マハサラカムだより

マハサラカムでの生活、地域の様子の紹介

今回はベトナム航空

2012-01-13 00:07:51 | 日記

 今回のタイ・日本間の往復はベトナム航空を利用した。30周年式典に出席するため。ホーチミンでのストップオーバーを取りやめ、当初の予定より出発を3日遅くした。安価な航空券だが変更ができ、変更手数料は700バーツ(2000)と購入時に聞いていた。変更の手続きを行うとホーチミンでのベトナム入国をしないため、空港税も返却されるということで、実際に支払った手数料は450円であった。(写真:ホーチミン空港)

 朝の6時に自宅を出て、関西空港に着いたのが8時、すぐにベトナム航空のカウンターに並ぶ、比較的前の方に並んでいたし、カウンターも10ヶ所ほど開いていたのになかなか前に進まない、気がつくと後ろは長蛇の列、やっと順番が来て、その理由がわかった。発券機のオンラインが不調で航空券等の発券に時間がかかっている、窓口の女性は来る人、来る人に「お待たせしています」と頭を下げている、結局、ホーチミン経由のバンコク行きで時間がかかるのか、自分の場合は10分近くかかった。待っている間、雑談していたが航空機預けの荷物の話になり、20キロと書かれてあるが現在は40キロになっているという説明を受けた。20キロの場合は5キロのサービスがあり、25キロまでOKだが、40キロはサービスがないと教えてもらった。

このままでは出発時刻に間に合わないのではと思っていると、搭乗時刻は航空券記載とおり出発時刻の35分前であったが、結局、機内で待つことになり、30分ほど遅れて離陸した。1時間、機内にいた訳である。

 機内食は日本時間の12時頃に出される。ベトナムもタイも日本より2時間遅れで、バンコク行きのホーチミン発は現地時間の5時発なので、朝の10時に昼食を食べ、夕食はだいたい5時半頃ということになった。ホーチミン空港での待ち時間は約2時間半、空港が一望できる無料の休憩所があることがわかり、ゆったりしたソファーで時間を過ごすことができた。ホーチミンからクルンテープは約1時間半、飛び立って夕食を食べるとすぐ着陸である。機内から見た太陽が沈む間際の雲海がすばらしかった。


京都新聞

2012-01-12 00:20:30 | 日記

 JICAの方針に積極的な広報活動を行うということがある。二本松で同じ班であった人や同期のタイ派遣者からも取材をうけた話を聞いた。自分も出発前に向日市長を表敬訪問した際に取材を受け掲載された、帰国表敬の時は市長応接室に「向日市民だより」の担当の方しかおられなかったので新聞社はないと思っていたら、電話がかかってきて、帰国後の今回は支局での取材ということになった。掲載されたタイトルは「あの人、この人」というもので毎週火曜日に掲載されているそうである。

大阪で育ったので学生で京都に来るまで、京都新聞のことを知らなかった。1回生の時、書店で配達のアルバイトをして、毎日、京都新聞本社に雑誌を届けた思い出がある。

現在、京都新聞は我が家でも購読しているが、国際関係、全国的な内容から京都、そして地元の記事までバランスよく網羅している新聞だと認識している、価格は全国紙と同じである。京都新聞の販売エリアは京都府と滋賀県ということだが乙訓地域の購読者が実に多いようである、新聞に載ると多くの人から声をかけられる、現職の時も学校のことが掲載されると声をかけられた。出発時は、掲載後すぐにタイに赴任してあまりわからなかったが、帰国時の記事の反応の大きさに驚いている。

ありがたいことは、JICAの任期が終了したことの挨拶、連絡が不十分であったので、記事がその役割を果たしてくれた。知人、卒業生、教員等々から声をかけられたりメールをもらったりした。年賀状に書かれてもいた。その中でも記事を50部印刷して「活用してください」と郵送してくださった方もいる、この方は元地元の私学の教師だが、女子サッカー全日本の初代監督をされている。中学校で3年生を担任したり、進路指導を担当している時に知り合いになった。本当にありがたいことである。 新聞に掲載されたのは10月であるが、年が変わってもまだ声をかけてくれた、年末・年始で多かったのは買い物に行ったお店の方、食事したレストランの方、散髪屋さん、銀行の方等で大変ありがたいことと思う。


創立30周年

2012-01-11 00:22:10 | 日記

 勤務した中学校の創立30周年式典があった。当初はこの日に出発して、ホーチミンでストップオーバーしてからタイに行く予定をしていたが、出席するために出発日を3日遅らせてホーチミンでの宿泊を取りやめた。

 この学校には3年間在籍した、当時の通勤路を学校に向かう、久しぶりの学校はとても懐かしかった。

記念式典の後の行事は卒業生であるロッテの今江敏晃選手と旧担任、生徒たちの対談であった。在校時代の思い出や高校時代(PL学園高校)のこと、プロ野球選手をめざしていたこと、プロになってからのこと等々の話で、子どもの頃からの夢を実現したこと、授業をしっかり受けること等を中学生にもわかりやすく話された。

今江選手の存在を知ったのは彼が高校2年生の夏休み、PL高校が甲子園に出場して彼が4番打者であることを担任から知らされた時、学校でテレビを見て応援した、当時、PL2年生で4番は清原選手以来と教えてもらった。

対談の中で苦しかったのは高校3年生でキャプテンであったが、不祥事で夏の大会に出られなかったことと話された。対談の後、ポプラの記念植樹があった。ポプラは校歌の歌詞にあり、新しいポプラをもう一本植樹するのかと思ったら、従前のは枯れてしまったようである。

 今江選手はロッテにドラフトで指名され入団する時に学校に挨拶に来られて、少し話をする機会があった。入団してからは日本シリーズで2MVPと大活躍である。

ちょうど10年前の20周年を在職していて行った、今回、出席して式典の進行や生徒の様子を見ていて隔世の感がある。20周年当時は荒れていた状況からやっと落ち着きを取り戻してきた頃であった。生徒達も30周年の記念歌を作詞したり、今江選手に整然と質問したり、態度も立派だった。

 20周年行事は生徒に関心のあるものをとやはり元PLの野球部員で、清原、桑田選手と同期生で試合中の事故で下半身不随になった方に来ていただいて、講演してもらった、彼とは現在も年賀の交換をしている。

 時の流れは早い、先輩の先生方とも話していたが、お互い元気で50周年を迎えられるように健康でいたいものである。


「ヒマ」

2012-01-10 02:06:55 | 日記

  日本にいると特段忙しくないときもテレビを見たりしてついつい時間がすぎてしまう。もう10日だというのに今年初めての更新です、遅くなりましたが今年もよろしくお願いします。

 「ヒマ」はタイ語で雪のこと、勿論タイでは雪は降らない、正しいのかどうか知らないが、タイ人にとって雪はヒマラヤしか知らなかったので雪のことを「ヒマ」というようになったと聞いたことがある。

 先月の帰国の際、センターの職員や学食のおばさんに言われたことは「日本は寒いのか」「雪は降っているのか」ということ、「京都は寒いけど雪はあまり降らない」と言ったけど、「雪の写真を撮ってきて欲しい」と頼まれた。

 冬型の気圧配置が強まれば日本海側はよく積もる、しかし、太平洋側は寒くなるけど晴れている、どうしようかと思っていたら、ちょうど宮津に行く時に丹後地方の天気予報は「雪」、期待して行くが道中なかなか積もっていなかったが、和知からの高速を降りると少しだが積もっていた。これで期待に応えられると一安心、ただ何十センチと積もっているわけでないので、本当の雪国の様子を理解してもらう訳にはいかない。

 夜の間もかなり降ったようで、翌日の昼過ぎでも車の屋根には雪がある。帰路は高速ではタイヤ規制もされていた、丹波町あたりまで雪であった。撮った写真は職員と子どもたちに見せるつもりである、どういう感想か楽しみである。