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年寄りの独り言

新潟県中越沖地震と東京電力と安倍首相

2013年10月31日 | 原発再稼動
2007年7月16日10時13分頃に新潟県中越沖を震源とする新潟県中越沖地震が起こった。3号機すぐ横の変圧器から出火、初期消火ができないまま中央制御室では、多くのアラームが鳴り続け、職員が対応に追われていた。発電所から地元刈羽村への連絡は地震発生から1時間以上経っても無かった。非番からの呼集で原発へ駆けつけた5人の地元消防の手で3号機変圧器の火災は消し止められたのは約2時間後だった。また3,4号炉の炉心の冷却装置の内の片方が停止し、職員は片方の炉しか冷却することができず、すべてが復旧したのは翌朝の6時頃であった。

この時長崎市公会堂で街頭演説で選挙演説中であった安倍首相は直ちに演説を打ち切り、午後5時頃にはヘリで柏崎刈羽原発を視察に訪れその後柏崎市役所で泉田新潟県知事、会田柏崎市長らとも会っている。この行動は現場を混乱にさせる行動として一部で非難された。それは福島原発事故でも菅直人首相によりくりかえされ原子炉の爆発につながったかどうかさだかでないにしろ原子炉のベントを遅らせたことはまちがいない。

新潟県知事からは自衛隊に災害派遣要請があり、現地に隊員と航空機を派遣し給水や給食をおこなった。この時の派遣規模は人員約92400名、車両約35100両、艦船95隻 航空機1184機にのぼり大規模なものであった。

その後の調査でこの地震の際に地震計に記録された加速度は耐震設計時の基準加速度をはるかに上回り3号機タービン建屋1階で2058ガル、3号機原子炉建屋基礎で384ガルであった。また微量の放射性物質を含む水が使用済み燃料プールなどから漏れ出し、一部が放水口を通じて海に放出されていたことが確認されたり、排気筒から放射性ヨウ素の放出が検出されたりもした。

新潟県中越沖地震後の長さ8kmと短く評価していた活断層の長さを新たに23kmと確認されたと発表した。また柏崎刈羽原発は活褶曲の真上にあるようだと発表した学者もある。その後活断層があらたに発見されたり注目されるようになり調査がおこなわれるようになった。

またIAEAも泉田知事の要請により調査を行ない8月14日には早くも予想より被害は少なく事故評価レベル0から8でのうちレベル0と報告している。

この時の東京電力社長は勝俣恒久であったが、県庁で泉田裕彦知事と面会したさい中越沖地震によって起きた柏崎刈羽原発の一連のトラブルについて「原子力特有の設備は安全で無事だ」と繰り返し強調しながら、「いい体験にしたい」と他人事のような発言をし問題になったがその貴重な経験が福島で生かされることはなくさらにもっと重大な事故につながったといえる。



ろうそく

2013年10月13日 | 原発再稼動
死神に気に入られた男が自分の分の命の「ろうそく」が今にも消えそうになっているのを見せられ自分のろうそくに新しいろうそくを継ぎ足し生き残ろうとする。だがその継ぎ足したろうそくは自分の息子の命のろうそくであったというのが落ちである。グリム童話の話で落語にもある。三遊亭圓朝が翻案したらしい。立川談志なども得意にしていた。

10月も半ばなのに東京で気温が30度を超えたのは100年ぶりという。地球の温暖化が言われて久しい。電力会社は「原発」は二酸化炭素をださないから地球の温暖化防止に役立つと喧伝する。だがその「原発」が「一基100万Kwの湯沸かし器」で海水を温めてつづけていることは言わない。火力発電所も同じく海水を暖めている巨大な湯沸かし器である。さらに悪いことに火力発電所は化石燃料を燃やし尽くしその化石燃料は人類には再生できない。

我々人類が1分火力発電所を動かすことは我々の未来の人類の未来を1分づつ奪うという事である。電力会社の儲けが「人類の未来を奪う」という自覚が経営のトップにあるか疑問だ。自分たちの利益のためだけに会社や政策を運用する人々に人類の未来を奪う権利はない。

海燃ゆる 気仙沼 311から2年

2013年07月27日 | 東日本大震災
311の夜に気仙沼湾の海が燃えているのを見ていた。

動画サイトなどにも映像がのこっている。
東北地方太平洋沖地震 2011/3/11 気仙沼の火災

あれから二年。気仙沼の港にも少しずつだが漁船は戻っているようだ。



復興屋台村も





だが戻らないものも。気仙沼鹿折唐桑駅の駅前にどんと居座っているもの。



鹿折唐桑駅から海岸までは1Kmほどもある。



巨大な漁船<第十八共徳丸> 東日本大震災の津波の遺産として残そうという動きもあるようだ。





大槌町のいま

2013年07月24日 | 東日本大震災
岩手県大槌町役場



この役場では町長を含め33人が死亡、行方不明になった。




訪れたときは7月11日で祭壇にはお花が献花されていた。




3/11での死者数779人 行方不明者952人町全体が壊滅。



なぜ津波の恐ろしさを体験しているはずの町でこれほどの犠牲者がでたのか。検証がされていない。



このとおりにも街がひろがっていたはず。



沖にあるずの有名なひょっこりひょうたん島は霧の中ほとんど見えなかった。

陸前高田のいま

2013年07月23日 | 東日本大震災

高田松原の一本松はアンドロイド化されて残った。





311から2年4ヶ月


陸前高田の45号線はダンプ街道になりトラックに占領されていた。





政府の言う高台移転とは巨大土木事業にほかならなかった。





どこからかはわからないが緑の山を崩し高台を造成する。





これが美しい日本を取り戻すことになるのか。





このアパートは崩壊したまま取り残されていた。






気象の話

2013年07月08日 | 再生可能エネルギー

昨日の雨は完全にスコールというべきものであった。日本が年々暖かくなっているのは確実らしい。

気象庁も確実に把握していて「日本の年平均気温の偏差の経年変化(1898~2012年)」このグラフはわかりやすい。

世界の状況も同じような傾向である。

地球全体の平均気温の推移

地球全体の平均気温の推移(WikiMedia 気温)

数年前までは「排出権取引に関する議論」がマスコミで取り上げられたがあれも原発の安全神話同様に幻だったのかもしれない。

 

 


太陽光発電 自然エネルギーと福島

2013年07月07日 | 再生可能エネルギー

自然エネルギー問題を調べるときこの図をいつも思い出す。

Wikiの太陽光発電の中の図である。

ドイツ、EU25カ国および全世界の需要と等しい電力を太陽エネルギーで発電するのに必要な面積[

一番右がドイツ、中央がEU25カ国、そして左が全世界の需要と等しい電力を太陽エネルギーで発電するのに必要な面積なのである。理論的には地球の裏側にこれと同じだけの太陽光発電所を作れば全世界の電力をまかなうことが出来るのだ。

これがWikiMediaの威力のひとつなのかと思う。

日本のエネルギー問題ももっと簡単に考えてみることも出来るのではないか。

例えば太陽光発電所や風力発電所は日本ではヨーロッパやその他に較べると普及が遅れている。だが逆転の発想で福島県にはほとんど耕作出来なくなった土地がある。そこに太陽光パネルを並べれば原子力発電の街から一転、自然エネルギー県になる。

海岸には瓦礫や流れ込む放射能のために働けない漁師達がいるが、海岸線で風力発電を行えば点検やメンテナンスで収入を得ることも可能だ。農家や漁師が小さな自然エネルギー発電所の所長になる。それはこの場所で生業を失った人々が何十年後に夢をとりもどす術と子供達への贈り物になるかもしれない。

予算が足りないとかはナンセンスである。流用すべき予算はいくらでもある。オリンピック競技場の建設費、中央リニア新幹線の建設費は9兆円だという。


幸いアベノミクスにより2012年度の国の一般会計の決算は、税収が予想より1兆3000億円上回るそうなのでこれも大いに活用できる。ただこの金は貸付であって事業がうまくいけばかえしてもらえる。税金で国民全体から徴用するカネとは違う金である。

だいたい復興予算として23兆円もの金を使い切ってあの金はどこにいったのだろうか。たしかに景気は上向いてきたようにも見えるがこれは円安効果と海外からの株投資の影響が大きいらしい。

国は除染費用として建設会社に盛大に金をばらまいたがこれもいずれは東京電力に払わせるのでいずれは電気代として国民につけが回ってくるはずである。


第五福竜丸

2013年03月22日 | 原発再稼動

第五福竜丸とは、1954年3月1日に、アメリカ軍が太平洋上のビキニ環礁でおこなった水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた、遠洋マグロ漁船の船名である。

第五福竜丸は米国が設定した危険水域の外で操業していた。危険を察知して海域からの脱出を図ったが、延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射 性降下物の降灰を受け続けることとなり、第五福竜丸の船員23名は全員被爆した。後に米国は危険水域を拡大、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が 操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられている。(詳しくはWikiで)

第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉がこの半年後の9月23日に死亡した。

NHKニュース 1954年(youtube) (※もう著作権ぎれだと思うが?)

新藤兼人監督、宇野重吉主演の映画「第五福竜丸」もつくられる。

だがこの大騒ぎにもかかわらず後に米国は被爆国への「平和利用」名目で原発導入をはかる。

原子力時代の死角ー核と日本人 原発導入の源流

この原発の平和利用と称するキャンペーンには某新聞の社主が大いに関わったとされる。

原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史

 

 

 


むつ小川原の開発

2013年03月21日 | 原発再稼動

青森県のホームページのなかに「むつ小川原開発の推進」というページがある。このページの図面をみると日本の「エネルギー開発」、「エネルギー振興策」、「原発の推進」がどのような体制で行われてきたのかがわかる。

国土交通省     計画の総合調整・推進
青森県     新むつ小川原開発基本計画の策定、企業誘致の推進、関連基盤整備等
六ヶ所村     土地利用調整、立地環境整備等
(社)日本経済団体連合会     官民プロジェクト誘致の支援、新むつ小川原(株)の経営支援等
(株)日本政策投資銀行     財務・経理面を中心とした新むつ小川原(株)の経営指導、企業誘
致関連情報の収集・提供
新むつ小川原(株)     土地の一体的確保、造成、分譲

この新むつ小川原株式会社の設立目的は国、青森県、経団連等と緊密な連携と協調のもとに、むつ小川原地域の開発だが、本社の所在地はなぜか「東京都千代田区大手町1-3-2経団連会館20階」経団連のビルの中にある。その社長も前日本経済団体連合会常務理事である。

青森県のむつ小川原なのにその主体は国でも県でもなく「経団連」にある。またその開発経過をみると経団連の裏側には「電事連」があり1984年には電気事業連合会会長の平岩外四が核燃料サイクル施設・ウラン濃縮施設・低レベル放射性廃棄物貯蔵施設の青森県のむつ小川原への受け入れを北村正哉知事に要請する。

福島原発の事故やその後の政府の無責任な対応にたいして青森県や六ヶ所村は「原発施設」とその背負うべき責任とその将来についてどのように考えているのだろうか。

 


東京にある風力発電所

2013年03月19日 | 再生可能エネルギー

寡聞にして東京近辺には風力発電所などない思っていた。ところがあると知ったのはつい最近。しかも公園の中なので風車の足元まで行くことができる。

若洲風力発電施設 

交通案内

住所 江東区若洲36番地

東京都江東区の若州公園の中に風力発電のタワーがあった。

自分が行った日は風が強く1400Kw~1500Kwを順調に発電していた。

風説では風車の風切り音がうるさいとなっているがその音もよほど風車の下まで

行かないと聞こえないほどである。

江東区では環境学習の施設として運営しているらしい。

えこっくる江東

えこっくる江東 環境学習館

  • 〒135-0052
  • 東京都江東区潮見1-29-7
  • TEL:03-3644-7130

館自体は若州公園からちょっと離れた場所にある。