2018/11/18(日)晴れもう一度行ってみたい宿場「初期中山道小野宿」中山道には、塩尻宿を通らない初期中山道がありました。この街道は江戸側は下諏訪宿から小野峠(三沢峠)を越えて宿場に入る。京側へは、牛首峠越えて桜沢(本山宿と贄川宿の中間地点)で、中山道に合流する。峠を2か所通過するが、距離が近いので近道として利用されていた。<TOP写真>旧小野家旧小野宿は本陣や脇本陣はなく、小野家が問屋役を務 . . . 本文を読む
東信濃の東山道少し、説明を補足します。
東山道について<ご質問>保福寺から松本のあたり、ルートはどこを通っていたのでしょうか?<返信>この付近ルートを復習してみます。覚志(かかし)駅(現塩尻市)~錦織(にしごり)駅(現松本市四賀~<保福寺峠>~浦野(うらの)駅(青木村)~亘理(わたり)駅(上田市)・・・となっていますが、松本市側が現在の国道143号→県道181号→県道12号を . . . 本文を読む
「夢遊館」館長 茂木さんのお話から補足説明は⇒こちら
近江国の勢多駅(せたのうまや)を起点として東国に向かう東への山の道東山道美濃の国の坂本駅からの最大の難所といわれた神坂峠を越えて信濃の阿智駅に通じ東信濃路へ松本保福寺 浦野駅 亘駅 清水駅 長倉駅 入山峠を越えて上野国へと東山道が総駅八十六駅信濃では十五駅で伝馬総数六十五疋である。
官道について
東山道は、 . . . 本文を読む
佐久平スマートICから、西へ下った場所からの浅間山です。帰り際に、ふと見ると、しっかり雪で覆われていました。この時期でも、ここまできれいに雪があるのは、珍しいことです。この辺りの西側を、中山道になる以前の古道があったといわれています。勇姿を見せる浅間山この辺りです。 . . . 本文を読む
<Topページ>野澤館(大正期からの老舗旅館です。)敷地内に、千曲川の氾濫の際に地境の目印になる境界石があります。2020/05/21(木)曇り、雲が厚くこの時期にしては寒い日になりました。野沢宿は、佐久甲州道(※) 、上州道と中山道八幡宿からの根際道の交差する交通の要衝であった。また、鎌倉時代より伴野氏の荘園として、耕作地が広がり豊かな米どころであることもあり、米をはじめ食料、物資の物流基地とし . . . 本文を読む
2020/4/8(水)御牧ケ原の野馬除(のまよけ)史跡の現地学習御牧ヶ原という場所は、長野県佐久市(旧望月町、旧浅科村)、東御市(旧北御牧村)と小諸市にまたがる広い台地です。この御牧ケ原が、「望月牧」として知られる牧場で、馬が飼育された場所でした。このような牧場は「御牧」と呼ばれ、甲斐・武蔵・上野・信濃国の4国に32牧が設けられていました。これらの中でも「望月牧」は、最大の規模を誇り、ここで飼育さ . . . 本文を読む
2020/3/19(木)八幡宿現地学習佐久歴史の道案内人の会の野外での会員学習会を開催いたしました。定例会の後の午後の時間を使い、約1.5時間で主に中心部を歩きました。
主な、ルートは、JA駐車場→八幡神社境内見学家→町家見学→脇本陣依田家/本陣本陣→根際道交差点→盗人道→桝形→常泉寺→生水大神→JA駐車場 . . . 本文を読む
2020/3/19(木)塩名田宿現地学習3/26(木)開催予定であった、歴史セミナー受講者の「現地学習」は、新コロナウィルス感染症の拡大防止ため中止になりました。しかし、佐久歴史の道案内人の会では、野外での会員学習会を開催いたしました。主な、ルートは浅科公民館→本陣/高札場→佐越家→佐藤家筆塚→斑稲荷神社→正縁寺→お滝の水場家→ . . . 本文を読む
7/28(日)晴れ<コース>午前:浅科小学校→長念寺→築堰→上原地区→上原大盤台→墓所→五郎兵衛記念館=(バス利用)=大池→矢島地区(穴尻)→大土手→宝泉寺→八島城跡→布施川掛樋→片倉堀貫→鹿曲川取水口→五郎兵衛記念館午後:五郎兵衛記念館→大河原峠& . . . 本文を読む
7/15(祝・月)晴れコース: 岩村田駅→西念寺→旧大井法華堂→陣屋址→龍雲寺→善光寺道分去れ→住吉神社→西念寺→大井城址→笹沢家→伊勢屋敷跡→藤が丘城址・鵲神社・招魂社→城址1/4周(移設井戸)→(常木用水)→ヒカリゴケ→甲州道分去れ→曲 . . . 本文を読む
2019/07/29(月)晴れ 酷暑ともいえる天候です。<コース>穂ノ香ホール(交流文化館)→根ぎわ道(富岡街道)→八幡宿→小松家→本陣(門)→八幡神社→御井大神→五郎兵衛用水(築堰)→長念寺→穂ノ香ホール<八幡宿の概要>* 宿場開設:宿場北方の蓬田(よもぎだ)村27軒、桑山村16件、宿場南方の八 . . . 本文を読む
6月1日(土)五郎兵衛用水・八幡宿 3時間コース穂ノ香ホール→八幡宿本陣→八幡神社→下原寄池→水道紀功碑→下原盤台→つき堰→穂ノ香ホール7月6日(土)塩名田宿 2時間コース浅科保健センター→本陣→海老屋→班稲荷神社→正縁寺→(下の道)→滝の水→河原宿&rarr . . . 本文を読む
瀬戸内の村上氏は、清和源氏頼信と伝えられている。村上の名は、940(天慶3)年から翌年にかけて、藤原純友の乱に伊予越智河野氏のもとで従軍したとされる。
(ストックレスアンカー=コンテナ船の重りのことでしょうか?水軍城の入り口に置かれていました。)
そして、源頼義が、1051(永承6)年、前九年の役の年に伊予守として赴任してきたとき、甥の村上仲宗に命じて寺社の造営したとされる。その後、南 . . . 本文を読む