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中村天風とカリアッパ大聖人とアルプスの神童ハイジ

2024-02-12 09:11:57 | 積極精神!!中村天風

 

「中村天風氏の積極精神」と「アルプスの少女ハイジ」と「カタカムナウタヒ」と「量子力学」は同じ事をいっている

 

中村天風悲運に心悩ますな  著者 広岡達朗 株式会社幻冬舎

より敬意を持って引用させていただく

 

p3 6行

天風さんは 1 8 7 6  (明治 9 )年、大蔵省紙幣寮 (現・国立印刷局 )初代抄紙しょうし部長の三男として東京都北区で生まれた。福岡・柳川藩主 (立花家 )の孫にあたる家柄だが、16歳のとき、日露戦争前の満州 (現・中国東北部 )に渡り、陸軍 の諜報ちょうほう部員として活躍した。
その後、1 9 0 6  (明治 39 )年に30歳で重い奔馬性ほんばせい肺結核にかかり、細菌学者で結核の最高権威だった北里柴三郎博士から「これはダメだ。君は 35歳までに死ぬ」と宣告された。しかし病気を治すために 33歳の1 9 0 9 (明治 42 )年、アメリカに密航する。

コロンビア大学で医学を学んだのち、人生の真理と名医を求めて1 9 1 1 (明治 44 )年にはロンドンに渡った。さらにフランスではリヨン大学で学び、ドイツのベルリン大学では哲学を学んだが〃死病〃を治すことはできなかった。
絶望した天風さんは同年 5月、「どうせ死ぬなら日本で富士山を見てから死にたい」と帰国を決意。フランスから船で帰国の途中、エジプト・カイロのホテルでヨガの大哲学者・カリアッパ師にめぐりあう。

 

p33

第2章 ヒマラヤ山麓で学んだ「天の声」

中略

天風さんが難病を治すため、ヒマラヤ山麓で2年7か月にわたって続けたヨガ修行の話である。 
欧米を渡り歩いて医学の勉強を積み、世界的な名医を訪ねても重い結核が治らなかった天風さんは、「死ぬなら日本で」と海路帰国途中、エジプト・カイロのホテルでヨガ哲学の大聖人・カリアッパ師に出会う。大聖人は一目で天風さんの重病を見抜き「お前は、右の胸に非常な病を持っているね。俺の行くところへついてこい」と勧めた。
天風さんが運命の糸にすがるようについて行ったところは、ヒマラヤ・カンチェンジュンガ山麓にあるカリアッパ師の故郷・ゴーグ村だった。
身分階級 (カースト )が厳格な村で、大聖人は最高位のバラモン族だった。その下には王族から平民のヴァイシャなど 3つの階層があり、天風さんは最下級のスードラとされた。当時は馬や羊、豚などの家畜より下の奴隷である。 

天風さんは毎日、ヒマラヤ山籠の奥に通い、カリアッパ師とともにゴーゴーと流れ落ちる滝のそばに座ってディヤーナ (瞑想)を続けた。師は、何も教えてくれない。二人は朝から日暮れまでひたすら座禅を続けた。修行を始めて半年ほどたったころ、病気や将来への不安、不満が募った天風さんはやせ細ったヨガ聖人に問いかける。

「瞑想の第一条件は、心を静かに安定していなきゃいけないんでしょう ?なぜもっと静かな場所で修行させてくださらないのです?」

天風さんが、がまんできずに聞くと、聖人から笑顔が消えた。
「あの水の音がそんなにうるさいかい ?お前のディヤーナのためにあそこを選んだのに、そのわけがわかっていないようだね。一口にいやあ、天の声を聞かせてやろうと思ってよ」

「天に声があるんですか ?」と聞く天風さんに、聖人はいった。
「あるよ。現在のお前さんのように、水の音ばかり気にしてる耳には、天の声どころか地の声も聞こえないだろう。あしたから岩角で瞑想の合間に、鳥や獣や風の声を聞こうと思って、とにかくその音をつかまえる気分を出してごらん。それからだ、天の声は」

 

 

*「天の声」は「声なき声」


聖人は、「いつも天の声を聞いている」という。それどころか「地の声」もあるという。
それは人間の声ではなく、「地上にある 鳥や獣の声や、風で木がすれあう音」だという。

聖人はピンとこない天風さんを、翌日から滝のそばの岩角に座らせた。瞑想の合間に鳥や獣や風の音を聞かせるためだ。天風さんは瞑想どころではない。初めのうちはゴーゴーと鳴る滝の音以外、何も聞こえなかったが、2〜 3時間たつと、時々かすかに、岩を飛び交う鳥の声や、遠くから豹ひょうの声やセミの声なども聞こえるようになった。しかし、肝心の「天の声」は聞こえない。聖人は苦悩する弟子に「どんな音を耳にしても、心がそれを相手にしないと、そのとき天の声がわかってくるんだよ」と謎のような教えをさずけるが、弟子には理解できない。
 3か月ほど苦闘したころ、「やめた。こんな難しいこと」と半ばやけになった天風さんは仰向あおむけになって半眼で空を見上げた。すると、日本の初秋のように晴れた空に雲が漂っている。思わずさまざまな形の雲に見とれていると、聞こえているはずの鳥や獣や風の音は耳に入らず、雲の漂いの中に入って無心でいる自分に気づいた。

「あつ、これだ」

天風さんは一瞬、悟りのようなものを感じたが、「天の声」らしきものは聞こえない。

夕刻になって修行からの帰途、カリアッパ師に「雲を見て、フーツと気がついたら無心でいたんですけど、無心でいたときに天の声、聞こえませんでしたが」と尋ねると、師は「それが天の声だ。天の声とは声なき声よ」と英語で答えた。

 

 

*すべてが心。病を忘れれば病人ではない


このときの感動的なやりとりを、天風さんは講演で披露している。

                 *

カリアッパ師 (以下、力 )「その雲を見入ってウットリとなったとき、ふだん、お前さんの心に張りついている死に対する恐怖念や、病からくる苦痛、しょっちゅうお前が私に息苦しいの、いまにも息がとまりそうだの、それから何ともやるせのない寂しさを感じますと言ったあれ、あれをお前、心に考えたかい」天風 (以下、天 )「それはぜんぜん考えません」
カ「そうだろうなあ。すると、その雲の中に心が溶け込んでいるあいだは、お前さんは肉体に病があっても、ないと同様に命は生活をしているということだな」
天「そうです」
カ「わかったら、 これからできるだけそういうふうに心を、病からも、あらゆるものからも離しなさい」
天「それで病が治りますか」
カ「治る、治らないなんてことを考えちゃだめだ。考えてみろ。病なり運命から心が離れたときは、病があっても、その人は病人じゃない。運命が悪くても、その人は運命の悪い人じゃない。ようく寝てる人間は何も知らない。何も知らない人間に病があるか。目が覚めて、ああ、病がある、と思うんじやないか。

たとえ病がないときも、病のことを心が考えりゃ、病があるのと同じだ。運命がよくても、運命が悪いときのことを考えりや、その人は運命が悪いのと同じだ。

すべてが心だ。だから、肉体の病は肉体のものにして、心にまで迷惑をかけるな。心に迷惑をかけたくなけりや、折にふれて、心に天の声を聞かすようにしろ。つまり声なき声のあるところこそ、心の本当の安らぎの場所だ。たまには心を休めてやれ。そこに心を休ませてやると、いっさいの迷感が心にかからない。すると、心はすぐ、本然の力が命のなかで働き出すようにしてくれる」
天風さんはこのとき、涙がボロボロ出たという。日本の北里柴三郎博士に見放され、欧米の大学で学び、名医を訪ね歩いても見つからなかった妙薬が見つかったかった瞬間だった。
生まれ変わった天風さんは、西洋医学の薬ではなく、自分の心で宿病も克服した。心を天の声と同化させ、心の持ち方を転換させることで生まれ変わった天風さんとカリアッパ師の対話は、「気持ちの持ち方で健康も運命も変わる」心身統一法の根幹に通じる。

 

以下動画は「アルプスの少女ハイジ」、物語の最後、都会で暮らす足の不自由なクララが、アルプスを訪れ、山の大自然の中でリハビリ生活を始める

ハイジ、ハイジのおじいさん、ペーターたちの「クララの病が良くなるように」という日々の思念と、アルプスの大自然の持つエネルギーが共に共鳴し始める、ゴミと化した西洋医学、ゴミと化した人間の作ったしきたり

アルプスの山の神と、人々を自ら発する強力な癒やしのエネルギーで圧倒する神童ハイジ、厳しい自然と対話しないと生きていけない日々に生きるハイジのおじいさんの鋭い哲学的洞察

とても、子供向けに思えないレベルのストーリー、あの宮崎駿(パヤオ)氏も制作に参加している作品

カリアッパ大聖人と中村天風氏のエピソード教訓は、ハイジのストーリーと同じ教えがある

中村天風の「積極せきぎょく精神」の教え、心の持つ力は人間の想像を絶する、このことにほとんどの人は気が付いていない、西洋医学よりも心の持つ力の方が遙かに上ということも

思念が現象に及ぼすチカラはカタカムナウタヒの説くところと同じ

量子力学の考えも同じ

おっそろしいくらいみ~~んな同じ! Σ”(⚙♊⚙ノ)ノ

アルプスの神童ハイジ

「立ってごらん」

「クララが歩いた」

「また会う日まで」最終回

 



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