色んな事を悩み考え
模索して歩くオジサンな年頃。
皆そうだと思うが、
二十歳くらいから思想が固まり、
経験を重ね、
それを抱えたまま時を経て、
全員が宗教的になっていく。
ワタシはなって無い、なって無い、、いえいえ全員なっています。
ある考え方、思想を抱いて
過ごしてきた裏切れない時間、人生を重ねて、全員に頑なな部分が形成されて行く
それはまあ宗教という言い方しても、なんら変わり無いもの
全ての主義主張、考え方、思想、
価値観等など…
何にも属さない派も、
無宗教の人も、
結局全員そういった何かしら
自分の思うところに沿って生きている、言わば思想、宗教だ。
ワタシもそんな大分頑なになった自分と、長い事戦って来た。
ワタシはそんなんイヤだ教だからですね
しかし最近そのモヤが晴れ始めていたのだが、
決定的に心の直したい部分が書き換えられ始め、光明がハッキリと見え始めたのはなんと!
アインシュタインの相対性理論に触れたからです。
言っときますが!
全然サワリを知っただけで、
全てを理解なんか、これっぽっちも
していません!
ワハハ
でも十分に役立ちました
ホントにサワリの部分ですが、
立ち位置によって見え方が違うという部分と、
近づいているがそれは遠ざかってもいるという部分。
これってただの物理学とは思えない
一つの真理に何かカミナリに撃たれたような、
脳天からケ○の穴まで確信が突き抜けた様な、
とても気持ちの良い陽に照らされた新しい朝みたいな気分になりました
当たり前なんだけど
人それぞれは別の存在。
言わば違う世界を生きているほど違う。
違う思想を抱え、違う目標を持ち、
違う事を成そうとして生きている。
それなのに人は皆
頑なになった自分の宗教感から、
あれはダメだ、こうするべきだ、
自分と違う存在に腹を立て、
同じ存在にしようとし始める。
そうやって起こり始める
頑なな思想と、強力な勘違いが
別の存在へと向かって放出されればされる程、
頑なさがある分だけ脆弱な思想の持ち主に見え始めるし、
他人に強要する程その人が弱い人間に見えてくる。
相対性理論みたいじゃありません?
全ての立ち位置によって
見え方=生き方、思想が違っている事。
思想を他の存在に押し込めば押し込む程、遠ざかる=力を失う、失った弱い存在。
みたいな感じですかね。
まぁ訳分からんわ!というのも
それも存在するんです
ワハハ
全て思想の様なものは
己の内に向けて、
実際に存在する全てを
現実と受け止める。
ホント、単純なんですが、
相対性理論で
○ツの穴まで撃ち抜かれ導かれた、
ささやかながら
大事な大事なワタシの確信。
後は継続して実行あるのみ。だが…
ワタシってワタシからはヤラないが、ヤラれたら必ずやり返してしまう弱い所が。。
そんな土俵にもう乗りたくもないという、大切な大切な確信があるんだから、そんな弱い行動はしない様、
今後も日々精進あ〜るのみでやす