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生きる4 小野田寛郎氏の孤立無援の戦場でどう生きるのか

2023-08-09 09:48:52 | 生き残りたいなら小野田師匠

 

人を説得することほど、やっかいなものはない

日常のたわいのないことなら、成功するかもしれないが、人生を大きく左右するような一大事レベルなら、至難の業といえる

人が人を説得するのも、人以外の存在が人を説得するのも

同じような難易度に感じる

もし、神様が人を説得するとき、まず、神様の声を直接聴くことはできないから、何かの啓示を使うとしても、余程人側に理解力が無くては不可能だろう

神様からみても、「説得」とは、非効率な方法と思われているらしいから

「経験」させることによって、神様からすると生まれたての赤子のような人間を学ばせているのではと想像する

 

身体の痛みが身体の信号なら、経験から受けた苦しみ、悲しみは心の信号

心の信号無くして、魂の理解が出来ない

不自然な使い方をして身体の痛みが出る

不自然な心のあり方で心の痛みが出る

自然な方向へ舵を切らせるため、不快な状態をつくる

例えば、あまり痛くないから捻挫かと思い大事にせず、実は骨折していたなどの場合

そのために、悪化させてしまうことがある

 

人は苦しみ、悲しみがない世界を望む

しかし、それがなければ「何かがおかしい」ことを知ることが出来ない

未熟すぎる人間の学びは始まったばかり

「おかしいこと」がすべて理解出来て

「おかしいこと」をすべて自然の状態に戻すことをすれば

苦しみも、悲しみも消滅するのだろう

 

世界はすべてつながっている、互いに共存して

世界の「おかしいこと」をすべて理解出来て

世界の「おかしいこと」をすべて自然の状態に戻すことをすれば

苦しみも、悲しみも消滅するのだろう

それでもまだ、苦しみ、悲しみが残っていたら

それが、本当に自然に起こったものなら、誰のせいでもない

「恨みつらみ」も存在しない

 

 

著作名 生きる

著者  小野田寛郎(おのだ・ひろお)

株式会社PHP研究所

<著者略歴>

小野田寛郎(おのだ・ひろお)

大正11年(1922)、和歌山県生まれ。昭和14年(1939)に旧制海南中学卒業後、貿易商社に就職し中国に渡る。昭和19年(1944)9月、陸軍中野学校二俣分校に入校、12月にフィリピンのルバング島に派遣される。以後30年間、作戦解除命令を受けることなく任務を遂行し、昭和49年(1974)に帰還。昭和50年(1975)4月、ブラジルに渡り牧場を経営。昭和59年(1984)、子供たちのキャンプ「小野田自然塾」を開設し、理事長を務める。平成26年(2014)1月、逝去。

 

故小野田寛郎氏も、戦後の日本を憂慮しておられた

心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく

本書p90~

 

 

孤立無援の戦場でどう生きるか

 

不安、孤独、恐れ、悲しみなどの感情は二人いても、三人いても消えない。むしろ、逆の作用を働かせてしまうことがある。

私は、「孤立無援」によって、自己の発見を見いだすことができる。

「生きる」ことは学ぶこと。

「学ぶ」意欲は、安穏の中では退化する。

人生の闘いも、戦場の戦いも、その人生の生き方が最もらしく表われるものだと思う。

「その時、どう生きるか」

日々の生き方が行動に表われるものだと思う。

孤独感は、集団を意識するからこそ、感じるもの。

 

 



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