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竹林舎 唐変木の そばバカ日誌  人生の徒然を

26歳からの夢、山の中でログハウスを建て
 自然の中で蕎麦屋を営みながら暮らす
    頭の中はそばでテンコ盛り

うるち小学校記憶14 年中腹ペコ編

2017-09-20 | お山の大将そばバカ日誌
お山の大将そばバカ日誌
こんな環境の中で育った蕎麦屋のブログ
大将独り言の時間です   宇留地小学校記憶14  年中腹ペコ編

文中大好きな「おじちゃん」なる人物が出て来ますが苗字は分かりますが名前は分かりません。ご養子さんと聞いてます。米作りの名人、酒好き、スタイル抜群のハンサム、豪快、キノコ採りの名人。今時の「イケメン」だね。何時迄も大将の中ではヒーローなんだ。んなもんだから浮いた話の一つや二つや三つや四つ、いやいやっもっともっとあったかもしれない・・・・泊まり込み山仕事2日間でわっぱ飯二つに糠漬けイワシ(コンカイワシ、穴水ではこう呼ぶ)の焼いたの1本。飯時はこれを頭っから骨ごと糠ごとガブリとやる。箸はそこいらの木の枝で鉈を使って器用に作る。熊笹の箸はパイプ状の先にご飯が入ってしまい勿体無いので使わない。タバコはキセルをキャップ付きの皮の筒に、きざみタバコは桜の皮貼りの印籠に入れて腰にぶら下げる。一服の時は片手でキセルにきざみを詰め、火打石でチャッチャとやって、二回ほど吸って吸いカスを左手の上に「ぷっ」と吹き出し次の火種にする。熱いからコロコロ転がしながら。又片手で器用にきざみを詰める。これを数回繰り返し一服を終える。手甲、脚絆に前後割れた又引き?藁で編んだ背負子に鉈一丁ミノ笠、この姿で山仕事に出かける。  全てが様になる良い男
晩年しこたま酒を飲んだあくる日スモモの木の下の用水を引き込んだ洗い場で脳いっ血であっと言うまに逝っちまったと言う。亡くなり方まで豪快だ。後にお参りに行き指差した先に石っころが縦横に積み重ねてあった。 もう一度会いたい  「おら坊」って呼んでくれるかな


突然ですが 本日2017年8月25日9時20分、前記「おじちゃん」の名前が突然判明「佐平」、「谷口佐平」「火付盗賊改め、なんとか平蔵であーる」みたいな感じで侍のような名前でカッコイイじゃないですか。大将憧れる筈ですねぇ。実は先日お世話になった穴水当時の同級生HSの奥さん(この人は大将と同じ苗字、名は[Mちゃん」穴水当時気になる存在でした。そこへ同級生のSが養子さんに入って身近な存在に)その後不思議な縁でこの家族と遠い親戚になっちゃった。
お礼の電話がてら大雨の見舞いを言いながらの中でおじちゃんの事を話したら早速知る人「Tちゃん」に聞くと言ってた(もしかしてげんぞのT子さんの事かなぁ)
に聞いて折り返しの電話で判明した。大将最近涙もろくてウルっと来ちまった。
T子さんは鼻筋の通った朝ドラ「ひよっこ」の時子さん似の美人。何年か前に穴水で通り掛ったT子さんにお会いしたが面影が有り大将を覚えていてくれた。

宇留地小学校記憶13 年中腹ペコ編

2017-09-13 | お山の大将そばバカ日誌
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大将独り言の時間です   宇留地小学校記憶13  年中腹ペコ編

納豆は牛小屋で
何軒かの農家は牛を飼って居た、田起こしなど田植え前の仕事に使う、牛はウンチ、オシッコは決まった位置だそうでそれを聞いて一安心。牛小屋全体に藁が敷いてあり寝床辺りは綺麗だった。そこに茹でた大豆を藁ツト(藁で作った筒、そう水戸納豆のあれだ)に入れて置いておくと二、三日で見事な納豆になる。藁の中に潜む納豆菌の活躍  大将そん時は生まれて初めて納豆にご対面、ネバネバな上クウッサー ンで其の時は見て匂いを嗅いだだけ。
今では値段も100円前後で3パック、(大将はあまり高いのは買わない、と言うかぁ買えない)毎朝一個、無い日は非常に寂しいんです。

ある日牛小屋から少し離れたところへ子牛を散歩に連れてった。親牛は隙を見て小屋から出て駆け足で子牛を追った。大きく真っ黒い其の目には涙が溢れポロポロ地面に落ちた。

田圃の畦道に枝豆が植わってた。おじちゃんの家に間借りしてたその頃のご飯、半分以上が大豆、三分の一くらいがお米、両親はご飯の着いた大豆、子供達は大豆が着いたご飯、漬物に味噌汁と煮物くらい。後は母がお膳の影で醤油をかけたただけの「見た目卵かけご飯」暖ったかいご飯とこれで大将にとっては色だって味だって十分卵かけご飯。このころの醤油は暫くすると表面にカビがでる、添加物なしの本物だ。

そ〜だ!!取って置き
おじちゃんが秘密の場所から採ってくるネズミの手を何本も立てた様な白と灰色のキノコ。慢心の笑顔、両手で抱えて山から帰ってくる。これは美味いなんてもんじゃぁない。味噌汁にするとコリコリとした歯ごたえが何とも堪らない。おじちゃん、おばちゃんは貝焼きにこのキノコとゴボウ、本物の卵で魚醤の「いしり」で味付け。 こ・れ・が・いい匂いなんだ。それに豆のくっついて無い真っ白いご飯。(貝焼きの貝は帆立貝で20cmを有に超える大きさがあった)   
大将だって最近の卵かけご飯は添加物入り「なま醤油」と本物の卵を使う、それもLサイズ一個だ。それに加え納豆も入れるぞ(ど〜ぉでい)  近年穴水のキノコを良く知る友人に聞いたら何とか言うキノコだそうで今は滅多に見ない貴重なものだそうだ。   。

この辺りまでは季節ごとの自然の恵み植物編、大らかでしたね
物が溢れ便利すぎる現代より素朴な暮らしの当時の方が幸せを感じてたのでは無いでしょうか。まさに晴耕雨読の時代だったね。
思い返せば現在山菜として人気のあるものも当時は余り食べて無い事に気付きます

宇留地小学校記憶12  年中腹ペコ編

2017-09-06 | お山の大将そばバカ日誌
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お山の大将独り言の時間です    宇留地小学校記憶12  年中腹ペコ編
その他
大木を登って食べた何かの甘い実(ウラジロの木かも)これは何時の事か記憶にない。 ナナカマドの実の様な赤くすっぱい実、手でしごくと取れる(ふさすぐり)
酸葉、イタドリ、一房三つに分かれてて皮を剥いてナッツ状を食べる(つのはしかみ) モミジの葉っぱ(酸っぱい) ツツジにできる塊(シャキシャキとして酸っぱい)  そこいらに自生しているクローバーに良く似た酸っぱい葉っぱ。  
先日TVで外国の大公の料理にワンポイントで一本出てた

ツツジの花の蜜、椿の花の蜜  
花をもぎ取り額を外して花の付け根側から蜜を吸う、あの蜂蜜の蜜。あまり強く吸うと黄色い花粉まで入ってくるので注意が必要。

現在の自宅前

ナスの塩漬け   瑠璃色?ラピスラズリー?群青色?茄子紺?
このどれにも当てはまらない綺麗な色に漬かったナス、海の塩の浸透圧と畑のナスのコラボレーションが醸し出す、自然が成す(ナス)ワザだね 
(レポーター)「う〜んすごい、ご飯が何杯でもお代わりできますねぇ へ〜」             
「主)「はい」
(レポ)「しかし色と言い形と言い食感と言い素晴らしいですねぇ へ〜」 
(主)「どうぞどうぞ宜しければ沢山召し上がってください」
(レポ)「ハァイ 有難うございます、いや〜これ一切れで十分満足です。
   みなさんは今の季節こう言うのを朝夕にいただいているのですか? へ〜」(主)「・・・・」
(レポ)「ハ〜 いや〜 お好きな人ならたまらんでしょうな ヘ〜」
(主)「そうですかねぇ?」
(レポ)レポ終了後ディレクターに向かって「いや〜しょっぱかった〜」だと
昔は塩っぱく漬けて一切れでご飯2杯も3杯もお代わりしたそうです。
中にはナスに紐をつけて飲み込んで又引っ張り出す、そしたら次の飯でも又食えると冗談を言ってたそうです。

文中色々食べて来たが大将だから無事な事を記して置きます。

宇留地小学校記憶11 年中腹ペコ編

2017-08-30 | お山の大将そばバカ日誌
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お山の大将独り言の時間です    宇留地小学校記憶11  年中腹ペコ編

名前は判らないがリンゴを薄〜くスライスしたような葉っぱのツル性植物で、蔓にできる1cm位の丸い実、食感はボケたリンゴ、またはナツメに似た味と食感  
(良く似た毒々しい色の実が有る,食べたくなる色ではない (これは犬ブドウ?かも)

間借りしてたおじちゃんの家の庭に用水を引き込んだ洗い場のすぐ上にスモモの木が有った。甘くて美味しいからすぐ虫が入る。赤く実った頃には雨風でポロポロ落ちた。青い実もスッパイがカリカリしてて美味しい。(味も形もプラム)   大好きな味

最大幅7cmもある大きな実のなる栗の木もあった。大きな栗が3個入った大人の掌以上もあるイガが落ちると「ぼたっ」と音がして家の中に居てもわかる。栗の皮は茶色頭の方は真っ白な栗が弾けて散らばって居る。おじちゃんがカッパを着て木に登り揺さぶって落としてもくれた。カッパを着てないとでっかいイガで怪我をする。 生でも焼いても茹でても美味しい。ポケットには2、3個しか入らない位大きい。通りがかりの人が持って行ってしまうのでなるべく何回も見張ってた。

そこいらのあぜ道を歩いて自然薯を掘り焚き火をして焼いて食った事もあった。
焼き芋の様にホクホクにはならない。蔓にできる「むかご」「ぬかご」も良く食った。

ねぶり)穴水ではそう呼ぶ(のびろ又はのびる)も良く食卓に上がった。 野生の小型の玉ネギと思ってもらえばよい。父親は生のまま玉っッコロに味噌を付けて酒の肴にしてたが子供達には辛い。茹でて酢味噌和え、おひたし、これは子供達も食える。
摘んでくるのは良いが根を切り、枯れたところや一皮剥くので大変手間がかかる。

サトウキビ)
沖縄辺りのそれとは比べ物にならない程細いが格好なおやつ、と言っても例のごとくよそん家のもの、この畑の持ち主ん家の子にもらった記憶があり、一節もらって硬い皮を歯で剥がし、中身をカスカスになるなでしがんでから捨てる。大変甘く美味しかった。
大将も黙って頂くばかりではなかったっす。
と、言うかぁ坂の上の家のもので畑が丸見えだったので・・・・・

文中色々食べて居ますが大将だから大丈夫だったので真似はしないでください。

宇留地小学校の記憶10 年中腹ペコ編

2017-08-23 | お山の大将そばバカ日誌
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お山の大将独り言の時間です   宇留地小学校記憶10  年中腹ペコ編

くるみ事件)三つ四つ先輩の「O」と橋の上から3、4メートル上のクルミを目掛けて石をぶっつけ実を落としていた。当然大きな石の方が命中率が高いので大将まだ小いちゃくてモミジのような可愛い手に、余る程の大きなやつを持って思いっきり投げた、クルミ目掛けて・・・のはずがいつまでたっても木に当たらない「アレッ」と思った瞬間、いつの間にか傍に来ていたおじちゃん、ヒョイッと交わした頭をかすめて川にドボン「わははっ ぼー クルミはアッチやぞ」大好きなおじちゃんに当たらなくて良かった。
落とした実は布袋に入れて果肉が腐るまで小川に浸けて置く、アクが強く手では剥かない。二百十日頃の物が熟れているそうだ。落下物でも十分、石で割って竹ひごでカイで中身を食べた。でもあの時のクルミ小川から上げた覚えが無い。  今でもあの場所に在るかしら。
其の頃の経験から今は取り出した実を袋に入れて蕎麦打ち用の棒を磨いています
銀杏)も一緒だねあれもアクが強くウンチ臭いから手では剥かない

木いちご)(もみじいちご)甘酸っぱく美味い、棘のある低木に大きいのは1、5cmもある黄色く熟した実の下に手を出し、ちょっと触れただけでポロっと手に落ちた。そのまんまでも美味しいが絞って、「果汁100%のジュース」当時こんなに美味しいものは大将の知ってる限り右に出るものは無い。
今時の言葉でめっちゃ美味しい。

木苺がたくさん採れた秘密の場所でイチゴを取るのに夢中になり、家へ帰ってポケットに入れてあった「鳩笛」が無くなっている事に気がついた。二、三日前祭りで母親に買ってもらった「鳩笛」。
この笛は瀬戸物でできていて、尻尾側から水を入れて吹くとピロピロピロと鳴った
夕方だったが再びその場所へ、暗くなるまで探したが見つからず、その後何回も探しに行ったがとうとう見つからなかった、足場の悪いところだったので踏んで土の中に埋まってしまったのかもしれない。 
白く薄水色で羽と目が書いてあった大切な笛、まだあそこに有ると思うよ。
最近家にも良く似た鳩笛がありやはり水を入れて吹いて見たがそれとは鳴り方が違う。

宇留地小学校記憶編9 年中腹ペコ編

2017-08-14 | お山の大将そばバカ日誌
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お山の大将独り言の時間です  

茅の実)(カヤ)トゲトゲの常緑樹の実、用水の淵に自生、なかなか手が届かなくて歯がゆい思いをした。そこは食い意地の張った大将の事、竹を二股にしてもぎ取り、皮を剥いで乾かし、炒って食べる。これは説明し難い位香ばしく美味しい。

近年近所の焼肉屋さんでカヤの実の炒ったものが出て感激、女将に「これカヤの実ですよね」と言ったら「よく知っとるねー」香ばしくすごく懐かしかったがチョッチ炒りすぎで苦かった。これは畑にあると言ってた。羨ましい

藤の実)乾かし皮を割り、炒って食べる。割る前のサヤは25cm程、茶色で硬く頭を叩くと「コン」どころの話ではない頭の芯まで届く痛さ、「カキーン」かも

カラスのエンドウ)  今も敷地内の彼方此方に自生、蔓性の雑草、味も形も栽培エンドウそっくり、長さが最大でも6cm程度、幅6mm, 付け根側を5mmちょい程切り、先端カーブ側から元の方まで爪で割る。種を除き、カーブ側を口の中、切った方を唇で挟み、吹くとビービー鳴った。(シービービー)

20数年前住んでた住宅地で子供達に教えたら瞬く間にあちこちでビービービービー

良い香りの缶が) 学校の厨房と言っても釜と鍋とカマド(へっつい)バケツに柄杓、棚に何だか判らないがすごく良い香りのする4ℓ位の缶があった。中が金色でいつも鼻をくっつけて匂いを嗅いでいた。

4、5年経ち父親の仕事(石川県庁の職員)で食べて行けるようになり、金沢へ引っ越し、父親がパチンコで取って来た色々な景品の中にミカンの缶詰があり、これと同じ匂い「これだっ」やっと判ったあの香り。
父は沢山取れた時のパチンコ玉を持ち帰りビニールパックに入れ、タンスの一番上にしまって置いて次に使うと言う堅実派。


文中食べたものは大将だから無事だったと記して置く  次も植物編

宇留地小学校記憶8  年中腹ペコ編

2017-08-08 | お山の大将そばバカ日誌
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お山の大将独り言の時間です   宇留地小学校記憶8  年中腹ペコ編

グラウンドの淵に植わってる桜(花を愛でる桜)花が終わるとポツポツと実がなって赤黒く熟すと食べられる、そうですサクランボです。これまた苦甘い。大将は花より団子、食い気が先、枝の先の実を狙って「ポキッ」。  苦甘痛いんです

梅)  よそん家の畑で黄色く熟れた梅をもいで食ってたら草むしり中のおばあちゃんに見つかり逃げた、が、家に帰るとそのおばあちゃんが玄関先に居て、母親と話してる、「うわー梅泥棒がバレたー」・・・覚悟を決め、しょげた顔を作り、家に入ると母親の「くにお又〜」この「又〜」と言うのは2回目又は複数回と言う事ですよ、これが来るかと思いきや、実はそのおばあちゃん梅を持って来てくれたんです。大将ゼーンゼーン図らずも我が家に貢献したわ訳だ。
青梅はカリカリと美味しいが食べない方が良い、青酸物質が含まれててお腹を壊すと聞きましたが・・・脅しか?  (正確にはクエン酸だから)

竹の子) 孟宗、根曲がり、熊笹、其の他も生でも焼いても美味しかった。1メートル位伸びたてっぺんも大丈夫。
熊笹のてっぺんの新芽を抜いて巻きを一度ほどき今度は緩く巻く、元の方は食べられる、吹いてブーブー鳴らして遊んだ。  ただブーブーだけ

ススキの新芽)穂が開かないうちの棉様のところはシットリしてて食える、と言うか食った。   これがほんのり甘く意外と美味しいんだ

近くの瓦用の土が採れる場所に磯野波平さんの頭の様な山の頂上付近、大将の秘密の場所に榊に良く似た低木にできる甘酸っぱい5mmくらいの実(くろまめ かも)食感も形もブルーベリーを小っちゃくした様な感じ。誰に教えてもらったのか記憶にない。  成人しても木は其の場所にまだあった。

言っとくが特に頑丈な胃腸の大将だから大丈夫、良い子は真似をしない事

宇留地小学校の記憶7 年中腹ペコ編

2017-07-31 | お山の大将そばバカ日誌
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お山の大将独り言の時間です

宇留地小学校記憶7  年中腹ペコ編

校舎沿いの中庭に植わってたイチゴは不思議だ、いつ見ても青く堅い実ばかりがぶら下がってる
だーれも赤いのも半分ほど赤くなったのも見た事も食べた事もない変なイチゴ。  ドキッ!

山茱萸(こう書くそうだが)「ぐみ」と打ち込む方があの甘渋い味が浮かびやすい
赤く熟したものが良いのだが赤と緑の半々のもまで食ってしまう。タネはふにゃふにゃ
しわくちゃででっかい、実が赤くっても甘渋く舌に後まで渋が残る。余りたくさん渋いのを食べると便秘を起こすから要注意。 
大将はこんな事で母親に浣腸を何回か、ひまし油の洗礼もあった。
ひまし油、最近の人はわっかるかなぁ(人工的 ゲロ)

桑の実 これは美味しい、赤黒くなったものが甘くて美味しいのだが、そうなると野鳥との戦い、特にヒヨドリ、ギャーギャーやかましく警戒心が強くすばしっこく大食い、ただ完熟を好むようで、それより先の完熟してなく少々酸っぱく赤っぽくなっただけの実を食う人間の方が有利だ、が、奴は空から来るのでやはり年中見張る事もできずとても敵わない。

今住んでるところも山の中、桑の季節、仕事中に例のギャーギャーが聞こえると地団駄を踏むほど悔しい「また来てやがる」、餌台に来たヤマガラを追っかけ回し餌を独占、ヒヨドリがとまれない様に入り口を小さく作る。

桑の実はジャムにすると美味しい、プチプチと種が触るがそんな事より自然の恵みの美味さの方が断然勝つ。 山葡萄、アケビ、(川あけびは茶っぽい、山あけびは紫色)もしかしたら種類の違いかも知れない
オニグルミ、 石で割り竹で作った楊枝でほじくって食べる、甘皮は渋く中身は少〜し油っぽい
自然薯とそのツルにできるムカゴ(ムカゴ自然の方はアクが強いが美味しい、生でもOK、傘を逆さにし、ツルを揺するとポトポト落ちた)

文中の食べたものは大将だから無事な事を記して置く 





小学校記憶編6  なにせ年中腹ペコ

2017-07-26 | お山の大将そばバカ日誌
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宇留地小学校記憶6  なにせ年中腹ペコ編
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お山の大将独り言の時間です    
昭和24、5年頃の我が家は貧乏と戦後の物資不足とでドン底だった。其の頃父親は辛うじて建設省関係の仕事に着いていた。又、海軍の電気技師だったおかげか支給された物と思うが「乾パン」が暫くの間米びつにたくさん入ってた。年がら年中おやつはモソモソの乾パンだったので大将今でもあんまり良い印象はないが最近のは美味しいらしい。
しかし、しかしです 此の乾パン、近所の子ども達の恰好なおやつとして非常に喜ばれ、いわゆる物々交換というやつで、大食いの大将を筆頭に我が家族にとって非常に有り難かった。
季節の野菜、きのこ、柿、お米、時には卵、その頃卵は貴重なタンパク源だったから宝物のように新聞紙か籾殻に包まれていて開くと神々しく輝いて見えた。
ただ、乾パンだけが色々いただく理由ではなく穴水にいた約8年間本当によくしてもらった。

付録 乾パンとハッボ(はっぼは下記H、Maは同級生)
坂を登った所に同級生Tの家があった、T、N、M、Ma、Hの男ばかり5人兄弟が居た。(もしかしたら女の兄妹が一人居たかも知れない)ある日、一番下のHが着物姿で裏から小屋根に登って来て、大将の弟、明の耳元でそっと囁いた「アキアマイモンクウェトウエ」Hは3歳位弟は2歳、翻訳すると「あきら、うまいもんくれといえ」弟にその旨母親に言えと言ってるのです。
Hは家族が農繁期の頃はツヅラといったと思うが藁で編んだ分厚いカゴの中に入れられ、隙間に薄い布団やら座布団を詰め込まれ一人お留守番の時もあった。また。帯で結ばれ1m位余裕を持たせ柱に繋がれて居たこともあった。
今となっても「マイモンクウェト」は我が兄弟の合言葉のように語り草になっている

秋には近所の庭先の梨の木に直径7cm位の小さな実がなった、多分野生か選定なしの放ったらかしの物だと思うが木の高さは二階の屋根くらいあった。大将例のごとく食べ物には他に類を見ない程興味を示しそのまんまガブリとやっちまった「ウッヒャーなんじゃこりゃー」硬くて酸っぱくて渋い、「不っ味い」包丁で割るとキメの粗いゴリゴリの果肉、とても食えたもんじゃない。側にいた梨の木の持ち主のおばちゃん、「ぼや」(言っとくが大将その頃「がっこ」学校の「坊や」と呼ばれててきっと可愛かったに違いない、そう思う。「此の梨は良〜く茹でて食うがや」と差し出した鍋の中に数個の梨、ゴリゴリ感は有るものの甘くてとっても美味しかった。
(大将成人してから金沢の山中で見つけた山梨は4、5cmでもっと小さかった。其の時は熟していたせいかゴリゴリ感とキメの粗さあるものの甘みがありれっきとした梨)(サルナシ?)

そして時々人ん家の 梅、柿、サトウキビ、キュウリ、トマトを黙って頂戴
(川へ泳ぎに行くときは河童に引かれるのでキュウリは食わずに行く)


うるち小学校記憶編5

2017-07-14 | お山の大将そばバカ日誌
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宇留地小学校記憶編5
お山の大将独り言の時間です (昭和26年頃の出来事)

記憶編5はブログに載せて良いものか迷った末、「何十年も前の事だから」となり載せる事にした。

父親は単身赴任で留守がち、決して裕福ではなかった、むしろ貧乏でしたが平穏な暮らしが続いていたある日 何処からともなく茶色の可愛いコロッコロの子犬が2匹学校に迷い込んで来た、「捨て犬」一目で空腹の様子が見えた、後は御察しの通りです。
大将の遊び相手、可愛がり寝ても覚めても二匹と一緒に遊んだ。グラウンドを縦横無尽に走り回り、寝転んで遊んだ、夕方母親の「ごはんよー」の声がするまで、そしてご飯もそこそこに又一緒。
何日か経ったある日学校から帰ると(と言っても学校に住んでるのだから教室からだね)二匹とも姿が見えず呼ぶと必ず来てたのに探し回ったがどこにもいなかった。夜になって母から学校側のクレームで遠くへ離して来たと聞いた。 大将大泣きで母親に「なんで、なんで」と母親の胸を叩き困らせた。(これよくあるフレーズです)
その後3、4日程経った夕方暗くなっての食事中、遠くでワンワンと子犬の鳴き声、「お母さん帰って来た見たい」大将外に飛んで出た、痩せて雨でずぶ濡れ、泥まみれになった子犬二匹、まん丸な目をしてちぎれんばかりに尾を振っている「おい帰って来たか!」
・・・・でも

でも子犬達帰って来ない方が良かった。

今想っても涙が出る、これまで口外は無い、無論当時、今は亡き両親にも話してない。
縄を掛け、引きずり、数百メートル先の小高い山頂、Tの指示で数人の子供達が松の木の根っこに穴を掘り、縛り付け、撲殺、と、生き埋め・・・・これ以上具体的にはとても書けない。大将ただ突っ立ったまま呆然。 
2匹の可愛かったコロッコロの子犬、今もあの山の頂上付近に眠っている はず。
やすらかに     あの頃の一番悲しい出来事、何もできずにゴメンナサイ