陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その70・ねらし

2010-02-23 09:08:20 | 日記
 一夜と一昼をまたいで翌夕刻、メーターが目標の数値を表示した。1230度。窯内の温度が最高点に達したのだ。いよいよ焼き上がりだ。しばらく温度をキープした後、焚き口や煙道がレンガなどによって封じられた。さらにレンガ目も泥でふさぐ。激しい焼成によって生じたヒビやすき間も、同様に修繕する。完全密封状態だ。以降数日間、窯内に残った熾き火にいぶされる純粋な還元状態という環境の中で、作品は寝かされ、熟され、ゆっくりと冷えかたまり、長かった炎との闘いで焼きつけられた勲章を結晶化させていく。
 そして人間も、愛しい作品との再会を待ちわびることになる。この冷却時間の長いこと、窯開けの日の待ち遠しいことといったら・・・。今度は人間のほうが焦がれ、手を尽くしたわが子の姿をはやく見たい歯がゆさに身を焼かれることになるのだ。
 窯に作品を入れるという行為は、つまり創作の最終段階を自然にゆだねるという意味に他ならない。作意を越えた解釈が、炎という自然物によってもたらされる。その人為の届かない偶然にひとは焦れ、期待し、不安に感じ、また憧れる。祈るばかりだ。それが焼き物のいちばんの楽しみであり、苦しみなのではないだろうか。そんなことを思って、作品を持たないオレは、閉じられたマキ窯の前でわが子との邂逅を心待ちにする人々の顔をうらやましくながめた。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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