STONEWALK HIROSHIMA

ストーンウォーク・ジャパン2005のその後をお知らせします。

「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(2)

2006年08月10日 | Weblog

(「ストーンウォーク1周年」に寄せられたメッセージをご紹介しています)

新たに歩む石に期待を

海老根勲

 ちょうど1年前のきょう、まだ落ち着き先も定かにならないまま、このストーンはヒロシマに到着しました。そして図らずも三末司教はじめ教会関係者の暖かいご理解を得て、世界平和記念聖堂にたどり着いたのでした。ダットさんやアンドレアさんらアメリカから参加された方々も、「石が望むところに来たんですね」と大喜びして、碑石にキスして帰国したのです。

 改めて、三末司教はじめ教会のみなさまに、1周年に、このような形で除幕できたことに、厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 もう、10年ちょっと前になりますが、レバノンのベイルートから中東諸国を旅したことがあります。中東戦争や内戦の傷跡が色濃く残る街角で、「ワン ダラー、ワン ダラー」と手を差し伸べてくる大勢の子供たちに出会いました。今日、その時に出会った子供たちの手にも、マシンガンが握られているのでしょうか。ミサイルが飛び交う中を、赤ちゃんを抱いて逃げ惑っているのでしょうか。ニュースを聞くたびに胸が痛みます。

 私たちの社会は、なぜ、これほどまでに不寛容で、ヒステリックなナショナリズムに明け暮れるのでしょうか。ごく最近は平和憲法を持つはずの日本政府からさえも、先制攻撃論が飛び出しました。

 果たして、私たちは「戦争の世紀」に終止符を打つことができるでしょうか。私は、この聖堂の前に来るたびに、平和の到来を確信するのです。50年前、この聖堂は世界中の多くの人々の善意が、さまざまな価値観の相違を乗り越えて結集され、献堂されました。戦争に終止符を打ち、共生の理念で平和な世界を創造しようとする人々の意思が、聖堂全体に塗り込められたのです。

 それから半世紀を経て、私たちもまた、まさに汗まみれになりながら、思想信条の違いを超えて「対話と和解」の象徴であるこのストーンをヒロシマに運んだのです。

 あの、暑い日差しを浴びながら刻んだ歩みは、豊かな寛容の精神をともに培い、それぞれの心にある平和を求める糸を紡ぎあうための、一歩また一歩であったと私は信じます。石を引きながら、多くの人々と出会い、異なる価値観を認め合い、共生へのプログラムを探しあった毎日でもありました。半世紀の歳月を隔てて、私たちは聖堂の存在と理念の上では重なり合う行動を、実践してきたのです。

 「戦争は人間の仕業です」と、この地から呼びかけたヨハネ・パウロ二世の銅像と並んで設置されたこのストーンは、固定されたものではありません。いつでも、新たな歩みを始めることができます。この世界から核兵器を放棄し、みんなが共生しあえる真の平和な社会を創造する旅を、ヒロシマの聖堂から再び始めようではありませんか。

           2006年8月4日       ストーンウォーク・ヒロシマ共同代表


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