STONEWALK HIROSHIMA

ストーンウォーク・ジャパン2005のその後をお知らせします。

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「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(6)

2006年08月14日 | Weblog
石が叫ぶ

大川清

 
ストーンウォーク・ジャパン2005から早一年になります。共に碑石を曳き、共に汗を流し、共に食べ、共に語らいながらかたく平和を誓い合いました。とくに岩国では「軍事力によらない平和な未来を共に築くべく、米軍の強化再編に反対する共同声明」を採択し、市長に届けることもできました。それから一年、岩国では米軍基地を巡って本当に大きな動きがありました。住民投票では圧倒的多数の反対意見で基地の強化にはっきりと「ノー」の意志を示すことができました。しかしながら日米両政府は民意を全く無視して米軍強化再編を推し進めようと致しますが、小さな力が連帯して大きな巨大な碑石を長崎から広島まで引いたように、私たち市民の小さな力が、声が連なりあって軍事力によらない真の平和を築いていきたいと願っています。碑石を引きながら誓った平和への思いを決して私たちは忘れません。

「もしこの人達が黙っても、あの石が叫び出すであろう」(聖書の言葉)

                    (日本基督教団岩国教会牧師)

 


「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(5)

2006年08月13日 | Weblog
 自分史の一ページに

 植木智子

「去年の今頃は小郡で待ってて、鳥栖からのバトンを受け取った頃だ」と7月11日の朝、そう思いつつ朝の身支度をしました。12日、13日・・・同じく、「ああ、今頃はどこどこを歩いてるんだな」とか「去年の今頃はみんなと夕食を食べてたな」とか、とにもかくにも、ストーンウォークは私には大きな自分史の中の一ページとなりました。ドットさんアンドレアさん達と共に過ごしたことを通して、日常の小さな平和に感謝することが少しわかったような気がしています。そして、戦争で亡くなった方々、また、戦争を体験し苦しい人生を送ってこられた方々の思いをしっかりと私は受け取っているだろうかと自省しつつ、ストーンウォーク1周年を過ごしています。

(ストーンウォーク・福岡代表)

 


「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(4)

2006年08月12日 | Weblog
 「ファスレーン365」に繋げよう

豊島耕一

  皆様,お久しぶりです.このおよそ一ヶ月間,特に佐賀を通った1週間は,「今日はどこそこを歩いていた,今日は交流会だった」などと,「1年前の今日」を毎日毎日思い出しながら過ごしました.皆さんもそうではなかったかと思います.ウイークデーの遠足という,思えばとても贅沢な日々でした.

 佐賀は人数も少なく,普段いろんな活動を一緒にやる仲間からも「意味が分からん」と無視されて,かなり苦労しました.そのような中で集まった仲間たちとの友情はその分だけ高価な,言わば「希少価値」の高 いものとなりました.やはり体を動かすことはとても大事なことです.

 さて,この10月からはイギリスで「ファスレーン365」という野心的な核廃絶プロジェクトが始まります.イギリスの核兵器はちょうど更新時期を迎えており,その費用が5兆円とも8兆円とも言われます.

これを大きな政治問題にし,更新を止めさせる,つまりイギリスを非核国にするために,スコットランドの核基地を1年間,世界中のグループが交替で封鎖し続けようというものです.日本からも何チームかを送りたいものだと思っています.「ウォーク」ではなく基地の入り口に留まり続ける活動です.そこでまた皆さんとお会いできたら素晴らしいと思います.

 最後になりましたが,ストーンを守って下さっている広島の皆様に感謝を申し上げ,本日のご盛会をお祈りします.

                   ストーンウォーク2005佐賀                 

                      (佐賀大学理工学部)

 


「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(3)

2006年08月11日 | Weblog

(写真説明)米国からの主要メンバー。2005年8月6日、世界平和記念聖堂で、碑石が搬入された後に撮影。

多くのボランティアに支えられて

川嶋擁子 

ストーン・ウォーカーが7月2日、長崎爆心地公園をヒマワリ合唱団に見送られて目的地、広島平和記念公園にゴール・インしてからもう1年になりつつあります。

 振り返ってみますと、色々な思い出がゆっくりと私の胸中を昨日の出来事のように1コマ、1コマと通りつつあります。

 私個人が実際に行動を取ったのはたった34日間でした。この34日間の準備のために数え切れない5県の方々が計り知れないほどの時間とエネルギーを費やしてくださいました。

 ウォーカーの後には矢野氏がご自分の車で疲れた方、傷ついた方々のために乗せてくださり、又、休み時間には小粒のウメボシ、砂糖にひたした薄切りのレモンの皮をエネルギー回復のために配って居られました。私も何回も食べさせていただきました。それだけじゃありません。矢野氏はお腹具合の悪かった方や疲れ切ってる足やヒザを温灸で治療してくださいました。

 山本ご夫妻には車で多くのスーツケースを運び、一緒にケーソンを曳き、押し、ウダル暑さの中で「頭と首に!」と云ってアイスパックを。又、水のビンをわけてくださいました。

 橋本氏にも私個人の家族が言葉で云い表せないほどにお世話になりました。ストーンウォーカーのために汚れた洗濯物を集めてコインランドリーに持っていってくださいました。ある朝の事でした。私が自分の選択したスモックとスラックスを乾してあった大部屋へ取りに行きますとそれ等にきっちりとアイロンがかかって居りました。後程知った事は、橋本氏が、ストーン・ウォーカーが疲れているので、アイロンがかけてある服を着ると疲れもやわらぎ、気もちも良いことだろうと云ったやさしい思いやりの精神でした。

 ご自身もすっかり疲れて居られるのもかかわらず、チョウ・ホワン氏は、献身的にストーン・ウォーカーの足の水ぶくれを毎夜治療して居られました。私にはどなたかが差し入れしてくださった五本指のソックスのお陰で水ぶくれができず、チョウ氏に治療していただけなかった事が残念でした。ニコ・ニコ。彼が胸にぶら下げてる警笛、ピッ!ピッ!と、空にもとどく合図にあわせて台車を曳き、押して出発したのも忘れがたいです。又、日本山妙法寺上人たちの仏に加護を願う祈りの唱えも、今でも私の耳にひびいいて居ります。

 こうやって書き出しますと切りがありませんが、ボランティアの皆々様、若い、美しい5県の通訳たちは、ある日々は体が溶けてしまう様な日照りのもとで、又、ある日々は強風やドシャ降りの中で、坂に来れば彼女たちの「ワッショイ!」掛け声で元気づけ、励ましてくださいました。

 中村助教授にはストーンウォークの永久安置所を、はぐれてしまった愛する我が子を探す様にして見つけてくださいました。広島市長からストーンの平和記念公園安置拒否を受け取ったドット様は「国に持って帰ろう!」と決心していましたが、ある朝、彼女は私に安らんだ声で「未だ公表はしていないけど安置する場所がみつかったのよ!良いニュースだわ!」と申されました。この「良いニュース」の裏には中村助教授と役員の方々のねばり強い努力があったのを忘れるべきではないでしょう。ストーンがピースカテドラルに安置された時、中村助教授は、私の心をゆさぶる程に感動した言葉を申されました。「これから私はストーンのsurrogated motherになりますね!」と。

 ピースアビーとピースフルトモロウズの全くよき理解者であった長崎、佐賀、福岡、山口そして広島の皆々様、あなたたちの心からの支えで私も無事歩くことができ、60年前からの個人的約束を果たす事ができました。皆々様、大変におつかれ様でございました。

 ケープ・コッドの夏の夜が深くなった静かな勉強部屋の片隅で皆々様、一人一人の献身、親切、そして愛情を再びかみしめながら深くお礼を申しあげて居ります。       

ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ

ケープ・コッド、マサチューセッツで

 


「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(2)

2006年08月10日 | Weblog

(「ストーンウォーク1周年」に寄せられたメッセージをご紹介しています)

新たに歩む石に期待を

海老根勲

 ちょうど1年前のきょう、まだ落ち着き先も定かにならないまま、このストーンはヒロシマに到着しました。そして図らずも三末司教はじめ教会関係者の暖かいご理解を得て、世界平和記念聖堂にたどり着いたのでした。ダットさんやアンドレアさんらアメリカから参加された方々も、「石が望むところに来たんですね」と大喜びして、碑石にキスして帰国したのです。

 改めて、三末司教はじめ教会のみなさまに、1周年に、このような形で除幕できたことに、厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 もう、10年ちょっと前になりますが、レバノンのベイルートから中東諸国を旅したことがあります。中東戦争や内戦の傷跡が色濃く残る街角で、「ワン ダラー、ワン ダラー」と手を差し伸べてくる大勢の子供たちに出会いました。今日、その時に出会った子供たちの手にも、マシンガンが握られているのでしょうか。ミサイルが飛び交う中を、赤ちゃんを抱いて逃げ惑っているのでしょうか。ニュースを聞くたびに胸が痛みます。

 私たちの社会は、なぜ、これほどまでに不寛容で、ヒステリックなナショナリズムに明け暮れるのでしょうか。ごく最近は平和憲法を持つはずの日本政府からさえも、先制攻撃論が飛び出しました。

 果たして、私たちは「戦争の世紀」に終止符を打つことができるでしょうか。私は、この聖堂の前に来るたびに、平和の到来を確信するのです。50年前、この聖堂は世界中の多くの人々の善意が、さまざまな価値観の相違を乗り越えて結集され、献堂されました。戦争に終止符を打ち、共生の理念で平和な世界を創造しようとする人々の意思が、聖堂全体に塗り込められたのです。

 それから半世紀を経て、私たちもまた、まさに汗まみれになりながら、思想信条の違いを超えて「対話と和解」の象徴であるこのストーンをヒロシマに運んだのです。

 あの、暑い日差しを浴びながら刻んだ歩みは、豊かな寛容の精神をともに培い、それぞれの心にある平和を求める糸を紡ぎあうための、一歩また一歩であったと私は信じます。石を引きながら、多くの人々と出会い、異なる価値観を認め合い、共生へのプログラムを探しあった毎日でもありました。半世紀の歳月を隔てて、私たちは聖堂の存在と理念の上では重なり合う行動を、実践してきたのです。

 「戦争は人間の仕業です」と、この地から呼びかけたヨハネ・パウロ二世の銅像と並んで設置されたこのストーンは、固定されたものではありません。いつでも、新たな歩みを始めることができます。この世界から核兵器を放棄し、みんなが共生しあえる真の平和な社会を創造する旅を、ヒロシマの聖堂から再び始めようではありませんか。

           2006年8月4日       ストーンウォーク・ヒロシマ共同代表


ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて (1)

2006年08月08日 | Weblog

ヒロシマ、記憶の日に

200686

ダット・ウオルシュ

 86日と89日が近づくにつれ、私たちは被爆者とその家族、また、1945年の原爆投下で亡くなられた方々に思いが至ります。「ストーンウォ-ク・ジャパン2005」のおかげで、広島と長崎は永遠に私の存在の一部になるでしょう。この旅の道中に、台車に乗せた碑石を囲み、多くの体験を聞きました。精神的にも身体的にも私は日本の皆様に繋がっています。

 6週間かけて、
370マイルを旅した間に皆様からいただいたご親切、寛大な心、ご協力の記憶に今も浸っています。言葉、文化、伝統の違いを幾度も体験しましたが、新たに学ぶ良い機会でもありました。広島に原爆を投下したアメリカの兵士が来日した時に、「謝罪をする必要はない」と述べたといいます。この話を、日本滞在中にバスで出会った女性から耳にして、私はアメリカ人として恥ずかしく思いました。石を引くという私たちの単純な行為が、米国の傲慢さを幾分か薄れさせたことでしょう。私たちの努力の結集、私たちの汗、ストーンウォークへの思い入れ、聖堂に安置された碑石のメッセージ-これらが一つになれば、けっして挫かれることはありません。

 ストーンウォーク・ヒロシマの皆様、この碑石のお世話と平和へのかかわりをこれからも続けてくださいますように願ってやみません。戦争の犠牲になって苦しみ、亡くなられた方々を悼むことで、私たちはさらに平和への希求を深めています。私たちが個人として、軍事を増強する政府の言うことを受け入れないならば、私たちは変革を実現することが出来るでしょう。私は今でも希望を持っています。そして、平和な世界の実現を心に描いています。本当の兄弟姉妹になった日本の人類家族の皆様と知り合えることが出来たのですから。

 ピースアビーを訪れたマザー・テレサは言いました。「指導者を待っていてはいけない。一人で行動しなさい。人から人へ。」

皆様に平和と愛を
ダット・ウオルシュ
ピースアビー
シャーバーン、マサチューセッツ
米国


「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年の集いを終えました

2006年08月07日 | Weblog

写真説明:三末司教とストーンウォーク・ヒロシマ共同代表による説明板の除幕

ストーンウォーク1周年を記念する集いを、碑石が広島に到着した8月4日に、世界平和記念聖堂で開きました。
 平日の昼間にもかかわらず、ストーンウォーク福岡からも2名加わり、22名の参加でした。石碑と説明板の除幕をした後に、1分間の黙祷を捧げました。続いて、ストーンウォーク・ヒロシマ代表の海老根さん、カトリック幟町教会の三末司教のあいさつのほか、米国の代表、ダット・ウオルシュさんはじめ、昨年のウォーク参加者のメッセージも紹介しました。
 最後に、9・11同時多発テロで亡くなった娘さんを偲んで、デリル・ボドレーさんが作詞作曲した、「デオラ 平和への歩み」を参加者で合唱しました。
 第二部は聖堂の中に移動し、米国から送られたDVDの映像で昨年のウォークを振り返りました。また、昨年参加した広島国際大学生2人が、スライドショウによる活動報告をしました。

みなさん、石に会いに来て下さい!

 


「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年の集いは明日です

2006年08月03日 | Weblog

ピースアビーからのメッセージ

2006年08月01日 | Weblog

      戦争はテロだ

本当の敵はテロではなく戦争だ