竹林舎 唐変木の そばバカ日誌  人生の徒然を

26歳からの夢、山の中でログハウスを建て
 自然の中で蕎麦屋を営みながら暮らす
    頭の中はそばでテンコ盛り

失敬の天才

2011-06-24 | 「竿忠の寝言」
失敬の天才
鍛冶屋の峯さんの家に、お手々の長い職人が居りまして幹公(みきこう)と云う、金盥(たらい)だのバケツだのと方々から提げて来る誠に始末の良くない人物。或る時、お釜の中に飯の附いているやつを持って来た。「オイみきさん/\お前、夫れを何処から持って来たんだえ」「之れかえ、こりゃア台所から拾って来たんだ」「お前ねえ、そんなに上手なら俺のこの仕事をして居る竿を盗れるか」「小父さん、そんな物アわけア無えや」「然うか、盗れるなら盗って見な。お前に遣るから」処が暫く経つと、幹公がやって来て「小父さん、其仕事をしている竿を勘定して見な」一イ二ウ三イと、数えて見ると成程一本足りない。何時の間に盗られたか判らない。竿忠もつくづく感心した。幹公の天災的手腕に依るものとはいえ、夫れだけ仕事にかゝると竿忠は仕事に熱中して、其方へ釣込まれて了うのです。仕事には油断があっちゃア不可ないと云うけれど、竿を作る唯夫れのみに精神を集中させて了うから、何時の間にか他念が失われて了うのです。

伊香保三人旅

2011-06-13 | 「竿忠の寝言」
あ伊香保三人旅
良い仲間同士が三人連れで伊香保へ遊山と洒落込んだ。伊香保から榛名山、竿忠、瓦寅、鍛冶峯、此三人で変わり番こで隔日にお祝儀を出すと云う約束だ。途中で柳屋と云う料理茶屋へ寄り込んだ。白首の姐さん二三人腕に撚りをかけて乗り出した。今日は竿忠がお祝儀を出す番。「サア親方さん、お身体を拭きましょう」と冷たい手拭を持って来る、瓦寅さん、御自慢の紋々を出して大胡座(あぐら)アかいて、背中を拭かして居る。忠「バア姐(ねえ)や、俺達は信心に行きがけで今遊んでいられねえんだから、帰りに遊んでいくよ」寅「おとッつあん、斯うどうも待遇(もてな)されては、祝儀も余計に反跳(はず)まなくっちゃアいけねえぜ」小声で云う。忠「いゝよ、承知して居るよ、オイ姐さん、帰りに寛くりあそんでいくからなア。之れは少ないけれどお祝儀に置いていくぜ」と紙に捻って何程(いくら)か置いた。連れの二人は帰りに此処へ寄り込む積りだか、履物を預けて草履と換えた。之れが本当の下駄を預けたんだ。其処を出掛けて少し行くと寅さんが、「オウおとッあん、おめえ祝儀を幾ら遣ったんだえ」忠「二貫だよ」寅「何イ二貫だア、たった二貫たア可哀相な事を仕やあがるなア」と此人頗る婦人に同情が深い。忠「当りねえだろうじゃアねえかアヽヽヽ」と笑い話の内に伊香保へ着いた。湯に入浴(はいって)竿忠浴槽の中で粋な声を張上げて紀伊の国を唄い始めた。鍛冶峯さん、此人十八番の裸踊り、風呂場だ世話は要らない、ぶら\/させながら板の間でトコトントンと踊り出した。斯うなると寅さんも黙っていないよ、チンチリチンチレ、ちんちれチンテレと小桶の尻を叩き乍ら口三味線で合いの手を入れると云う、御年配に似合った大変な騒ぎ、とても愉快だ。いゝ気持ちに成って浴衣を引きかけ、サッ張りした処で座敷へ着くとお膳が出る。先ずと一盃やり、後から肴が来たお膳の上、見ると鱸の塩焼き、どうした加減か竿忠の膳には尻尾の方が附いている。此日は瓦寅さんが祝儀を出す番、竿忠少し気に入らねえ「オウ姐さん番頭を呼んで呉れ。俺達は友達同志で遊山に来たんだ。見てみろ、こんな魚の尻尾なんか喰えねえんだ」そろ\/酒が廻って来て威猛け高に成って来た。「主人を呼べ主人を、俺達は友達同志で遊びに来たんだ。お供では無えんだ、こんな鱸の尻尾を附けられて田子作ぢやアあるめえし、黙ってこれが喰えるけえ。サア取っ替えろ」其処へ主人が出て来て平蜘蛛の様になって、「決してお供と思って尻尾をお附けしたのでは御座いません。生憎くと、もう三人前しか無かったので、今日の処は何分の御勘弁を願いとう御座います」と詫ったが、忠「何でもいゝから取替えろ」酒が云わせる気侭の文句。仕方がないから塩焼きを全部下げて了った。お陰で寅さんと峯さんの二人、こぼすまい事か、折角塩焼きで一盃やろうと思ったのに竿忠がごなたので、自分たちの「分迄下げられて了ったんだ。こんな事もあって、さて帰り途に、前の日下駄を預けた家の前を通れない、通れば義理にも遊んで行かねば成らない。あの時は帰りに寄る積りで有ったが、竿忠の二貫で気まりが悪いや、後から祝儀を出したとて役にも立たねえ。忠「峯さんお前、あの下駄を取りに行けめえ」峯「何、行けねえ事アあるもんか」と口では云ったがその勇気が完全ならずだ。元々惜しくもない下駄だ、こそ/\と傍を廻って通り抜けて了った。忠「あの女共は今頃手具脛引いて待って居るだろう。アハヽヽヽ面白え、おもしれえ」と大笑い。(此の話は音吉の生まれぬ前の頃です)

黄金の煙管

2011-06-07 | 「竿忠の寝言」
黄金の煙管
死ぬ迄修業と云う事は竿忠標語(モットー)の一つだが、竿忠生涯を通じて最も良い修業をしたのは、亀戸天神の裏門にお住まいで物持ち、後質商を営まれた渡辺喜吉さんの仕事をした時だ。此の人が大変良い竿を拵らえた。七年間というものは竿忠一生懸命に成って色々な釣竿を拵えた。一本の竿が出来上がるとホッとして一週間はブラ\/する。竿忠が一生の内で最も修行をしたのはこの時だ。この渡辺さんのお陰で、珍奇な仕事、変わった研究が出来た。今までに無いと云う珍しい竿を拵える事になった、然し又夫れだけ苦心も一層で、此の人の竿を拵えるえお寿命が縮まると云っていた。
之等の竿は渡辺さんが麻布へ移転されたので、震災のも焼けなかったそうだから、多分残って居る筈だ。此の人は竿が出来上がると顕微鏡ですっかり調べる。何しろ肉眼で作り上げた物を顕微鏡で調べるのだから堪らない。この間の苦心は並大抵ぢやあ無い。此人は極々の数奇者で出来上がった竿は、一種の貴重なる骨董品の如く、独特の風韻を帯びた所謂美術工芸の粋を尽くし、実に精巧を極めた物だ。竿の袋などはとても凝ったもので、更紗の一坪何程(いくら)という切れ地で拵えた。竿に就いて一例を挙げると、目無しだの七寸の二タ節だの又は人工の錆び竹、一見すると朽枯れ竹の様に見える等、金物でも其通り、殊更に金銀を用いず渋く渋くとの往き方で、従って誇張軽薄の点が無いから潚酒であって上品だ。情趣津々として厭きが来ない。此人は竿へ印を捺させない。初めは捺したが後には押させなかった。どう云う訳で捺させ無いかと云うと、印を見て竿忠を知る様じゃ不可ない、無銘でも之れは竿忠だと判る様な仕事をしなけりゃア成らぬと云う意味から印版(いん)を捺させなかった。竿忠一代の内に珍品を数々拵えたのは此人以上に続く人は無い。恐らく日本中に無いだろう。此人から竹翁と云う号を貰った。
そこで出来上がった竿を持参するとお祝儀を出され、橋本の料理で馳走に預かる。毎時も竿忠其帰りには屹度、孫に羊羹を買って来るのが例と成って居た。其変わり此人の意に叶わなければ、竿忠自身では頗る上出来と思って差し上げた竿でも、直すか又は新規に作り替える。意に叶った傑作品が出来ると其度毎に褒美を呉れる。煙草入の金物を呉れたり、根付、緒〆と次第に貰って煙草入が纒まる。一ト通り煙草入が出来ると次に渡辺さんが「今度の褒美には白金(ぷらちな)か黄金の煙管を遣ろう」と云われたが、竿忠は辞退して要りませんと云った。竿が出来た、夫れを仁三郎が渡辺さんへ持って行き、「先達て旦那が親父に今度の褒美にはプラチナか黄金の煙管を何方でも好きな方を遣ろうと仰有った時に親父は要りませんと御辞退申上げましたが折角頂くなら黄金の煙管の方を頂戴したいんですが」と口上を述べて貰って来た。之ですっかり一式揃った。自体竿忠代金以外別に貰うなどは嫌いであった。何かワイロでも貰うようで嫌だと云っていた。或る日、浅草の観音様へ久し振りでお詣りをし、六区へ廻って大好きな目玉の松っちゃん事尾上松野助の忍術か何か見て帰りがけ、一代の名誉と例の煙草入れを腰にぶら提げ、恩人の吾妻橋際中田屋さんへ寄った。久方振りの挨拶一通り終わって一服つけ様と腰の煙草入れに手を掛けたが、此時竿忠考えた。待て暫し、御恩のある中田屋さんの前で幾ら御褒美に貰ったとは云え職人風情が、黄金の煙管で煙草が喫めない。昔を忘れては済まない、誠に申し訳もない事だと、とう/\喫わずに帰って来た。夫れからはお客様方の前へは持って出ず仕舞込んで了った。