
写真は、ムスカリ…もう手入れもせずにほったらかしていた鉢、
春になったらパンジーでも植えようと思っていましたが
「あららキミ、こんなところで…」とみつけました。
おとといの深夜3時半ごろに実家から電話が鳴り、母がまた「コケた」と…。
幸い骨折も何もなく、打撲と擦り傷ですみました。
つまずいたというより、もう足がもつれるのですよね。
いくら手すりをつけたり、いろいろ工夫しても、
本人に使う気がなければ何も役にも立たないわけで…。
まぁとにかく真夜中のことで、父も母の倒れる音で眼がさめて駆け寄ったわけで、
実際には転んだ瞬間を見ていない…聞いても本人は「ナニがあったかわからない」…。
とりあえず意識もあるし、出血も何もないが腰のあたりが痛いらしいので、
ベッドまで運ぼうと思う…で、飛んで行きました。
母は、扉をあけたすぐのところで横になっていたのですが、
それでは、と体を支えて起き上がらせたら「イタタタタ」と言う。
どうも腰のようで、それがまぁ「打撲」だったのですが、
父が「見たときの状況からいって、確実にアタマ打ってる」と言うのです。
もう反射的に手でささえるとか、カバーするとかできませんから、
モロに後頭部を壁にうちつけているはずでした。
コブになっていないのがよけい気になる…。
それに2年前に背骨を圧迫骨折してますし、腰の痛いのが我々には打撲か骨折か
そんなことはわかりませんし…。
とりあえず訪問看護士のかたの夜間救急担当に電話して相談したんですが、
「前科」があるし、本人が痛みなどをうまく説明できない(鈍くもなってます)し、
骨折でも亀裂、つまりヒビですね、そっちがあるかもしれないし、
やはり動かさずにそのままつれていって、レントゲン撮ったほうがいい…
ということで「救急車」、ということになりました。
で、母は無事救急車で運ばれ、父は自分の車で準備万端整えて後を追いました。
夜が空けるちょっと前に病院から連絡があり、骨折もなかったとのこと、
これから帰るというので、一足先に実家に行ってストーブや電気毛布のスイッチをいれ、
部屋を暖めていると戻ってきました。
さて、そのときのハナシです。救急車の中で、病院に連絡をしたわけですが、
病院の返事…「レントゲンもCTも撮影できます。整形外科と脳神経外科の医師もいるので
診察はできます。但し入院はできませんので、もしもの場合はほかへ行ってください。
みなさん診察が終わるとそのままお帰りいただいてますので」…。
それでもよければこい…と、まぁそういうことなのでしょう。
もちろん、母の状態を説明した上でいま一刻を争うような状況ではない、と判断して
そういったのだとは思います。シップ薬も痛み止めも、何もでませんでした。
私は息子が小さいころから病院とは「しんせきづきあい」みたいにしていますので、
医療現場というものも、いろいろと患者側の立場で見ています。
今の医療現場は悲惨です。「診るだけ診るけど何もできないからね」は、
医師のせいだけではなく、今の日本の医療制度のしわよせです。
診てくれるだけでも、しかもCTまで撮ってくもらったのですから、
今回の診察に文句はありません。
でももし、それで脳内出血が認められたり、頭蓋骨にヒビが入っていたりしたら、
今度はそれの手当てをしてくれるところを、また探していくわけですよね。
そこの病院は、地域では大きな病院で、実はかつて主人の父も足の骨折で
入院手術をしています。決して「手術できない病院」ではありません。
そういうところで、患者をことわらなければならない現実があるわけです。
よく「たらいまわし」というハナシがあり、病院側が責められることがあります。
言われてもしょうがない病院もありますが、実際受け入れたくても人がいない、
医師がいない、手が足りない、ベッドがない…という現実が多くあるのも事実です。
息子が船橋で生まれたときから引っ越すまで12年お世話になった病院がありました。
小児科の部長先生は、ずっと障害児や難病の子供ばかりを専門に診てこられた医師で、
私は何もわからない障害児の母親として、どれだけ励まされ教えられたかしれません。
息子の命は何度も助けていただきました。
横浜に戻ることになったとき、その先生と離れることだけが心配でした。
ずっと年二回のハガキで息子の近況を知らせてきましたが、
それから5年ほど経って「移動しました」と連絡が来ました。
それも医療の最前線ではなく、保健センターみたいなところです。
原因は、病院の若い看護士の医療ミスでした。薬のミスだったかで、
残念ながらお子さんが一人亡くなられて…。
部長という立場なら、責任を問われるのは仕方のないことです。
市立でしたから「左遷」は当然の処置だったのでしょうけれど、
あれだけ腕のいい、心のケアまでしてくださる医師が、
一線を退き、とうとう定年まで、そこにおられました。
事故がおきてからの処置はちゃっちゃと早いのに、
どうしてそんなことになるのかという「大元の原因」は、
いまだにほったらかしでです。
先日もお年寄りの施設の火事で、何人ものかたが亡くなりました。
ストーブのそばで洗濯物を乾かしていた…職員はお年寄りのオムツ交換をしていた…
施設は防火についてのあれこれを改善するよう勧告を受けていた…。
最近はよく耳にすることで、またかと思いますが、
人を増やせの防火をしろの…言うほうは簡単に言って、それで何してくれるわけじゃない。
そのお金がないわけですし、職員は3Kどころじゃない4K5Kの仕事を、
通常より安い給料でやっているのが現状です。
昨今「就職難」と言っていますが、こういうところは徹底的に人手不足なのです。
確かに、施設の中にはずるいことをしたり、できることをやらなかったり、
そういうところもあったりしますが、一生懸命やっているところもあるわけです。
それでも火事が起きて、人が亡くなれば「あそこがこうしてなかった」
「人がたりなかった」と、責任を問われる。
父は、母のことを最期まで病院にも施設にも入れたくない、と言っています。
「意識がなくなったり、医療処置が家でできなくなったりしたら、
そのときはしかたないよ」といってはありますが、
正直私も「慢性的に人が足りない」病院や施設には、母を入れることは気がすすみません。
昔「付き添いさん」という職業がありました。
家族のかわりに入院患者に付き添って、世話を焼いてくれる人です。
まぁ、モンダイもあったりしまして、たとえば自分の買い物まで
依頼人の買い物につけたり、お見舞いのオカシやくだものを勝手に持って帰ったり…。
私が子供のころは、お年寄りが入院すると近所の奥さんが集まって、
近くの一軒しかなかった病院の「付き添いさん」の品評会をやってました。
○○さんは陽気だけどがポカ多いとか、☓☓さんは、無愛想だけど仕事は確かだとか、
付き添いサンの中でも「ランクづけ」されたりしてましたっけ。
現在はどうかと言いますと、付き添いさんは法律で廃止され、認められていません。
ところが、実際には今まで付き添さんがやっていたことを、
全て看護士や医師でやることはできません。
それでもそばに付き添うのは家族でなければならないという決まりがありますから、
個人で家政婦紹介所などに依頼し、それを病院には「家族」として届けておくわけです。
でも、病院は24時間体勢で面倒見ます、となってますから、
本来、そばいられるのは面会時間内です。それでは困ります。実は病院側も。
結局病院によっては「見てみないふりしますので」と、OKしている、というのが現状。
私も、息子の入院のときは、退院まで付き添いますが、
私は法的には認められていない「存在」ですので、食事ももちろんでませんし、
横で寝るための介護用簡易ベッドも、ご好意で借りているだけ。
だいたい半月くらいの入院でしたが、借りた毛布のカバーなども全部自分で洗濯です。
私はオットが「子供にかかりきれ」といってくれますし、
当時は両親とも元気でしたから、お弁当を差し入れてくれたり、
大きな洗濯物は、持って帰ってくれたりしました。
でも、今、この現状で母が入院したら…と思うと、ぞっとします。
高齢化社会なんて、今、急に始まったことでもないのに、
少しずつよくしていくべき福祉や医療が、どんどんオソマツになってゆく。
昔両親が、あの世へはコロッと行きたい…なんていうのを、
縁起でもない、とか、急に死なれたらこっちに心残りがのこるやんか、と言いましたが、
今私は「自分がいくときはコロッといきたい」ですわ。
そんなわけで、また一日ドタバタしましたが、
母は幸い2日目から、自力でポータブルトイレを使えるようになりました。
何でケガをしたかも覚えていない母が、
私に「世話かけてごめんねぇ、かんにんなぁ」と言うのを聞いて、
母の腰よりも、こっちの胸の中のほうが、よっぽど痛かったです。
日本は「姥捨て國」と名前を変えたんですかねぇ。
春になったらパンジーでも植えようと思っていましたが
「あららキミ、こんなところで…」とみつけました。
おとといの深夜3時半ごろに実家から電話が鳴り、母がまた「コケた」と…。
幸い骨折も何もなく、打撲と擦り傷ですみました。
つまずいたというより、もう足がもつれるのですよね。
いくら手すりをつけたり、いろいろ工夫しても、
本人に使う気がなければ何も役にも立たないわけで…。
まぁとにかく真夜中のことで、父も母の倒れる音で眼がさめて駆け寄ったわけで、
実際には転んだ瞬間を見ていない…聞いても本人は「ナニがあったかわからない」…。
とりあえず意識もあるし、出血も何もないが腰のあたりが痛いらしいので、
ベッドまで運ぼうと思う…で、飛んで行きました。
母は、扉をあけたすぐのところで横になっていたのですが、
それでは、と体を支えて起き上がらせたら「イタタタタ」と言う。
どうも腰のようで、それがまぁ「打撲」だったのですが、
父が「見たときの状況からいって、確実にアタマ打ってる」と言うのです。
もう反射的に手でささえるとか、カバーするとかできませんから、
モロに後頭部を壁にうちつけているはずでした。
コブになっていないのがよけい気になる…。
それに2年前に背骨を圧迫骨折してますし、腰の痛いのが我々には打撲か骨折か
そんなことはわかりませんし…。
とりあえず訪問看護士のかたの夜間救急担当に電話して相談したんですが、
「前科」があるし、本人が痛みなどをうまく説明できない(鈍くもなってます)し、
骨折でも亀裂、つまりヒビですね、そっちがあるかもしれないし、
やはり動かさずにそのままつれていって、レントゲン撮ったほうがいい…
ということで「救急車」、ということになりました。
で、母は無事救急車で運ばれ、父は自分の車で準備万端整えて後を追いました。
夜が空けるちょっと前に病院から連絡があり、骨折もなかったとのこと、
これから帰るというので、一足先に実家に行ってストーブや電気毛布のスイッチをいれ、
部屋を暖めていると戻ってきました。
さて、そのときのハナシです。救急車の中で、病院に連絡をしたわけですが、
病院の返事…「レントゲンもCTも撮影できます。整形外科と脳神経外科の医師もいるので
診察はできます。但し入院はできませんので、もしもの場合はほかへ行ってください。
みなさん診察が終わるとそのままお帰りいただいてますので」…。
それでもよければこい…と、まぁそういうことなのでしょう。
もちろん、母の状態を説明した上でいま一刻を争うような状況ではない、と判断して
そういったのだとは思います。シップ薬も痛み止めも、何もでませんでした。
私は息子が小さいころから病院とは「しんせきづきあい」みたいにしていますので、
医療現場というものも、いろいろと患者側の立場で見ています。
今の医療現場は悲惨です。「診るだけ診るけど何もできないからね」は、
医師のせいだけではなく、今の日本の医療制度のしわよせです。
診てくれるだけでも、しかもCTまで撮ってくもらったのですから、
今回の診察に文句はありません。
でももし、それで脳内出血が認められたり、頭蓋骨にヒビが入っていたりしたら、
今度はそれの手当てをしてくれるところを、また探していくわけですよね。
そこの病院は、地域では大きな病院で、実はかつて主人の父も足の骨折で
入院手術をしています。決して「手術できない病院」ではありません。
そういうところで、患者をことわらなければならない現実があるわけです。
よく「たらいまわし」というハナシがあり、病院側が責められることがあります。
言われてもしょうがない病院もありますが、実際受け入れたくても人がいない、
医師がいない、手が足りない、ベッドがない…という現実が多くあるのも事実です。
息子が船橋で生まれたときから引っ越すまで12年お世話になった病院がありました。
小児科の部長先生は、ずっと障害児や難病の子供ばかりを専門に診てこられた医師で、
私は何もわからない障害児の母親として、どれだけ励まされ教えられたかしれません。
息子の命は何度も助けていただきました。
横浜に戻ることになったとき、その先生と離れることだけが心配でした。
ずっと年二回のハガキで息子の近況を知らせてきましたが、
それから5年ほど経って「移動しました」と連絡が来ました。
それも医療の最前線ではなく、保健センターみたいなところです。
原因は、病院の若い看護士の医療ミスでした。薬のミスだったかで、
残念ながらお子さんが一人亡くなられて…。
部長という立場なら、責任を問われるのは仕方のないことです。
市立でしたから「左遷」は当然の処置だったのでしょうけれど、
あれだけ腕のいい、心のケアまでしてくださる医師が、
一線を退き、とうとう定年まで、そこにおられました。
事故がおきてからの処置はちゃっちゃと早いのに、
どうしてそんなことになるのかという「大元の原因」は、
いまだにほったらかしでです。
先日もお年寄りの施設の火事で、何人ものかたが亡くなりました。
ストーブのそばで洗濯物を乾かしていた…職員はお年寄りのオムツ交換をしていた…
施設は防火についてのあれこれを改善するよう勧告を受けていた…。
最近はよく耳にすることで、またかと思いますが、
人を増やせの防火をしろの…言うほうは簡単に言って、それで何してくれるわけじゃない。
そのお金がないわけですし、職員は3Kどころじゃない4K5Kの仕事を、
通常より安い給料でやっているのが現状です。
昨今「就職難」と言っていますが、こういうところは徹底的に人手不足なのです。
確かに、施設の中にはずるいことをしたり、できることをやらなかったり、
そういうところもあったりしますが、一生懸命やっているところもあるわけです。
それでも火事が起きて、人が亡くなれば「あそこがこうしてなかった」
「人がたりなかった」と、責任を問われる。
父は、母のことを最期まで病院にも施設にも入れたくない、と言っています。
「意識がなくなったり、医療処置が家でできなくなったりしたら、
そのときはしかたないよ」といってはありますが、
正直私も「慢性的に人が足りない」病院や施設には、母を入れることは気がすすみません。
昔「付き添いさん」という職業がありました。
家族のかわりに入院患者に付き添って、世話を焼いてくれる人です。
まぁ、モンダイもあったりしまして、たとえば自分の買い物まで
依頼人の買い物につけたり、お見舞いのオカシやくだものを勝手に持って帰ったり…。
私が子供のころは、お年寄りが入院すると近所の奥さんが集まって、
近くの一軒しかなかった病院の「付き添いさん」の品評会をやってました。
○○さんは陽気だけどがポカ多いとか、☓☓さんは、無愛想だけど仕事は確かだとか、
付き添いサンの中でも「ランクづけ」されたりしてましたっけ。
現在はどうかと言いますと、付き添いさんは法律で廃止され、認められていません。
ところが、実際には今まで付き添さんがやっていたことを、
全て看護士や医師でやることはできません。
それでもそばに付き添うのは家族でなければならないという決まりがありますから、
個人で家政婦紹介所などに依頼し、それを病院には「家族」として届けておくわけです。
でも、病院は24時間体勢で面倒見ます、となってますから、
本来、そばいられるのは面会時間内です。それでは困ります。実は病院側も。
結局病院によっては「見てみないふりしますので」と、OKしている、というのが現状。
私も、息子の入院のときは、退院まで付き添いますが、
私は法的には認められていない「存在」ですので、食事ももちろんでませんし、
横で寝るための介護用簡易ベッドも、ご好意で借りているだけ。
だいたい半月くらいの入院でしたが、借りた毛布のカバーなども全部自分で洗濯です。
私はオットが「子供にかかりきれ」といってくれますし、
当時は両親とも元気でしたから、お弁当を差し入れてくれたり、
大きな洗濯物は、持って帰ってくれたりしました。
でも、今、この現状で母が入院したら…と思うと、ぞっとします。
高齢化社会なんて、今、急に始まったことでもないのに、
少しずつよくしていくべき福祉や医療が、どんどんオソマツになってゆく。
昔両親が、あの世へはコロッと行きたい…なんていうのを、
縁起でもない、とか、急に死なれたらこっちに心残りがのこるやんか、と言いましたが、
今私は「自分がいくときはコロッといきたい」ですわ。
そんなわけで、また一日ドタバタしましたが、
母は幸い2日目から、自力でポータブルトイレを使えるようになりました。
何でケガをしたかも覚えていない母が、
私に「世話かけてごめんねぇ、かんにんなぁ」と言うのを聞いて、
母の腰よりも、こっちの胸の中のほうが、よっぽど痛かったです。
日本は「姥捨て國」と名前を変えたんですかねぇ。
でも、夜中の電話はおそろしいです。
介護費用はしっかり年金から引かれて
いるのに、老後をケアしてもらえない
なんて本当におかしな国ですよね。
健康なら長生きしたい、でも長患い
するぐらいならころっと逝きたいと
私も常々思います。
大事に至らず、本当に幸いでしたね。
いつからでしょう、「こんなことくらいで、病院に行っていいのかな…?」とためらうようになったのは。テレビや何やに いろいろ聞かされて、知らず知らず不安が大きくなっています。
私も、今、義母が…と思うと恐ろしい。と同時に、もし自分がどうかなったら?…と思うと、家じゅうのことを考えて 胆が冷えます。
無理は承知ですけど、みんなが ずっと、自分なりに健康でいられたら…。それだけが願いです。
とんぼさん、どうぞご自愛ください。
よそ様でこういった事故がおこっても我が身に振り替えてしまいます。
批判するつもりではないとおことわりして、どうして日本は
親の介護は配偶者か子供がみる…という「信仰」がはびこっているのか、ためいきです。
これほどプロとしての見識が必要なものもないのに、経験や知識の浅い身内になかば丸投げしたり
逆に経験や知識のある役職をけずったりできるのか。
怒ってはいけない持病持ちでも怒りがこみあげてきます。
おだいじに。
よかったと私も安堵しています。
父も晩年は昼夜の区別がつかなくなり、夜中に
<誰もいない...>と言ってきたりしました。
人は老いるものとわかっていても、電話のたびに
飛び起きる自分にも疲れたりしていました。
病院の使い方...って難しいですね。
<コンクリートから人へ> よい言葉で賛成ですが
なかなか...です。
病気の人には懇切丁寧な医療を願わずにはいられませんが、
健康を維持させることに中高年になったら毎日
意識することが必要とつくづく感じています。
これからの人生を考えますと私の電話で子どもたちを
驚かせたり、疲れさせたりする日が少しでも遠くなる
ようにしなければ...って思います。
とんぼさんも、充分気をつけてお疲れがでませんように。
ありがとうございます。
おかげさまで、今日も行きましたが、
腰の痛みもだいぶ引いたようです。
今がこんな状態で、私達が母の年になったら
どんな世の中なのかと不安になります。
長患いはほんと、したくないですね。
ありがとうございます。
昔はなんでも近所の医者にいって、
なんでも話して…とやっていたのに、
なんだかよくなったのかわるくなったのか
よくわからない夜中になりました。
お互いほんとに、健康に気をつけて、
元気でいましょうね。
ありがとうございます。
ほんとに「家族に丸投げ」ですね。
母などはまだ、体がよれよれなだけですが、
いろいろと医療器具を使うようになったら、
夜もぐっすり眠れなくなります。
父の体も心配です。
いろいろありがとうございます。
夜中の電話は、ほんとに飛び起きます。
元気でいる努力、は、医療の発達していなかった
昔よりも今のほうが必要な気がします。
性根すえて年取らないと…ですねぇ。
お互い、元気でいきましょう。