竹林舎 唐変木の そばバカ日誌  人生の徒然を

26歳からの夢、山の中でログハウスを建て
 自然の中で蕎麦屋を営みながら暮らす
    頭の中はそばでテンコ盛り

宇留地の記憶5

2018-01-31 | お山の大将そばバカ日誌
お山の大将そばバカ日誌
宇留地の記憶(5)  ちっちゃな出来事編
お山の大将独り言の時間です

50銭玉2枚アメ一個1円

ある日母親の小物入れの引き出しに50銭硬貨が二枚他の物と一緒にあった。
当時はもう50銭硬貨は使われなくなっていた頃。  でも もしかして  頭に浮かんだのは「合わせれば1円だ」もしかして何か買えるかも。
そっとポケットに忍ばせドキドキしながら1km程離れた下の集落まで藁草履をつっかけて走った。この辺りの集落にただ一軒のなんでも売ってる店「どのまえ」(堂の前かも知れない)、心の中では これはいけない事なんだ と知りながら走った。
店に着くと何時ものおばさんがいて、突っ立ったままの大将に「何欲しいがや」大将、握りしめた50銭玉2個をポケットから出して手のひらに、「このアメ買えるん?」指差した先の瓶の中に赤青黄透明色で直径2センチ強くらいの大っきな飴玉が「一個1円」と書いてある。おばさんは掌に乗った二個の50銭を眺め一寸躊躇しながら大将の指差した青色のアメ玉一個摘み出して掌に乗せてくれた「気つけて帰るげぞ」、ほう張ると甘くて弾ける様なサイダーの味がした。
後年三つ下の集落、関寺橋(せきでら橋)の側にラムネを製造してる飲料工場が有った。

宇留地の記憶

2018-01-24 | お山の大将そばバカ日誌
お山の大将そばバカ日誌
宇留地の記憶(4)  ちっちゃな出来事編
お山の大将独り言の時間です

初めて見たバイク
ある日、遠くに青い煙がモクモクと見えた。小豆色のバイクがモクモクモクモク煙を吐き、ビービー音を立てながら砂利道を上って行った。バイクはトーハツあるいはヤマグチモペット、Vベルト駆動  多分
大将の傍には十六歳頃から今の歳までバイクの無かった事は無い、現在も約45年前位のホンダCD250がある。十六と書いたが実は免許取得年齢は当時十七歳、現在陸上自衛隊金沢駐屯地の所に自動車学校(現北鉄自動車学校)があった頃受験者を集めてミーティングが行われた。あとで友人に聞いたが何の加減かトイレに行ってる間に「十七歳未満の者は受験できません」と行ったらしいが「聞いて無いよ」って・・・・そのまま受験して合格その後そのまんまで来てしまった。今年書き換え、最初の認知症検査あり

初めて見たバス
ある日、今では珍しいボンネットバス、時々テレビに出てくる昭和初期のレトロなバスが日に一二度クウークウー喘ぎながら町から上がって来る「じどっ」(自動車の事)玄関を飛び出しグランドを超え、下の道路が見える階段まで走って行って見てた。乗った記憶の無いバス。 ISUZU 多分
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宇留地の記憶 ちっちゃな出来事

2018-01-16 | お山の大将そばバカ日誌
お山の大将そばバカ日誌
こんな環境の中で育った蕎麦屋のブログ
宇留地の記憶(3)  ちっちゃな出来事編
お山の大将独り言の時間です
   
Fさまの荷馬車
当時は様を付ける程の方だった様です
一つ上の集落に地主さんがいて、学校の普請や何かの折には寄付をしていた。
当時砂利道だった県道から集落に上がってくるにはやはり砂利道の緩やかな坂を登って来る、坂の登り口に祠様の不気味な穴があった。精米所前まで5、60メートル程進むと急に勾配がきつくなる、ここを過ぎると又緩やかな坂になる。
ある日の夕方、新築用の材木を満載した馬車を引き、馬が激しくタテガミを揺らしながら坂を上がって来た、馬は体が大きく筋肉質、蹄の上辺りの後ろ側に毛が生えていた。立派な体格を呈していた。
精米所の前の駆け上がりまで砂利道に蹄を突きたけながら上って来たがとうとう止まってしまった。
馬方は急いで下がり始めた馬車を止めようとブレーキを引く、傍にあった竹の棒で思いっきり馬の尻を叩く、馬は渾身の力で坂を登ろうとまたも砂利道に蹄を立てて進もうとするが馬車はピクリとも動かない、「ビシッ ビシッ」何回も何回も何回も馬の尻に容赦なく竹の棒が飛ぶ、馬はその度にもがくが馬車は動かない。
そうこうしてる内に今度は馬の腹に下に枯れ枝や枯葉を持って来た馬方が何をするのかと思いきや火を着けた。
大将もう見ていられない、急いで家に帰り「坂が上れない馬の下で火を燃やしとる」と父に何とかしてほしいと告げ、父は見に行ったがその後馬車が上れたのかどうなったか分からない
後に父はF様に「手紙を書いといたよ」今となっては本当かどうか分からないが黒っぽい栗毛色の目の綺麗な馬だった。

そしてある日、トラックの荷物の上に人が乗って町から上がって来た。F様の息子さんの傍らには真新しい自転車が積んであった。子供用の自転車、偶然見た出来事だけど。

宇留地の記憶 ちっちゃな出来事

2018-01-09 | お山の大将そばバカ日誌
ちっちゃな出来事2
母親は農繁期には田植え、稲刈りを手伝い、畑仕事もよくやってた。
大将も田植えを手伝った事がある。当時は六角田植え枠を転がした跡を定規にして植える。裸足で田に入り、アゼに居る人が苗を投げ渡し腰を90度に曲げて植える。しか〜ししばらくして田から上がってびっくり、くるぶしの辺りに5cm位の真っ黒く長細いものがクネクネとしてくっついて居る。「なに これ」引っ張ってもヌルヌルして取れない、おじちゃんが虫の首っ玉をつまんで取ってくれた。田んぼに生息するヒルだそうだ。
稲架かけは手伝ったぞ。稲架干しのコメは美味しいんだぞ。ただね、縦横に組み上げた稲架竹が風の強い時にピューピュー、ヒョロヒョロ鳴って山姥が歌ってる。」
「母ちゃん ションベン」  ムシロ戸をくぐり、板を渡しただけの便所は怖かったぞ。

そうそう寒い朝目が覚めると外は晴天で真っ白く眩しい雪景色。土間で掛け声と共に餅つきが始まってた。へっついに薪を炊き、蒸し上がった餅米をセイロごと臼に放り込む。もくもくの湯気の向こうに母親の姿もあった。丸めてお重ね餅も見よう見まねで手を真っ白にして手伝ってた、相の手はベテランの女衆、熱いから水桶に手を浸しながら手際よく餅を反す。つきたて熱々のお餅をもらい口の周りを米粉やらアンコだらけ、醤油でもいただいた。 杵付きだからニューっと良く伸びるんだ  半殺しなんて奴もあったぞ、これは米粒がそのままの形で残ってる。臼の側に居ると時々コメやら豆が飛んで来た。
おじちゃんが「ぼう、ついてみるか」と杵を持たせてもらったがとても持ち上げられない。
トボ餅は半渇きの時かきもちにする為に薄く切る、それを稲藁で10枚1組位にすだれ状に編み込み天井から吊るして良く乾かす。それは家族が借りて居た部屋のすぐ横の仏間に乾かしてある。時々割れて板の間にカシャツと落ちてバラバラになったのを生のままがじるとちょっと塩っけがあった。落ちたかき餅の豆入りはの豆は生っぽいので不味い。カシャツと落ちた音はするのだが落ちたかけらが何時も無い・・音だけかも知れない、だってカシャンと落ちたのに何にも無いんだもん   だって〜11

宇留地の記憶 ちっちゃな出来事

2018-01-02 | お山の大将そばバカ日誌
ちっちゃな出来事 1

その頃の母親は誰隔てなく生徒を可愛がり、新聞紙を広げ、四つん這いになって頭を出す生徒の頭を手刈りバリカンでジョキジョキ、女の子の髪の毛をとくと新聞紙の上にパラパラとシラミが落ちた。  洋服の縫い目にはシラミがびっしり並んでいたし、ノミもシーツの上をピョンピョン、白いシーツは分かるが色物だと全く分からない。世話になっていたところのおばあちゃんは捕まえたノミを噛んでプチっ潰してた。

時々先生方がDDTを頭やら襟元から服の中に噴霧器でシュッシュッ、今思うとゾットするが当時は当たり前だったんだねぇ。噴霧器にはアースだったかフマキラーだったかのロゴ、直径5cm長さ30cm位のボール紙で出来たポンプ。筒の先端下部に薬剤を入れる容器が付いていてポンプを押すとノズル先から出る空気に引っ張られ薬剤が噴霧される。
生徒はうどん粉にまみれた様にみんな真っ白。

栄養不足なのか鼻の下には緑色の二本線、頭にはオデキ、ゲロを吐いたら15cm位の白い回虫?。袖は鼻を拭ってペカペカ、中耳炎も多かった(当時は耳垂れと言っていた)

冬、学校も結構な山だがもっと奥からくる生徒、雪道を裸足に草履、足は真っ赤、母親はお湯で温めていた、今ではとても考えられない。一度行った事があったが自転車も通れないほとんど登山道路、まぁその頃自転車も自動車も珍しい頃の話

大将の隣の席のK春、(宇留地小学校は複式学級)授業中にガラスでできたオハジキで遊んでてそれを鼻の中に入れて取れなくなった。何だかそわそわしてるなぁと思ってたら大将の耳元でそっと「ボヤ、ハジキが取れん」覗くと1cm程奥に丸く平らに良くもまぁピッタリと。大将お節介にも「先生K春の鼻にオハジキが詰まった」 (先生)「お母さん(大将の母)に取ってもらえ」玄関の正面にある大きな鏡の前で、母親、「指が入らないしどうしよう」と四苦八苦、大将そこで一計を案じたね!「お母さんピンセットどやぁ」と・・・治療用の先の平らなピンセットを使って解決。さすがだね、
今、彼K春は大阪に住んでて当時の恩をつくづく感じてるらしく、穴水の誰かに大将のところの電話番号を聞きつけ、忙しい時ばかり電話をしてくる、それも関西弁で毎回確実に酔っ払って、グダグダと・・・これまた長いんだ。「オイ!覚えてんのかい・K春」・・・いつまでもグダグダと元気でな!

尾籠な話だが大将、授業中屁をしたつもりだがチビっと中身がお出ましになってしまった「先生ションベン!」答えがわかった時にこの位手が挙げられると良いのだが
慌てて母親の元へ。 (こんな時学校に住んでると便利ですよ アアタもどうですか?)
K春とどっちもどっちかぁ。ちなみに小は「ションベこき」大は「エンコこき」