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志賀城の歴史探索

2016年11月10日 | 歴史の道/中山道

11/10(木)曇り 薄日は差しているものの寒い日になった。

ここは、武田軍の侵攻により、多くの犠牲を出した地として伝わっている。妙法寺記(勝山あたり(現在、富士河口湖町)の法華宗僧侶によって書き継がれた記録)にもこの残酷さが記録されている。
やや、大げさな記述があるにしても、このことだけはあまり楽しいいこととして受け取れない。
さて、出発。

雲興寺裏の道から登る。5分ほどのぼると林の中は、紅葉がちょうど見ごろ。

志賀城の東端。林間の見えるのが高棚山(高棚城)。

ほぼ平らな城郭を西側に歩くと、大きな石を並べた石積みがみられる。

さあ、帰ります。下山中。下には、民家が多数見えています。
これなら敵の動きもつかめます。ということは、正面から攻めるようなことはしないということです。

田んぼの中にある「笠原新三郎清繁の首塚」。

こちらはおまけ。「神津家の赤壁」です。
生け捕り、残るものは皆殺しと伝えられていますが、この戦国のさなかどのように神津家は生き残ったのでしょう。



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