合理的に生きた先は
どうなるんだろ
ワタシは移動販売車を作るのにのべ1年、実質90日程もかかった
全く合理的では無いのだろう
しかし
そのおかげでワタシの中でワタシは、
1つの目標をこなした人になったし、
ヒトからも
それを自分の手で作っちゃう人と見られる事になった。
それが欲しくてやった訳じゃないが
今後その車で販売する時には、
隣と同じ車では無く、
沢山見かけるキッチンカーでも無い。
ワタシが作り上げたその車で
自分が作ったカレーを売る
ワタシの店はレトルトカレーは売らない店なのに、
何故だかキッチンカーに対してはレトルトの様な、コンビニのカップ麺みたいなモノを求める声も聞こえた。
合理的にやれば?!と。
合理的にやって
隣と同じ車で、インスタントに売るなんて考えもしなかったので面食らったし、
それについて考えたが、
その先には何も見当たらなかった
特別何かするでもないのに
全てを合理的に考えて、時間を空けて、
飲み歩きの酒が1杯増えたとか、
携帯いじる時間が増えたとか、
パチンコ代が三千円増えたとか。
それよりも
毎日車作りに没頭して時間かける。
それが人生ってもんなんじゃないかなと、
つくづく腹の底から確信めいた
力強いざわめきが体中を走り抜けた
なんだか今回車作った事で、
昔から半分しか意味が分かってないのに使っていた、
「人生なんてどれだけ無駄を楽しめるかだろ」
なんて言葉の意味がハッキリ分かった気がした。
まぁそうあればある程に、
それは他人には無駄に見えるという事だ。
他人にはどう見えようと、
どれだけ無駄に思われようと、
自分の人生の無駄にどれだけ本気で注力できるかが、それこそ人生だよなぁ〜と。
(ビギナーサーフィンチャンネルのオープニング画像から拝借)
まさかキッチンカー作りによって、
車よりももっと大事な何かが
形成された気がするのでありました。