60歳からもうすぐ、61歳へ。
還暦だ。
仕事では定年を迎え、今は何もしていないが、来年度からは、軽く働きたい。
おそらく、まだまだ生きるのだろうから、何かテーマを持ちたいと思った。
お安く、気候に左右されないもの。
地理的に、九州、吉野ヶ里遺跡のある筑紫平野のただ中の佐賀平野だ。
古代史しかない。
この夏、時間があったので、メルカリで中古本を買って読んでた。
歴史が仕事だったので、どうも歴史書ばかりになる。
どうも今の時代は庶民がいじめられている。
ごみ屋敷と片付けが、私の運動だが、合間に寝ころんで私はそう思った。
18歳から、歴史を始め、あとはそんな感じでここまで来た私だが、日本古代史の成果に出会い、これからは、日本古代史をテーマにしようと思った。
勾玉は古代日本の最高の装身具だ。
勾玉が現しているのは、曲がっているが、清く明るく直きこころ。
台風が去って、空気が透明になって来ている。
音が澄んできた空気を伝わり、心臓に響く。
金属性の響きのようだ。
小さい秋見つけた、と言うように、心が、秋を見つけている。
お金が無くとも、季節はやってくる。
心の中に。
途切れてしまった歴史をなんのために学ぶのか。
それは自分のためなのだろうが、歴史も宗教も
自分一人で完結しているわけではない。
どんなに孤独でも、ひとりでは生きられない。
そもそも、なんのために生まれたかがわからない。
いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや。
孤独から逃げようとすればするほど人生に追い詰められていく。
自分の歴史を書いていく。
むろん、未来のことはわからないが。
私は、年金支給まであと5年もあるので当然だが、今の日本は、老齢になると超緊縮財政になる。
だから、若いうちに目標を持つことは重要だ。
私は、今後、日本古代史を学ぶことをライフワークとしたい。
重要なことは、お金のかからないことだ。
古本だけですむ。
九州北部は、古代史の宝庫だ。
装飾古墳も見学に行ける。
温泉もたくさんある。
東日本の軍事にたいして西日本の文化。
鎌倉、江戸幕府は、東日本に基盤を置くが、古代日本つまり、大和朝廷の基盤は、西日本だった。
いろいろなことを考えると、ここで古代史をすることは、おもしろい。
天武朝は、東国の力をかりて成立したが、しだいに西国の風土に飲み込まれていくなかで、やがて途絶える。
それは、律令、都城整備という、極めて組織的思考で動く時代から、それを、なしとげいかに日本的に運用していくかの課題を残すなかで、細ってついえた王朝の物語であろう。