徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑪・幻の連合艦隊4~

2019-08-29 05:00:00 | 日記
ここにいたってはわが陸軍部隊は、これまで温存してきた数両の軽戦車、野砲、山砲を投入し、全力をあげて米軍に応戦したが、敵の圧倒的兵力と重装備の前には全く歯が立たず、なすすべもなく後退せざるを得なかった。
たのみとする連合艦隊も、第一機動隊からの情報もきたらず、司令、軍医長の表情にも焦慮のかげりが見られ、全員の間にはだんだんと悲壮感がみなぎってきた。

午後3時頃であったろうか、軍医長以下が弾薬庫の外に出て待機していたところ、はるかテニアン島南方洋上のロタ島上空と思われる付近に、黒点の集団が望見された。
それを見たとき皆は、これこそわが空母より発進した友軍機の大編隊と胸を躍らせ、その後の成果をワクワクする思いで待っていた。
しかし、10分、15分が経っても黒点の集団は近づいてこなかった。
それはなんとも、不思議なことだった。

のちに判明したことであるが、その黒点の集団は幻影ではなく、また錯覚でもなく、正真正銘のわが空母より発進した飛行機が、グアム、ロタの基地上空に達した時の、敵の猛烈なる対空砲火の弾幕であったのだ。
それを知った時の失望感は、生まれてこの方体験したことがないほどのものであった。
そして、さらに追い打ちをかけるように、夕刻5時頃になって、連合艦隊による敵撃滅のため『あ号作戦』は終了し、連合艦隊は内地に向け引き返した、と司令部より報告がもたらされた。
そして同時に、これからは、陸海軍は全力をあげて敵上陸部隊を阻止、援軍の再上陸までサイパン島を死守すべし、との命令をうけたのであった・・・・・・・・・・・

(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)

徳川おてんば姫(東京キララ社)