ブログ改題 チャタレー夫人の居ない庭番

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・・・山平氏・アサ芸大滝氏来訪・・・・十月九日午後・・・ 

2009-10-11 05:12:24 | Weblog
・・連合赤軍事件 政治的背景についての聞き取り・・・三時間・・・四十年前の事だから 忘れている事が多い・・六十年安保以降の左翼学生運動の過激・暴力化は一言で言えば 「共産主義解体」の運動だった。もちろん殆どは無自覚だったが・・・・・・・・・「反近代合理主義」に突き動かされた「知的大衆」の糞も味噌もごちゃ混ぜの「血祭り」に対して「共産主義」党派はなすすべを知らず 解体の危機に瀕していた。赤軍等の過激軍事路線の登場は 党派の延命策であった。連赤も中革戦争も 「不純」なる「祝祭」に対する「粛清」なのであった・・・・・・逆ポトラッチ・・そんな風にも思える・・・勝ってうれしい花一文目・・・・・・あの子が欲しい・・・・・ワラベウタが思いだされる・・・・・・・・・・・合理主義は非合理に対して テロルをもって排除しょうとする・・・・「やさしさなんて罪だから」・鮎川信夫・my united redarmy・・・・・スペリングには自信がないよ・・・・・吉本さんは連合赤軍事件について「救援は毛沢東がやれ」そのぐらいしか言って居ない・・・・・・・・まぁ 吉本さんは 慎重に時間をかけて かけ過ぎて マルクス・レーニンから離れて行く・・・・・・余は 連合赤軍事件などを見て 悪魔・悪霊の実在を感じた・・・・・ピース缶爆弾配布にしても ある大きな存在によって動かされたという感覚をしだいに持つようになった・・・・赤軍派が小学生でもやらないような組み立てミスによって 多分 五十発以上の不発弾を作ったことも 神計らい ではないかと その後思う様になった・・・・・・生かされてしまったのである・・・・・・・・・