皆さんも、一度は耳にされたことがおありと思う、「高天原はどこ論争」
「うちの場所が、高天原」、「いいえ、うちこそ高天原」と
それなら、いっそ「○○銀座」ならぬ、「○○高天原」とすれば全国丸く収まりそうだが、それぞれ意地があるからそうにも行かない
では、山蔭神道では、高天原の場所をどのように考えていたのだろう
「神道の生き方」は絶版、現時点で古本は存在するようだが、やはり数は少ないのでいつ入手困難になるかわからない
故山蔭基央氏は戦後の日本を憂慮しておられた
僭越ながら一助となるべく
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の生き方」学研パブリッシング社
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
p170 12行~
『古事記』初頭では、高天原は「天地のはじまりより存在する根源世界」となている。
そのため、『古事記』上巻の初頭には、「天地初発あめつちはじめの時、高天原に成りませる神の名みなは」と記している。この高天原が地上の狭い僻地にあるはずはないではないか。
かくて「天地初発の時」は、現代風には「宇宙初発の時」と読むしかない。その証のごとく「天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三柱の神は、みな独神に成り坐まして隠れ身にます」とある。
この一文は重要である。天地初発のときの三神は極微の点のような存在であって、隠れ身であるというのだから、非常に重要な表記である。
『古事記』の編者・太安万侶おおのやすまろは、深い意味がわかって記していたはずである。
山蔭神道家の伝では、天之中主神を太元霊と尊称し、別の名を天津渦渦志八奈藝大神と申し上げている。そしてさらに「円中の一点」とも解説している。さらに、左巻き・右巻きがあって「左周三転」という語もある。
その渦巻き文様は、縄文中期からの土器に出現する文様であって、約八千年の太古からの文様である。
これはもとより関東・東北地方に多く出土しているので、大和朝廷とは異なる世界のようだが、岡山県真庭市落合町の下市瀬遺跡の土器にも渦巻き紋があるので、縄文の渦巻き紋は広く分布しているということになる。
また、福島双葉郡双葉町にある清戸迫きよとさく古墳の壁画の、渦巻きの端が人物の腕につながっている図象は、何を意味しているかは不明であるが、巨大なエネルギーが某人物に注がれていることがわかる。それは超能力なのだろうか、大神霊なのだろうか。いずれにせよ、縄文時代の人々がもつ世界観が見えてくる。
そして、この渦巻きの大きさから見て、ほんとうに巨大なエネルギーを感じているのだという気がしてくる。
このように考えると、山蔭神道家伝の「渦' 渦' 志八奈藝」とは、左巻き・右巻きの渦が四方八方に、つなぎ手足が伸びているという表現となるのである。この発想は、遺跡や土器の渦巻き紋の思考につながるものであって、複雑な文字(漢字)表現が多様化した平安時代以前からあることがわかってくる。
このように見てくると、天之御中主神とは、小さな点ではなく、大きな渦巻きに発展する点を意味する。次の御産巣日神・神産巣日神の両神は、左巻き・右巻きの渦であって、天之御中主神から分かれ出でたものではなく、独自の存在である。これが独り神という表現になっているわけであり、重大な言葉である。
すると、真の高天原とは、渦巻くなにかが誥たけっている世界であるとみなされていたのではあるまいか?
中略
高天原を解くカギは、要は「ムスビ」にあるわけで、これは「結び」につながるが、『日本書紀』は「産霊」の字を用いている。しかし、その象形は渦巻きを連想させる。世に造化三神ぞうかさんしんの語があり、それはアメノミナカヌシ・タカミムスビ・カムミムスビの三神を指す。これは三連の渦(縄文中期の文様)を思い起こさずにはいられない。
かくのごとくして、真の高天原は大宇宙の中心角をなすところという意味になるわけで、造化三神は、神道の神々のなかでも超が着く特別の神であられる。
p173より敬意を持って転載させていただく
次回に続く
天津渦渦志八奈藝大神とは何か?そのエネルギーをからだに取り込むには
神様のエネルギーは渦、そして山蔭神道の鎮魂法はそのエネルギーを
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カタカムナとカタカムナ理論の実践
鎮魂法は「その11」からはじまる、山蔭神道の鎮魂法まるわかり
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宇野多美恵解釈・総集編
日本の上古代文明とカタカムナウタヒ (第一巻~第三巻) 潜象物理学会
鎮魂法がわかる参考書籍、山蔭基央氏著書の超ロングセラー