徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑦・大空中戦5~

2019-08-08 05:00:00 | 日記
日没後、岡本軍医長と私は兵数名を連れて、戦時治療所の防空壕を出て飛行機の医務室におもむいた。
屋根に大きく赤十字の標識をつけた医務室も、機銃掃射のため一部が破壊されていたが、残してある医薬品と薬品の大部分は完全で、私(父井手次郎の手記を基にしているので、以下「私」の記載は父井手次郎を指す。)たちはこれらを出来るだけ多く搬出して防空壕に運び込んだ。
アスリート飛行場の周辺では、かなりの戦死者や負傷者があったらしい。

夜になって壕に帰る途中、丘陵地帯のサトウキビ畑が敵の焼夷弾による火災のため、数か所で野火のごとく赤い炎を上げて燃え広がるのが印象的であった。

壕内の治療所では、負傷者十数名が激しい疼痛を訴え、そのため鎮痛剤や止血剤の投薬、注射などで誰もが一睡もしないで、応急処置に懸命であった。
さらに夜半になってアスリート飛行場からも、261空の負傷者数名が運び込まれてきた。

徳川おてんば姫(東京キララ社)