
写真の説明は、後のほうで…。
私は映画を見ることが少なかったので、もっぱら「テレビ」でしたが、
南田さんの何が好きだったかというと、あのヘアスタイル…。
いつ見てもあっさりボブで、長さは年齢とともに変化しましたが、
きちんと分けてまっすぐでシンプルで…というのは、ずっとかわりませんでした。
学生時代、私は「おさげ」でしたが、卒業してからはパーマをかけたり、
それでなくともバカみたいに伸びるのが早いので、
ショートだのなんだの、そうそう「ウルフカット」というのがはやって、
それにしてみたり、聖子ちゃんは好きじゃなかったけど、
前髪がちょっといいなと思ってマネッこしてみたり…。
そのたびに母が「髪型をしょっちゅう変えるのは、気の多い証拠だ」と
ブーブー文句を言いました。ほんとに、ほめられたことのない娘です。
そんななかで、十年一日のごとく髪型のかわらない南田洋子さんは、
母にとって「お気に入り(ヘアスタイルだけ)」だったようです。
私は、いくら憧れても「オカッパ」は似合わないと思っていましたが、
パーマをかけなくなってから、あの髪型やってみよーかなと…。
やってみました。そして気がついたんです。
シンプルで手間がかからなさそうにみえるけれど、
実は手入れを怠ると、ただの「きんたろさん」になってしまうのだと…。
当然私は「即・きんたろさん」になりました。
それでもがんばってもう一回…と、うんと短くしてもらい、
襟足からうしろを刈り上げてもらいました。
さっぱりして、これなら着物でもモダンだーなんて(カオのことは忘れてください)
うれしかったのですが、10日目にして「刈り上げ」はのびほーだいになり、
タワシ化してしまいました。
短いのは短いナリに、手間とお金がかかるものなのだと納得。
以来私の髪は、タワシからホウキへと、かわったのであります。
こちら、最初の「南田さんカット」のとき…。
髪が多くて硬いので、すでに「きたろう」状態になっています。

南田さんのことから…というわけではないのですが、
彼女が「若手女優」さんとして活躍していたころは、
私はまだ子供…、何を見たり聞いたりしていたっけかな…と考えていて、
ふと思い出したのがトップ写真の「ソノシート」。
たぶん昭和40年くらいの「カルピス」の抽選であたる「景品」です。
以前にも出したきがするのですが…。
「カルピス ソノシート 声のアルバム」、
中は「お父様編」「お母様編」というように分かれていまして、
例えば「お父様編」は歴史に残る貴重な声、として「エジソン」「乃木大将」
「東郷元帥」レーニン」など。パーソナリティはまだ御髪黒々の森茂久彌氏。

「お母様編」は児島正雄氏の案内で「若い皇室の声」など。
「清宮様のご成人」「美智子様のご婚約発表」など皇室関係と、
ケネディ夫人、ウィンザー公など。

「お兄様編」が藤村有弘氏の案内で「おかしい声」
「外人落語 "ガマの油"」「活弁 "ジゴマ"の一節」
「お姉さま編」は、まだ若々しい高島忠夫氏案内で「世界の美しい歌」
「シェリト・リンド」「ロマンス」など、

最後は「お子様編」で「日本の楽しい子供の歌」
「春の小川」「茶摘」「村祭り」「故郷の空」など…。
しげしげ見ていたら「これけっこう貴重とちゃう?」…。
ソノシートは一度も使われたようすがありません。
プレーヤーさえあれば、聴けると思います。
あるんですよ、オットの部屋に…でも「稼動」していない…。
どっかにしまいこまれてあるはずです。聴いて見たい気がしますね。
高島忠夫さんも、欝になられたりしてたいへんでした。
すでに「高齢」と言われる年になっています。
昔「若手」としてスクリーンやブラウン管(古いなー)で活躍していた方々が、
渋くていい味を出す俳優さんになっていたり、
「老い」を「老い」として隠さず女優さんしていたり…。
私の子供のころから、映画、そしてテレビ、と広まってきましたから、
そういう時代になったんですね。
今、イケメンと言われている人たちのなかで、30年後に
「いい俳優になったねぇ」といわれる人は、どれくらいいるのかなぁ。
その前に、私自身が「いい年」とらないといけないですねぇ。
とりあえず、もうオカッパはやめる…そこかぇ…。
私は映画を見ることが少なかったので、もっぱら「テレビ」でしたが、
南田さんの何が好きだったかというと、あのヘアスタイル…。
いつ見てもあっさりボブで、長さは年齢とともに変化しましたが、
きちんと分けてまっすぐでシンプルで…というのは、ずっとかわりませんでした。
学生時代、私は「おさげ」でしたが、卒業してからはパーマをかけたり、
それでなくともバカみたいに伸びるのが早いので、
ショートだのなんだの、そうそう「ウルフカット」というのがはやって、
それにしてみたり、聖子ちゃんは好きじゃなかったけど、
前髪がちょっといいなと思ってマネッこしてみたり…。
そのたびに母が「髪型をしょっちゅう変えるのは、気の多い証拠だ」と
ブーブー文句を言いました。ほんとに、ほめられたことのない娘です。
そんななかで、十年一日のごとく髪型のかわらない南田洋子さんは、
母にとって「お気に入り(ヘアスタイルだけ)」だったようです。
私は、いくら憧れても「オカッパ」は似合わないと思っていましたが、
パーマをかけなくなってから、あの髪型やってみよーかなと…。
やってみました。そして気がついたんです。
シンプルで手間がかからなさそうにみえるけれど、
実は手入れを怠ると、ただの「きんたろさん」になってしまうのだと…。
当然私は「即・きんたろさん」になりました。
それでもがんばってもう一回…と、うんと短くしてもらい、
襟足からうしろを刈り上げてもらいました。
さっぱりして、これなら着物でもモダンだーなんて(カオのことは忘れてください)
うれしかったのですが、10日目にして「刈り上げ」はのびほーだいになり、
タワシ化してしまいました。
短いのは短いナリに、手間とお金がかかるものなのだと納得。
以来私の髪は、タワシからホウキへと、かわったのであります。
こちら、最初の「南田さんカット」のとき…。
髪が多くて硬いので、すでに「きたろう」状態になっています。

南田さんのことから…というわけではないのですが、
彼女が「若手女優」さんとして活躍していたころは、
私はまだ子供…、何を見たり聞いたりしていたっけかな…と考えていて、
ふと思い出したのがトップ写真の「ソノシート」。
たぶん昭和40年くらいの「カルピス」の抽選であたる「景品」です。
以前にも出したきがするのですが…。
「カルピス ソノシート 声のアルバム」、
中は「お父様編」「お母様編」というように分かれていまして、
例えば「お父様編」は歴史に残る貴重な声、として「エジソン」「乃木大将」
「東郷元帥」レーニン」など。パーソナリティはまだ御髪黒々の森茂久彌氏。

「お母様編」は児島正雄氏の案内で「若い皇室の声」など。
「清宮様のご成人」「美智子様のご婚約発表」など皇室関係と、
ケネディ夫人、ウィンザー公など。

「お兄様編」が藤村有弘氏の案内で「おかしい声」
「外人落語 "ガマの油"」「活弁 "ジゴマ"の一節」
「お姉さま編」は、まだ若々しい高島忠夫氏案内で「世界の美しい歌」
「シェリト・リンド」「ロマンス」など、

最後は「お子様編」で「日本の楽しい子供の歌」
「春の小川」「茶摘」「村祭り」「故郷の空」など…。
しげしげ見ていたら「これけっこう貴重とちゃう?」…。
ソノシートは一度も使われたようすがありません。
プレーヤーさえあれば、聴けると思います。
あるんですよ、オットの部屋に…でも「稼動」していない…。
どっかにしまいこまれてあるはずです。聴いて見たい気がしますね。
高島忠夫さんも、欝になられたりしてたいへんでした。
すでに「高齢」と言われる年になっています。
昔「若手」としてスクリーンやブラウン管(古いなー)で活躍していた方々が、
渋くていい味を出す俳優さんになっていたり、
「老い」を「老い」として隠さず女優さんしていたり…。
私の子供のころから、映画、そしてテレビ、と広まってきましたから、
そういう時代になったんですね。
今、イケメンと言われている人たちのなかで、30年後に
「いい俳優になったねぇ」といわれる人は、どれくらいいるのかなぁ。
その前に、私自身が「いい年」とらないといけないですねぇ。
とりあえず、もうオカッパはやめる…そこかぇ…。
というか・・・表情が目の輝きが元に戻って
いて、話の受け答えも普通でこれは朗報だと
喜んでいたのにクモ膜下で逝かれるなんて・・
ご冥福をお祈りします。
介護の意味をずっと考えさせられていました。
介護する方の自己満足になりすぎず
介護される尊厳をたてられるのは…。
残された長門さんがインタビューに応えるたびに
自問自答しています。
南田さんというと、自分の中では和服で割烹着なんですよね。
あねさまかぶりのてぬぐいで、野良着姿でも記憶に残っています。
和服の似合う今や数少ない女優さんだったなぁと思います。
(合掌)
肝臓でも、知的に障害ってありますし、
ただの便秘でも、祖父なんかは
三日くらい、ほんとにおかしくなりました。
まだわかっていないことって、
たくさんあるんですよね。
私も普通にお話しているところを見て、
母と重ねていました。
若いころを知っている俳優さんや女優さんが
逝かれると、さみしいですねぇ。
私もご冥福をお祈りしています。
介護って、ほんとに「その人その人」なのだと
そんな風に思います。
ある作家さんが、自分のブログで
「女房を晒して売り物にしてる」みたいな、
そういう評価をしていました。
美人だったのだから、そのままみんなの記憶にのこるように、老醜を晒すな…みたいな。
でも、認知症っていきなり何もわからないとか
判断できなくなるとか、
そういうものじゃないから、
もし、晒されたくなかったら、
きっとまだはっきりしているうちに、
「ひどくなったら誰にも会わせないで」と
ご主人に言っていたと思うんです。
それに、記憶がダメになっていても、
素顔でも大林監督の映画にでたんですよね。
ご自身が「あるがまま」を受け入れて、
あるがままに生きていたと思います。
「認知症なのに」とか「惨めな姿」とか
そんな風に言うのは、認知症に対しても
偏見があるんじゃないかと、
そんな気がしました。その作家さん、
けっこうきついこという人なんですけどね。
ちょっとヒキました。
人それぞれでしょうけれど、
大事なのは、本人が楽しくすごせるかどうか、
なんでしょうね。それが難しいのだけれど。