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小野町索道防護工と岩脇機関車避難壕

2023年05月26日 | 鉄是好日
彦根市小野町にある索道防護工
索道は無くなって久しいが、コンクリートの劣化もあって撤去工事が行われるようだ

いつも鉄道関係の見学でお世話になっているHさんの引率で、彦根にある小野町索道防護工と米原の岩脇(いをぎ)機関車避難壕を見学して来ました。

防護工はかつて鉱山からセメント工場に原材料を運んでいた索道(ロープウェイ)が新幹線をオーバークロスする位置に岩石の落下被害を防止するために建設されたもので、写真の様に結構しっかりした構造物になっています。 ネットで調べるとどうも多賀にあった原材料の送り出し側の鉱山は1975年に閉鎖、セメント工場の方も1996年には閉鎖されており(今はイオンモールに・・・)、おそらく1975年頃以降はこの防護工は用済みになっていたようです。


索道(原料運搬用のロープウェイ)があった頃の地図(左側)と現在の地図(右側)
〇印の神社(八幡神社)が目印(合成地図は「今昔マップ」で作成)
防護工は索道が新幹線をオーバークロスする位置に作られた

新幹線の上に岩石が落下しては大変ですが、それは名神高速道路とて同じこと。名神高速道路にも同様に索道のルート下に同じような防護工があり、構造物に取り付けられた銘板を拡大写真で見ると小野ガードアーチという名称で、灰白色に塗装されていますがこちらもコンクリート製の構造物の様です。名神構想道路で車を運転していると割と目立つので、こちらの方がご存知の方は多いかも知れませんね。

小野ガードアーチの銘板のある名神高速道路上の防護工
落下被害防止なら、かつては天板の様なものがあった?

冒頭の写真左手にクレーンが写っていますが、索道防護工の琵琶湖側に工事の為のスペースが作られており、索道防護工は既に用済みである上に構造物を近くで見るとコンクリートの劣化も目視できるので、おそらく近いうちに撤去工事が始まるのではないかと推察されます。
ところで小野町という地名は、ここが小野小町の生誕地という話があるからだそうで、近くの旧中山道沿いには小町塚というのがありました。

次に岩脇(いをぎ)の機関車避難壕ですが、こちらはいをぎ町づくり委員会作成のパンフレットによると米原機関庫の蒸気機関車を空爆から守るために、第二次世界大戦末期に専ら朝鮮人労働者によって掘削されたものとのことです。
避難壕は東西2本あり長さ約130m、いずれも機関車を収納できるような断面にはなっていませんが、うち東側の一本はとりあえず貫通、もう一本は非貫通のまま終戦を迎え、以降はそのままとなって昔を今に伝えています。壕のある岩脇山は固い岩盤で出来ており、発破の為のドリル穴、ツルハシやスコップでの手掘りの跡も生々しく残っています。


第二次世界大戦直後に米軍が撮影した航空写真(国土地理院)
赤で追記した部分がトンネルのおよその位置で、引き込み線用の築堤が確認出来る

貫通している東側のトンネル 湧水で中央部には水が溜まっている(写真前方が北側)

上下二段に掘り進んだことが良く分かる西側の非貫通トンネル(写真前方が北側)
先端部の壁が白く見えるのは照明と湿気によるカビのため

韓国での徴用工の問題は未完のままで、日韓関係の「棘」になっているのはご存知の通りですが、こんなところにも忘れてはならない歴史があることに改めて気付かされました。



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