなり御前を池の中へおっぽり込mmだ。何という乱暴な真似をする奴だか、此男と云うのは当時明治座の金方をして居た高木、高浜と云われた内の一人高木金兵衛と云う者、毎度此の釣堀へ来ては我者顔に振る舞う。歯の浮く様な気障な男で、風采はと云うと、芝居の金方でもする位だから上下ぞろりっとした、五分でもすかさぬと云う姿だ。釣り上げでもする時の騒ぎは大変だ。両手に竿を持って胸の辺りに撓め込み、イキナリ履物を脱ぐと真新らしい白足袋の侭、水の浅い所へピチャ\/這入り、下手な剣術使いか田舎の神楽師の様な恰好で、アラ\/\/と脳天から奇妙な掛声を出し、右へ左へ踊り乍ら、子供が赤鯛でも上げやアしまいし鼻持ちならぬ傍若無人の下卑た真似をするので皆から、鼻っ摘みの嫌われ者、こんな男が御前を池へ投込んだのだ。後々迄も「いやな奴だったよ」と温厚大腹の御前も以前を憶い出されて呵々とお笑い遊ばされた。