マハサラカムだより

マハサラカムでの生活、地域の様子の紹介

思い違い

2010-09-16 01:44:26 | 日記
    一昨日の帰る間際、センターの玄関で自分のクラスの学生に日本語を教えて欲しいと依頼された先生に会った。月曜日の12時40分からとなっているのだが、雨が降ったりして、学生の集まりが悪かったので、今後のことを相談しようと思って先生に声をかけようとすると、先生から先に「学生がきちんと行かなくてごめんなさい。明日の朝10時、センターにいますか、」と聞かれ、今日は忙しいので明日、話し合いをしましょう、ということと思った。
    昨日、教室にいると、学生が呼びにきた、時計を見ると10時5分、「しまった」と思い先生を周りの教室やら事務室を探す、どこにもおられないと思うと、先ほど呼びに来た学生が3階という、あわてて3階に行っても先生はいない、その学生が教室を指し、入ったがやはり先生はいない、学生が座っている、そこで気がついた、先生が言った「10時にセンターにいますか」は相談ではなく、授業をして欲しいとのこと、まさかこちらは前日の夕方5時に話を聞いて、翌朝の10時に授業とは夢にも思わなかった。(写真は授業の前)
    あわてて教材を部屋に取りに行く、流れた時の授業プリントがあったのでよかったが、授業の前には「後について言いなさい」「集中して」「隣の人と」「挨拶」といった授業を進めるのに必要なタイ語を復唱して行くのだが、ともかくそれらを書いたメモ用紙を持って教室へ、授業の流れもうら覚えであったが、11時までの50分間、何とか乗り切った。
    それにしても、たまたま出会ったことがきっかけで、学期末のテストが行われている最中にもかかわらず、その日の朝に言われた学生たちもよく集まったものだ。

朝の会

2010-09-15 00:38:22 | 日記
   子どもがセンターに来る時間は8時30分となっているが、その時刻に来る子どもは半分もいない、9時過ぎにかけて少しずつ増えていく、朝の会は集まり具合にもよるが、だいたい8時40分頃から始まり、約30分で終わる。最初に先生の挨拶と簡単な体操、手製の掲揚台を使ってテープによる国歌を流して国旗の掲揚、テープによるお経、瞑想、そして軽やかなメロディーに合わせての踊り、最後に先生の話があって全体の朝の会は終わる。
   天気がよくて、めちゃくちゃ暑くない時や地面が濡れていない時は屋外で、そうでない時は、教室前の廊下のちょっと広い所で行っている、建物の中では踊れるだけの広さがないので、簡単に手足を動かす程度、そのかわり先生の話はよく聞こえて比較的集中できる、先生は子どもたちにどんな話をしているのか、いくつかの単語は理解できるが、まだまだ全体の話はわからない、子どもたちの集中もなかなか難しい、3~4人の子は、集会の途中であっても目が合うと握手を求めて列から離れて来る、応じているがどうしたものかとも思ってしまう。
   全体の朝の会が終わると4つのグループに分かれて教室に入る。いつも入っているグループは、そこで再び歌を歌ったりしてのグループの朝の会を行っている。

非常事態宣言の行方は

2010-09-14 01:54:44 | 日記
   非常事態宣言が4月7日に発令されてから、5ヶ月余りがたった。ここマハサラカムにも発令されたが、最大時でクルンテープと23県、現在発令中なのは、クルンテープと6県である。
   この非常事態宣言は日本では大問題になる内容が中心ともいえる、それは、5人以上の集会の禁止、逮捕状がなくても逮捕・拘禁できるというもの、とうてい民主主義とは無縁で人権侵害そのものである。従って、4月7日以降のラーチャプラソン交差点での赤シャツの集会はずっと違法状態であったといえる。
   現在もクルンテープでは爆発事件が起き、「宣言」の解除ができないでいるが、見方によっては、宣言があっても事件が起こっており、宣言が有効に機能していないことになる。意見の中には、治安の安定というより政府に反対するものを排除することが目的ではないかというのもあり、治安が安定していても発令されていたマハサラカム(写真はイサーン台地と街の風景、イサーンは赤シャツの拠点)のことを思うと、あたっているようにも思える。
   今月19日は、クーデターで当時のタクシン首相が失脚して4年目を迎える。当時はタイの活動に参加するようになってしばらくした頃だが、「誰も死者が出なかった、タイも成熟した」という声を日本で聞いたが、この間の状況を見ていると、それはたまたまの偶然であったように思う。非常事態宣言も解除されて、早く「普通」の国になってほしいと願う。

久しぶりのコンケーン

2010-09-13 14:14:17 | 日記
  4ヶ月ぶりである、赤シャツの騒動の頃から北タイやナコーンラーチャシーマーの往復のバス乗り継ぎにバスターミナルに行くだけで、街へは行っていなかった。昨日の日曜日、土曜日の夜に思いたって久しぶりにコンケーンへ行った。 早く出て、早く帰ろうと思い、朝早起きするが、起きると雷が、まずいなと思っていると降り出してくる、そんなに強い雨ではなかったのでやむまで時間がかかる。結局、部屋を出たのは10時半、バスターミナルに行かず、ラジャパットの正門の乗り場から乗ることに、ウドンタニ行きの1等バスが来る。普段48バーツが60バーツのバス代、100バーツ紙幣を渡すと20バーツ紙幣1枚しかお釣りを渡さない、「60バーツでは」と言うとすぐ手にある20バーツをくれる、20バーツしか渡していないことがわかっている、外国人だと思ってごまかそうとした雰囲気ありありの30歳くらいの女性車掌だった。昼過ぎにコンケーンの長距離用のバスターミナルに着いた。   
  コンケーンに着いて、目に入ったのは初めて見るメータータクシー(写真)、よく見かけたので、かなりの台数が走っていると思う、クルンテープ以外で、これほどの本格的なタクシーを見たことはなかった。これで街中の交通手段として、タクシーと、トゥクトゥク、ソンテゥ、人力車が行き交うことになる。  
  歩いてコーサホテルの前のデパートへ、食事をしてコンピュータ用品の買い物、また、歩いてセントラル・プラザへ、食品売り場で日本食品を見る、そこそこ置かれているが、やはりクルンテープのFUJIスーパーが良さそうなので、何も買わずまた歩いて、プーマンホテルに、(写真はプーマンホテルの前からコーサホテルの方向に)ロビーで1時間、コーヒーを飲みながら、ゆっくり新聞を読み、(写真はほったらかしのホテル増築工事、目印には最高)マーサージ店で2時間コースをしてもらって5時過ぎのバスでマハサラカムへ、ゆったりした一日であった。

T先生

2010-09-11 10:25:42 | 日記
   ランパーンのチットアリー校の日本人教師のT先生が学校を辞めて日本に帰られた。以前から日本タイクラブの会員が日本語教師でいることは知っていたが、T先生に初めて会ったのは今年の1月、ランパーンを訪問した時、着いた日はカンラヤニー校での文化祭だった、T先生もカンラヤニー校の文化祭にわざわざ来てくださってその会場でだった。会って直ぐその風貌というか人柄の良さがわかった。
  そして、翌日にチットアリー校へ行くことに、(写真は授業風景)チットアリー校に行った際、丁寧に学校内を案内してもらい、その晩は学校近くのレストランで食事をご馳走してもらった。その中で、もともと神戸の工業高校に勤めていて、退職後、タイに来て、ロングステイビザで滞在しているという話を聞いた、ロングステイは就労できないので、無報酬のボランティアをしているとのこと等の話とともに明日は70歳の誕生日、学校内でお祝いをしてくれるという、是非、行きたいと思ったが、夜行バスでマハサラカムに戻る日だというと、メーンは夜だが、朝から飲んでいるとのこと、そこで、当日、昼過ぎに再びチットアリー校へ、全寮制(写真は干している洗濯物)の学校で、確か土曜日、休日で生徒がいても関係なくお酒が飲めるのはタイの風土、バーベキューとビールを頂戴した。
   そして、先月、体調がよくない、今期で辞めるという話を聞いた、腕をみせてもらったが、赤く腫れ上がっている、タイの病院ではよくならない、日本の病院で治療するとのこと、今期ということで、9月末と勝手に思い込んでいた。それまでに何とかランパーンへ行けないかと考え、電話しようかと思っていたら日本に帰られたという日本タイクラブのメールが、体調が回復されたらまた、是非日本で会いたいと思う。