
土曜の夜、仕事から帰ると、下の子とバサマがコタツ机の上に広げた1枚の紙の上で額をつき合わせ、何事か話している。「今はあるけど昔なかったもの」を書き出し、それが無かった時はどうしてたか、を調べるという宿題を下の子がやってたのだ。
昔ないものが一番わかる人といえば、やはり昨年喜寿を迎えたバサマである。子供もそれを承知で記者のようにバサマに取材しているみたい。
テレビ、電話、ガスレンジ、冷蔵庫...みるみる書き込みスペースが埋まっていく。
ちらっと見て思ったこと。昔はたくさん人の手が介在してた。時間もかかってた。家庭に道具が多かった。それに比べて、今は道具が減って製品が多い。人の手もかけない。
人が減るはずだわなー。
今も残っている昔の道具を学校に持っていくというのも宿題の一つだった。ばさまと子供が物置に入っていろいろ探していると、我が家には、まだまだ昔、歴戦の強者だったろうガラクタ達が眠っていた。
その一つが写真のノコギリ。でかくて重い(苦笑)。金属部分(刃)の部分の長さ80cm、幅(高さ?)20cm以上、ギザギザとした刃の部分の長さは真ん中部分で2cm。
昔はこんなノコギリで、山から切り出した木を庭先で切っていたのだろうか。きっと屈強な人が使っていたんだろうな、というのは想像に難くない。ただ、このノコギリは親戚から譲り受けたもので、ずっと我が家にあったわけではないらしいが。
昔ないものが一番わかる人といえば、やはり昨年喜寿を迎えたバサマである。子供もそれを承知で記者のようにバサマに取材しているみたい。
テレビ、電話、ガスレンジ、冷蔵庫...みるみる書き込みスペースが埋まっていく。
ちらっと見て思ったこと。昔はたくさん人の手が介在してた。時間もかかってた。家庭に道具が多かった。それに比べて、今は道具が減って製品が多い。人の手もかけない。
人が減るはずだわなー。
今も残っている昔の道具を学校に持っていくというのも宿題の一つだった。ばさまと子供が物置に入っていろいろ探していると、我が家には、まだまだ昔、歴戦の強者だったろうガラクタ達が眠っていた。
その一つが写真のノコギリ。でかくて重い(苦笑)。金属部分(刃)の部分の長さ80cm、幅(高さ?)20cm以上、ギザギザとした刃の部分の長さは真ん中部分で2cm。
昔はこんなノコギリで、山から切り出した木を庭先で切っていたのだろうか。きっと屈強な人が使っていたんだろうな、というのは想像に難くない。ただ、このノコギリは親戚から譲り受けたもので、ずっと我が家にあったわけではないらしいが。
自在に使う若かりしころの祖父。
幼い頃の断片的な記憶として残っています。
丸太の筋を見て切り分けては
墨つぼでピッと魔法のように線を引き
必要なサイズへと小分けする。
確かに祖父は、屈強な男でした。
キセルを美味しそうに吹かしていた姿が
昨日のことのように思い出されます。
おじいさんは大工さんだったんですね。
私の祖父は、タンス職人だったようですが、
私が物心付いた時には、もう引退していて
余り職人という感じはありませんでした。
法隆寺宮大工の西岡棟梁とその弟子の小川さんの話をまとめた「木のいのち木のこころ」を読んだことがあります。すうさんのおじいさんも若かりし私の祖父も、手に職を持つ職人さんはきっとそんな感じなんだろうなぁと、本の記憶と重ね合わせて思ってしまいました。
子供のころは、毎日、巻き割りして
土間でお釜でご飯を炊くのを手伝っていました
お風呂は五右衛門風呂。
火の晩をよくしてました。
懐かしいな~
なんでも、勿体ないって物を大事にしてたな~
今は、大人も子供たちも
便利に暮らしていますよね。
勿体ない精神だけは子供たちに
引き継いで欲しいと思っています^^
今住んでる嫁さんの実家は建て替えたので普通のガスで沸かす風呂ですが、建て替え前は薪で沸かす風呂でした。建て替えて10年ほどになりますか。
薪風呂は、底が熱くなるので板が沈めてありました。最初熱くなくても、じわじわと熱くなってスゴく暖まったように思います。
ガスで沸かす風呂は、最初っから熱くて今頃のように寒い時期、手足が冷え切っている時に湯に入るとスゴく熱く感じるのに、いざ体全体が入ると物足りない。湯温は時間が経つにつれて冷めるので、どうしても追い炊きする事になります。
そういう点では薪で沸かす風呂は体が暖まるのに合わせて湯温が変わらないか、もしくは若干上がるのでイイですね。
もったいない精神は、私も子供達に伝えたいなあと思っています。