アムロとララァが体験した世界、なぜ二人は以心伝心が出来たのだろうか
二人は、一体、どこにいたのだろうか?
二人は、未来に何を予見したのだろうか?
「瞬きの谷間」と表現される特殊な次元の世界の体験があるという
山蔭神道において、その次元のことをどのように捉えているのだろうか
解説をしてゆく
「神道の生き方」は絶版、現時点で古本は存在するようだが、やはり数は少ないのでいつ入手困難になるかわからない
故山蔭基央氏は戦後の日本を憂慮しておられた
僭越ながら一助となるべく
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の生き方」学研パブリッシング社
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
p269 15行~
さて、霊界の構造は、二五七ページの表のごとくなっている。
各界の様相は類似しているものが多々ある。山野海川の景色がそろっていて、花鳥風月が備わっている。ただし、高級な霊界は光輝いており、低級な世界は薄暗い曇天世界である。
別しても幽界と呼ばれる世界は、薄明旦暮の世界で、夕暮れか暁のような明るさである。気温は晩春あたりの夕暮れの気候であろうか。寒くはないが暖かくもない。
ところが、高級霊界となると、世界全体が輝いている。さらなる高度霊界に入ると、透明化してくる。必要なものだけ鮮明に見える世界である。そこにいる高級霊も融合状態にあるので、大勢の人々には見えない。
したがって、山に入れば山の景色が、野に出れば野の景色があり、浜辺に出れば浜辺の景色がある。
幽界にある都会に出れば都会の建物がある。当然、スラム街もあれば、高級住宅街もあり、貴人の館もあれば、一般の家屋もある。また高層のビルもあるわけで、「霊界を知っている」と語る人の体験した世界とは、いったいどこであるんか尋ねてみたい。
霊界には、いわばタテの世界もあれば、ヨコの世界もあるということである。横の広がりについても、ヨーロッパ霊界もあれば、中東やアフリカの霊界もあるわけで、全地球に霊界は広がっているのである。
だから西洋人もいれば東洋人もいるのであって、日本人だけがいるわけではないことを知っておくべきである。
257ページの図を一番大きく分けると以下の様になる、さらにこの霊界は細かい層に分けられる、山蔭氏はこれらの区分を「これは山蔭神道だけの世界観だと見てもらってよい」と記している
p120 1行
六、古神道の超時間とは
一瞬の純粋無を会得せよ
われわれ一般人には一瞬の長ささど、どうでもよいことだが、修行者にとっては一瞬(一秒)は重要な時間である。その一瞬の谷間は、永遠につながる絶対の空間であるからだ。そればかりではない。タテの広がり、ヨコの広がりをもつ。
一瞬またたきは無窮の時間に近い。そして、その瞬きの間に認識したことは無限の量に比敵する。そのときに認識したことは忘れることはなく、さらなる刺激によって、多くの答のヒントを与えてくれる。
それゆえ、太古神道の修行者で、この一瞬(一秒)の谷間に落ちた体験を一回でももつ者は、天才と見ゆる知能を発揮できる。
では、どうすれば一瞬の谷間に入れるのであろうか?これはきわめて難しいようだが、一心不乱に百ヵ日も修行していると経験できる。
中略
かくに一瞬の谷間に入れば超人をつくるものだ。瞬きまたたきの谷間は心の中に湧き上がる知恵の泉を掌握でき、まさに無限に近いものがある。しかも百ヵ日の鎮魂行をしていると、背中・肩・頭上から、ほのかな白光を放つようになる。そうなった人間は、必ず一瞬の谷間に落ち、すばらしい“光の幻想”に入ったはずである。
p286 4行
世の中には、この浄明界へ自由に出入りしていると自称する人があるが、じつのところ、肉体では入ることが出来ず、また脱魂だっこん状態での幽体飛行も無理である。この浄明界一層に三十九分滞在するにあたり、現世では百日間の脱魂状態が必要になるわけで、それはまったくの虚偽発言である。
かりに、脱魂二時間以内で出入りできる世界があるとすれば、それは低級な幽界でしかない。浄明界や高級霊界に出入りしようとするなら、感応という方法を用いるしかあるまい。
感応した擬似霊視状態であっても、浄明界に感応した場合は、「瞬またたきの間」に永遠を見ると感じるものだ。したがって、ほんとうに高級霊界に感応すれば膨大な情報が得られる。しかも充分に鮮明な記録として残っているものである。しかし、この感応を「脱魂して得た情報である」と称している人々があるとすれば、虚偽の発言となる。
中略
かくに、脱魂帰神の程度では神界・浄明界への訪問は不可能となるから、高級神界や浄明界へは感応を深めて知的理解をしていくことが重要である。それが多重次元を構成している顕幽相関の宇宙へのアプローチの仕方である。
p241 15行~
とにかく死の直後の幽界において、禊祓を経て、一日も早く和魂(幽体)を脱ぎ捨てるべきだあり、幸魂を表面とする奇魂・直日霊だけの高級霊界人(浄明界人)になるべきだが、浄明界人にまで脱皮すると、宇宙始源のエネルギーを感受することができるようになり、やがて直日霊(原因体)に帰着し、神話中の神々と同格の人間になれるというわけである。
p126 3行~
わが中山家や山蔭家に伝えられている鎮魂法は、「眠る」と「醒さめる」の谷間(瞬の間=一秒間)に入るための技術である。
人間の心というものは、ゴミ箱のように雑多な紙クズを押し込んでグシャグシャとなっているので、百ヵ日くらいの時間をかけて、心のゴミ(雑念)を整理浄化し、瞬の間に入る技術を会得するのである。
瞬の間に入ることは、そんなに難しい問題ではない。恐れることなく前に向かって精神を進めるべきである。
中山家、山蔭家の解説
「神道の神秘」は、現在もロングセラーで、鎮魂法だけでなく、非常に有益な情報が数多く掲載されている、おすすめ書籍
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の神秘」春秋社
敬意を持って引用させていただく
p27 3行
山蔭家は、歴代皇室に仕えて信任あつかった古神道家であり、わが国最古の医書『医心方』を著わした丹波朝臣頼は山蔭家の第四十七代である。第七十五代山蔭員衡かずひら卿(一七五一ー一八一〇?)は、吉田神道の分家である神祇大副じんぎのたいそう従二位萩原員幹かずみきの嫡男で、家伝をもとに、太古神道に吉田神道や垂加神道を加味総合して山蔭神道の基礎を作った。次の第七十六代中山忠伊卿(一八〇四ー六四)は、光格天皇の庶出の皇子であり、幕末時に討幕運動に参画し、摂津において自刃された。そして七十七代中山忠英卿(一八四六ー一九一六)、七十八代中山忠徳卿(一八九八ー一九五七)と続き、私が第七十九代を継いだのである。
次回につづく