ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

一日おくれの話題です。

2008-03-16 19:50:28 | つれづれ
まずは写真ですが、私の住む町の50年前の駅前風景。
沿線にお住まいの方なら、お分かりかと思います。
今の場所より、陸橋よりでした。木造の駅舎、大きな木の看板、
左のバスの丸いフォルム、アスファルトなんてみえませんねぇ。
なんたってレトロやなぁ…写真を写真に撮りなおしたものなのでボケてます。
歩いてる男の子、ゲタですわ。左の女の子の持っているかばん、
懐かしいですねぇ。このころは「ズック」と呼ばれる靴でしたよ。
ちなみに真ん中の二人、ジサマと私です。

私は別に「電車オタク」ではないのですが、けっこう好きです。
イマドキのスマート・モダン・スピーディーも好きだし、
シュッシュッポッポの汽車も好きです、と言ってもイマドキ汽車は
乗るどころか、お眼にかるのもたいへんですが…。

銀河は私より一つ年上、となると、私が三歳のとき、
京都の祖母のお葬式にいくために乗っているはず…と思ったら、
母が「当時は貧乏でとてもそんな電車に乗れなかったから、
ただの東海道線で、トコトコと13時間かけていったがな…」
つまり乗車経験ナシでしたー、残念です。
夜行列車は結局「修学旅行列車」だけですねぇ。
そうそう、大井川鉄道でSLにのったことがありました。
もちろん「保存されつつ実際動くタイプ」です。

私の住む町では私鉄が走っていますが、私が初めて乗ったのは55年前、
上の写真の数年前です。まだ単線で、かろうじて記憶に残っているのは
「木の枠のイス」「鋲のたくさん打ってある車体」
「黒っぽい油の匂いのする木の床」…。
さらに母の記憶になると「二両だった」「扉が外側に鍵のついた形で、
駅に着くたびに、車掌さんが走ってチャカチャカとあけていた」
色は長いこと「小豆色」でしたねぇ。
元々は相模川から「砂利」を運ぶための路線だったと聞いています。
今や路線は分岐し、車両は長くなり、一部では地下鉄にもなり…。
変われば変わるものです。
固い紙の切符を「○○一枚」といって、一人ずつ買ってました。
改札口が木の枠だったのも懐かしいです。

新しくても古くても、また特急でも鈍行でも、電車列車に乗って、
窓の外を眺めるというのは、けっこう楽しいものです。
もう何十年も前のことなのに、毎朝通学の電車から見えた景色のいくつかは、
今でも覚えています。もちろん、その景色そのものが
すっかり変わってしまったところが多いのですが…。
途中、染物の工場がありまして…あっ横浜は今でもやってるんですよ。
但し「和物」ではなく「スカーフ」です。
横浜のスカーフは名産物産にもなっていて、マリン柄など人気があります。
その染物ののために、川で洗っていた、つまり京都の友禅流しと同じです、
細い川でしたが、そこで毎日さまざまな色のスカーフが洗われて、
水が赤や青に染まっていました。それがあっというまになくなって、
川はゴミだらけに…。また、大きなガラス工場がありまして、
色のついた瓶がトラックで運ばれ、砕かれて色別に緑色の山、
茶色の山、透明の山と、大きな山にわけてありました。
工場ではそれを原料に、ガラス瓶を再生再利用していたんですね。
そこはちょうど急行の待ち合わせの駅の近くで、
そこまでくると急にゆっくりになり、工場からは薬品の妙な匂いがしました。
早く通り過ぎてよぉと思ったものです。
沿線がいわゆる「ベッドタウン」として、ごくふつーの家が増え、
匂い・音・煙を出すような会社や工場は、いつの間にか移転してしまいました。
すっかり人家が密集した町の中、最後尾が見えないほどの連結車両で、
今日も私の町の電車は走っています。

最近は車が多くて、あまり電車も利用しなくなりましたが、
ガタコン~カダコン~とゆれる列車の旅、あこがれますね。
季節がよくなると、人は旅をしたくなるそうで…。
各駅停車で花探しの旅などしてみたいものです。




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6 コメント

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Unknown (陽花)
2008-03-16 21:18:19
新幹線でピューと行くのもいいですが、
ガタンゴトンと揺られながら移り行く
車窓の景色を見ながら東北へ湯治に
行くのが夢です。
現実には犬がいるので何日もは留守に
出来ないですがね。
返信する
小学生の頃、SLは嫌でした (otyukun)
2008-03-16 21:51:07
小さい時、夏になると山陰本線を利用する旅行は時々経験したのですが、何時もSL。
小さなトンネルが連続するので窓を開けたり閉めたり。
閉めるタイミングが遅れると、室内は煙だらけに。
トンネルが無くて窓を開けっ放しにして、窓から顔を出すと直ぐ目に煤が。
嫌でしたね。
今となっては懐かしいのですが。

講演、無事に済みました。
六十人程の聴衆を相手に、一時間喋りっぱなし。
疲れました。
お蔭で喜んで貰えた様です。
返信する
Unknown (ルイス)
2008-03-17 01:48:09
懐かしい駅前写真。現在の駅風景からは想像出来ない変わり様で、車窓もまだ木立ち、森も見えた田舎風景でした。今では家や色々な建物が続くだけの殺風景な物ですが、もう直ぐ見える桜の木を発見すると嬉しくなります。
返信する
う~ん、懐かしい~♪ (マックはは)
2008-03-17 13:03:33
とんぼちゃん、すごい!
よくこんな写真がありましたねぇ~
それに当時のことも良く覚えていてそんけ~~~い!

各駅電車の旅、私も憧れですよ~♪
今は、マックと一緒の旅行なので車で行くしかないですけど、景色を眺めながらのんびり旅、あ~行きたいわぁ~
返信する
思い出しました (マロウ)
2008-03-17 17:12:03
捺染工場のあの匂い。
高校入学してから約13年くらいでしょうか、
毎日毎日乗っていましたから。
たしか、捺染工場は上○川と○ヶ峰に
ありましたよね。
小学生の頃工場見学にいった覚えがあります。
私も今はたまにしか乗りませんが
車窓からの景色の変わりように
キョロキョロしてしまいます。
返信する
Unknown (とんぼ)
2008-03-17 22:33:41
陽花様
東北の温泉!いいですねぇ、緑のきれいな季節に、
山奥の露天風呂なんか…。
ガタンゴトンでいきたいですね。
駅弁も買いたいですー。


otyukun様
山陰線は、今でも走らせてましたよね。
私、修学旅行の列車が、九州で牽引車SLでた。
びっくりしましたよー。
確かにすごいケムリでしたねぇ。
でもあの力強さ、好きですー。

講演、お疲れ様でした。
ブログも拝読ましたが、たいへんなんですよね、
ほんとに…楽○は登録しないとコメント残せなくて。
なんとか着物と技術と職人さんを残したいですね。


ルイス様
昔の駅って、みんなこんな感じでしたね。
改札口の中に、ちょっと待合室みたいな広さがあって
たぶん、電車だって、一時間に3本とか5本とか、
そんなんじゃなかったですかね。
バスは、クラシックなボンネットでしたよねぇ。
懐かしいです。


マックはは様
ほんとによく撮ってあったものだと思います。
ほかにもいろいろあるんですよ。
一度実家のも、全部整理したいと思っています。

のんびり旅、したいですねぇ、国内でじゅーぶん!


マロウ様
そうそう、あの小さな帷子川で…。
鼻につくにおいでしたねぇ。
私、結婚して18年ほど千葉にいるうちに、
沿線風景も駅もすーーーーっかり変わってしまい、
「ここ、どこ?」でした。
きれいになるのはいいけれど、緑が減るのは
さみしいですね。
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