STONEWALK HIROSHIMA

ストーンウォーク・ジャパン2005のその後をお知らせします。

碑石設置てん末記(2005年8月7日)

2005年08月12日 | Weblog
ストーンウォークのみなさま

「ヒロシマ」の海老根です。いろいろとご協力あちがとうございました。ダットさんたちもきょう、広島を離れました。ストーンも昨日午後、世界平和記念聖堂に無事、設置できました。ダットさんらの報告にピース・アビ―本部もとても喜んでくれて、今度はマザー・テレサの像を寄贈しようか、なんて話も出たらしいです。この間の若干の経緯をご報告し、広島にもう一つの“名所”を作っていきたいと思います。
 実は、「ひょうたんから駒」みたいな話でもあります。事態が動き始めたのは、秋葉・広島市長がウォークに参加した3日午後からでした。ダットさんが休憩中に市長に直談判に及びました。遠くで眺めていただけですが、彼女の表情は実に険しいものでした。「-市長も同じ歩幅持つ」は詩的感情であって、実際はそうではなかった、というわけです。私は夕方、4日の平和公園の使用許可証を受け取りに市役所を訪ねた際、緑化推進部の担当課長が呼び止め、市長から再検討を、との指示があった旨、話し掛けてきました。しかし、設置場所の具体案はとても受け入れられないものでした。
 4日夜は交流会で皆さん、盛り上がりましたね。でも、ピース・アビ―本部からは「石も持って帰れ」と言ってきていたようです。5日朝、平和記念聖堂で「原民喜展」の準備をしていたところにダットさんたちがやって来て、聖堂を見て、とても気に入ったわけです。「司教の口約束だけでもいただければ、本部も納得するはず」と言うのです。
 そこで、駆けずり回って、何とか三末司教と急遽、懇談の場を設けて話し合ったのです。ダットさんら数人。司教は「ああ、いいですよ。大歓迎です。明日の午後に持ってきていいですよ」と言うのです。
 6日午後、台車はアメリカ行き、石は聖堂に、となった次第です。ただし、教会信者の世論形成が、日曜日のミサの後に開かれる集いの場などを通じて行なわれるので、21日の日曜日ごろまで結論は待ってほしい、というわけです。広島のメディアも、まだ、石が聖堂にあることを知りません。ブログを覗けば分かるのですが、未だ問い合わせは1件もありません。
 ダットさんたちは、石にキスして、「石が行きたいと言っているところに着いたんですね」と話してくれました。私は思わず、膝から力が抜けちゃいました。
 まあ、「石は動き」ます。聖堂が「終の棲家」になるのか、それとも、さらに旅を続けるのか、それは分かりませんが、近いうちに「設置式」というか「除幕式」みたいなことが出来ると思います。その節はまたご案内します。
 「平和公園内移設運動」もありますが、ピース・アビ―の受け止め方は「平和記念聖堂」に“一目ぼれ”でした。彼女らも、帰国後はクチコミで記念聖堂のことを広げてくれると確信しています。
 あらためて、ご心配いただいたみなさんに心よりお礼申し上げます。
 立秋以後は「残暑」だそうですが、なお猛暑の日々です。ご自愛を。

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