まずは写真ですが、私の住む町の50年前の駅前風景。
沿線にお住まいの方なら、お分かりかと思います。
今の場所より、陸橋よりでした。木造の駅舎、大きな木の看板、
左のバスの丸いフォルム、アスファルトなんてみえませんねぇ。
なんたってレトロやなぁ…写真を写真に撮りなおしたものなのでボケてます。
歩いてる男の子、ゲタですわ。左の女の子の持っているかばん、
懐かしいですねぇ。このころは「ズック」と呼ばれる靴でしたよ。
ちなみに真ん中の二人、ジサマと私です。
私は別に「電車オタク」ではないのですが、けっこう好きです。
イマドキのスマート・モダン・スピーディーも好きだし、
シュッシュッポッポの汽車も好きです、と言ってもイマドキ汽車は
乗るどころか、お眼にかるのもたいへんですが…。
銀河は私より一つ年上、となると、私が三歳のとき、
京都の祖母のお葬式にいくために乗っているはず…と思ったら、
母が「当時は貧乏でとてもそんな電車に乗れなかったから、
ただの東海道線で、トコトコと13時間かけていったがな…」
つまり乗車経験ナシでしたー、残念です。
夜行列車は結局「修学旅行列車」だけですねぇ。
そうそう、大井川鉄道でSLにのったことがありました。
もちろん「保存されつつ実際動くタイプ」です。
私の住む町では私鉄が走っていますが、私が初めて乗ったのは55年前、
上の写真の数年前です。まだ単線で、かろうじて記憶に残っているのは
「木の枠のイス」「鋲のたくさん打ってある車体」
「黒っぽい油の匂いのする木の床」…。
さらに母の記憶になると「二両だった」「扉が外側に鍵のついた形で、
駅に着くたびに、車掌さんが走ってチャカチャカとあけていた」
色は長いこと「小豆色」でしたねぇ。
元々は相模川から「砂利」を運ぶための路線だったと聞いています。
今や路線は分岐し、車両は長くなり、一部では地下鉄にもなり…。
変われば変わるものです。
固い紙の切符を「○○一枚」といって、一人ずつ買ってました。
改札口が木の枠だったのも懐かしいです。
新しくても古くても、また特急でも鈍行でも、電車列車に乗って、
窓の外を眺めるというのは、けっこう楽しいものです。
もう何十年も前のことなのに、毎朝通学の電車から見えた景色のいくつかは、
今でも覚えています。もちろん、その景色そのものが
すっかり変わってしまったところが多いのですが…。
途中、染物の工場がありまして…あっ横浜は今でもやってるんですよ。
但し「和物」ではなく「スカーフ」です。
横浜のスカーフは名産物産にもなっていて、マリン柄など人気があります。
その染物ののために、川で洗っていた、つまり京都の友禅流しと同じです、
細い川でしたが、そこで毎日さまざまな色のスカーフが洗われて、
水が赤や青に染まっていました。それがあっというまになくなって、
川はゴミだらけに…。また、大きなガラス工場がありまして、
色のついた瓶がトラックで運ばれ、砕かれて色別に緑色の山、
茶色の山、透明の山と、大きな山にわけてありました。
工場ではそれを原料に、ガラス瓶を再生再利用していたんですね。
そこはちょうど急行の待ち合わせの駅の近くで、
そこまでくると急にゆっくりになり、工場からは薬品の妙な匂いがしました。
早く通り過ぎてよぉと思ったものです。
沿線がいわゆる「ベッドタウン」として、ごくふつーの家が増え、
匂い・音・煙を出すような会社や工場は、いつの間にか移転してしまいました。
すっかり人家が密集した町の中、最後尾が見えないほどの連結車両で、
今日も私の町の電車は走っています。
最近は車が多くて、あまり電車も利用しなくなりましたが、
ガタコン~カダコン~とゆれる列車の旅、あこがれますね。
季節がよくなると、人は旅をしたくなるそうで…。
各駅停車で花探しの旅などしてみたいものです。
沿線にお住まいの方なら、お分かりかと思います。
今の場所より、陸橋よりでした。木造の駅舎、大きな木の看板、
左のバスの丸いフォルム、アスファルトなんてみえませんねぇ。
なんたってレトロやなぁ…写真を写真に撮りなおしたものなのでボケてます。
歩いてる男の子、ゲタですわ。左の女の子の持っているかばん、
懐かしいですねぇ。このころは「ズック」と呼ばれる靴でしたよ。
ちなみに真ん中の二人、ジサマと私です。
私は別に「電車オタク」ではないのですが、けっこう好きです。
イマドキのスマート・モダン・スピーディーも好きだし、
シュッシュッポッポの汽車も好きです、と言ってもイマドキ汽車は
乗るどころか、お眼にかるのもたいへんですが…。
銀河は私より一つ年上、となると、私が三歳のとき、
京都の祖母のお葬式にいくために乗っているはず…と思ったら、
母が「当時は貧乏でとてもそんな電車に乗れなかったから、
ただの東海道線で、トコトコと13時間かけていったがな…」
つまり乗車経験ナシでしたー、残念です。
夜行列車は結局「修学旅行列車」だけですねぇ。
そうそう、大井川鉄道でSLにのったことがありました。
もちろん「保存されつつ実際動くタイプ」です。
私の住む町では私鉄が走っていますが、私が初めて乗ったのは55年前、
上の写真の数年前です。まだ単線で、かろうじて記憶に残っているのは
「木の枠のイス」「鋲のたくさん打ってある車体」
「黒っぽい油の匂いのする木の床」…。
さらに母の記憶になると「二両だった」「扉が外側に鍵のついた形で、
駅に着くたびに、車掌さんが走ってチャカチャカとあけていた」
色は長いこと「小豆色」でしたねぇ。
元々は相模川から「砂利」を運ぶための路線だったと聞いています。
今や路線は分岐し、車両は長くなり、一部では地下鉄にもなり…。
変われば変わるものです。
固い紙の切符を「○○一枚」といって、一人ずつ買ってました。
改札口が木の枠だったのも懐かしいです。
新しくても古くても、また特急でも鈍行でも、電車列車に乗って、
窓の外を眺めるというのは、けっこう楽しいものです。
もう何十年も前のことなのに、毎朝通学の電車から見えた景色のいくつかは、
今でも覚えています。もちろん、その景色そのものが
すっかり変わってしまったところが多いのですが…。
途中、染物の工場がありまして…あっ横浜は今でもやってるんですよ。
但し「和物」ではなく「スカーフ」です。
横浜のスカーフは名産物産にもなっていて、マリン柄など人気があります。
その染物ののために、川で洗っていた、つまり京都の友禅流しと同じです、
細い川でしたが、そこで毎日さまざまな色のスカーフが洗われて、
水が赤や青に染まっていました。それがあっというまになくなって、
川はゴミだらけに…。また、大きなガラス工場がありまして、
色のついた瓶がトラックで運ばれ、砕かれて色別に緑色の山、
茶色の山、透明の山と、大きな山にわけてありました。
工場ではそれを原料に、ガラス瓶を再生再利用していたんですね。
そこはちょうど急行の待ち合わせの駅の近くで、
そこまでくると急にゆっくりになり、工場からは薬品の妙な匂いがしました。
早く通り過ぎてよぉと思ったものです。
沿線がいわゆる「ベッドタウン」として、ごくふつーの家が増え、
匂い・音・煙を出すような会社や工場は、いつの間にか移転してしまいました。
すっかり人家が密集した町の中、最後尾が見えないほどの連結車両で、
今日も私の町の電車は走っています。
最近は車が多くて、あまり電車も利用しなくなりましたが、
ガタコン~カダコン~とゆれる列車の旅、あこがれますね。
季節がよくなると、人は旅をしたくなるそうで…。
各駅停車で花探しの旅などしてみたいものです。
ガタンゴトンと揺られながら移り行く
車窓の景色を見ながら東北へ湯治に
行くのが夢です。
現実には犬がいるので何日もは留守に
出来ないですがね。
小さなトンネルが連続するので窓を開けたり閉めたり。
閉めるタイミングが遅れると、室内は煙だらけに。
トンネルが無くて窓を開けっ放しにして、窓から顔を出すと直ぐ目に煤が。
嫌でしたね。
今となっては懐かしいのですが。
講演、無事に済みました。
六十人程の聴衆を相手に、一時間喋りっぱなし。
疲れました。
お蔭で喜んで貰えた様です。
よくこんな写真がありましたねぇ~
それに当時のことも良く覚えていてそんけ~~~い!
各駅電車の旅、私も憧れですよ~♪
今は、マックと一緒の旅行なので車で行くしかないですけど、景色を眺めながらのんびり旅、あ~行きたいわぁ~
高校入学してから約13年くらいでしょうか、
毎日毎日乗っていましたから。
たしか、捺染工場は上○川と○ヶ峰に
ありましたよね。
小学生の頃工場見学にいった覚えがあります。
私も今はたまにしか乗りませんが
車窓からの景色の変わりように
キョロキョロしてしまいます。
東北の温泉!いいですねぇ、緑のきれいな季節に、
山奥の露天風呂なんか…。
ガタンゴトンでいきたいですね。
駅弁も買いたいですー。
otyukun様
山陰線は、今でも走らせてましたよね。
私、修学旅行の列車が、九州で牽引車SLでた。
びっくりしましたよー。
確かにすごいケムリでしたねぇ。
でもあの力強さ、好きですー。
講演、お疲れ様でした。
ブログも拝読ましたが、たいへんなんですよね、
ほんとに…楽○は登録しないとコメント残せなくて。
なんとか着物と技術と職人さんを残したいですね。
ルイス様
昔の駅って、みんなこんな感じでしたね。
改札口の中に、ちょっと待合室みたいな広さがあって
たぶん、電車だって、一時間に3本とか5本とか、
そんなんじゃなかったですかね。
バスは、クラシックなボンネットでしたよねぇ。
懐かしいです。
マックはは様
ほんとによく撮ってあったものだと思います。
ほかにもいろいろあるんですよ。
一度実家のも、全部整理したいと思っています。
のんびり旅、したいですねぇ、国内でじゅーぶん!
マロウ様
そうそう、あの小さな帷子川で…。
鼻につくにおいでしたねぇ。
私、結婚して18年ほど千葉にいるうちに、
沿線風景も駅もすーーーーっかり変わってしまい、
「ここ、どこ?」でした。
きれいになるのはいいけれど、緑が減るのは
さみしいですね。