お山の大将独り言の時間です
母親がこの学校の用務員をさせて頂いた頃の大将の記憶は特筆もの
この学校には、四年生の夏までお世話になった、戦後の混乱期、親の苦労も知らない紅顔の美少年として過ごしたこの時期の事の記憶に付いては兄妹 1だ。2歳弱からの鮮明な記憶を誇る大将だからもっともだ、 まあ自慢する程の事でも無いか。
兄妹は三つ上の姉、学校へ来てから産まれた六つ下の弟、弟はまあ将来有望な大将と記憶に付いては比べる事も有るまいが、穴水の記憶に付いては無いに等しい、又姉と言えば都会生まれの清楚なお嬢さんとまでは言わないが大将から見てもスッキリとした顔立ちで自慢のって言っても少々気が強いのが玉にキズだがまあまあの姉だ、これも又穴水の記憶と来たらからっきし。
この穴水での八年間の記憶は家族中で大将が一番 さすがだね
しばらくの間記憶を辿りながら四年生迄の出来事にお付き合ってもらおう
ある日突然に坊主頭の背の高い男がやって来た、聞けば前出の一緒に疎開して来た香葉子姉さんの兄、喜三郎さんだと言う、大将生まれたての頃と東京大空襲の後沼津の海軍官舎で会ってるはず、大将男兄弟がいないもんだから手をつなぐやら、肩車をしてもらって鴨居にデコちんをワザとぶっつけられたり、やらで良く遊んでもらった。
喜三郎、香葉子兄妹は小さい頃から大将の母親を姉ちゃん姉ちゃんと呼んで慕ったいた、先の大空襲で両親兄妹を一っ時に失ってしまい寂しかったに違いないが暫らくして東京へ帰って行った。
又、ある年の夏、今度は父方の従兄弟、大将より一つ二つ上の弘一さんも東京世田谷、駒沢から遊びに来た。一ヶ月まるまる宇留地で田舎暮らしを満喫し最後は帰りたく無いと言ってたそうだ。
弘一、大将、夏休中親の留守をいいことに 冷や飯に味噌汁をぶっかけおひつを空っぽにした事がある、その晩弘一さんはお腹が痛いと言い出し母親に叱られた事が有った。
弘一さんが柔だったのか大将が生まれつき胃腸が丈夫だったのか・・・・まず後者だね。
もう一つ これは夢か現実か分からないが「裸の大将」山下 清 画伯のイメージがあるリュックを背負い袋に入れた荷物を両手に持ち・・・・そんな姿が記憶の何処かに有り、母親は知ってか知らいでか応対してた様な・・・・記憶が・・・
では又 ごきげんよう
母親がこの学校の用務員をさせて頂いた頃の大将の記憶は特筆もの
この学校には、四年生の夏までお世話になった、戦後の混乱期、親の苦労も知らない紅顔の美少年として過ごしたこの時期の事の記憶に付いては兄妹 1だ。2歳弱からの鮮明な記憶を誇る大将だからもっともだ、 まあ自慢する程の事でも無いか。
兄妹は三つ上の姉、学校へ来てから産まれた六つ下の弟、弟はまあ将来有望な大将と記憶に付いては比べる事も有るまいが、穴水の記憶に付いては無いに等しい、又姉と言えば都会生まれの清楚なお嬢さんとまでは言わないが大将から見てもスッキリとした顔立ちで自慢のって言っても少々気が強いのが玉にキズだがまあまあの姉だ、これも又穴水の記憶と来たらからっきし。
この穴水での八年間の記憶は家族中で大将が一番 さすがだね
しばらくの間記憶を辿りながら四年生迄の出来事にお付き合ってもらおう
ある日突然に坊主頭の背の高い男がやって来た、聞けば前出の一緒に疎開して来た香葉子姉さんの兄、喜三郎さんだと言う、大将生まれたての頃と東京大空襲の後沼津の海軍官舎で会ってるはず、大将男兄弟がいないもんだから手をつなぐやら、肩車をしてもらって鴨居にデコちんをワザとぶっつけられたり、やらで良く遊んでもらった。
喜三郎、香葉子兄妹は小さい頃から大将の母親を姉ちゃん姉ちゃんと呼んで慕ったいた、先の大空襲で両親兄妹を一っ時に失ってしまい寂しかったに違いないが暫らくして東京へ帰って行った。
又、ある年の夏、今度は父方の従兄弟、大将より一つ二つ上の弘一さんも東京世田谷、駒沢から遊びに来た。一ヶ月まるまる宇留地で田舎暮らしを満喫し最後は帰りたく無いと言ってたそうだ。
弘一、大将、夏休中親の留守をいいことに 冷や飯に味噌汁をぶっかけおひつを空っぽにした事がある、その晩弘一さんはお腹が痛いと言い出し母親に叱られた事が有った。
弘一さんが柔だったのか大将が生まれつき胃腸が丈夫だったのか・・・・まず後者だね。
もう一つ これは夢か現実か分からないが「裸の大将」山下 清 画伯のイメージがあるリュックを背負い袋に入れた荷物を両手に持ち・・・・そんな姿が記憶の何処かに有り、母親は知ってか知らいでか応対してた様な・・・・記憶が・・・
では又 ごきげんよう