陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その144・奇跡の光景

2010-05-29 13:17:55 | 日記
 いつも思うのだが、窯を開けた瞬間の光景そのものが芸術品と見える。大小メリハリのついた作品の構成、色彩の調和、ガラス質の光沢と暗い異物沈着の質感のコントラスト。窯の内壁までが、とけた灰の影響で底光りしながら棚と同調していて、はからずもその画づら自体に目を奪われる。まるでガウディの建築物か、ロダンの壮大な彫刻「地獄門」だ。
 考えてみれば、窯詰めしたての作品群は、まだ生まれたての青臭さを漂わせていて締まりがなく、たよりない。形がただそこにあるというだけの落ち着かない存在だ。それが燃えさかる炎の中にあっては、まるで生命を吹きこまれたかのように力をみなぎらせる。自らが灼熱そのものとなって拡張をはじめるのだ。炎の奥にゆらめいて見えるその姿は、荒行に耐える修験者だ。そしてすべての行を終えて冷えきった窯の底にたたずむ彼らは、凝固した金属のように引き締まり、圧倒的な素材感、重量感、緊迫感を宿す。その変貌ぶりは劇的で、息を呑まずにはいられない。薄明かりに照らしだされる静かな光景は、蒼古としつつ怪しげな光を帯びていて、まるでおそろしく永い歳月をへて掘り起こされた黄金の遺跡のようだ。炎が時間を圧縮する。かくて土くれは、炎という奇跡をくぐり、玉となる。
「順ぐりに運び出して」
 窯内に這いこんだ火炎さんのくぐもった声。オレを陶然とさせた自然の芸術作は個々の作品に解体され、リレーで窯の外に運び出される。長大なイカダのように並べられた長板が、次々と大小器で彩られていく。最後の一個が窯口から出ると、足もとはおびただしい作品群によって埋めつくされた。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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