為替相場が大荒れの状況にある。
輸入超過の日本が、自ら進んで大切な外貨のドルを手放している。
このままでは、日本人の生活は破綻するのではなかろうか。
小学校のとき、日本は高度経済成長の時代で、皆んな、日本に生きていることに生きがいを感じていた。
しかし、アベノミクスという夢は、突然に打ち砕かれ、お金がすべてになってしまった日本は、ついにその大切なお金のコアである外貨をはたいて、円高の外見をとりつくろうとする。
まさに末法の世界である。
古代から、中国の冊封体制から独立しようと必死になってきた日本の祖先は、これをみて、なんと思っているだろう。
福沢諭吉は、一身独立して一国独立す、といったが、これでは庶民潰れて国も破綻する、といった状況、世界史的には、ナチスの台頭したドイツの状況に近いものがあるのではないか。
まず、このショックによって、生活とは関係ないものが切り落とされる。
その最初が、レジャーである。
ひとりキャンプとか、外食とかは、まず第一に切り落とされるだろう。
私の趣味であった骨董などは、とんでもない話しだ、ということになる。
そもそも、コロナで、茶道具の意味に疑問があったのに、これでは、日本文化に疑問が湧かざるを得ない。
現代、中国の清朝のものが、高い評価を得ているが、国際的位置を失っていっている日本のゆがんだ土器の価値を支えるものが急速になくなっているなかでの当たり前の状況である。
元々、日本が、明治維新とともに踏み込んだ、資本主義経済は、経済の自由主義、つまり、神の見えざる手を前提とする社会である。
その日本は、今は世界の工場であることをやめ、しかし、ついに世界の銀行となることも出来ず、巨額の赤字国債をかかえ、途方にくれている。
国が途方にくれ、迷路に迷い込んて挙げ句のはてに輸入赤字が続くなかで、貴重な外貨を放出するというなかで、国民が途方にくれないわけがない。
ものは、いままで売れていたものがつくられ市場にならぶ。
しかし、物価は上がり、庶民は買えなくなる。
つまり、消費が成り立たなくなる。
消費者経済がなりたたなくなる。
いままでの日本の価値が崩壊するとは、芸術的価値のぐらつきをも意味する。
芸能界は、一般社会と違って、定年はないし、リストラもない。
単純に考えると、人は減らないが、定年のない終身雇用の世界だが、そもそも、暇な老人しかテレビをみないこの社会で、広告費や制作費は減っているのではないだろうか。
おまけに、コロナ禍で劇場やコンサートにいくのも勇気がいる。
ユーチューブでは、一杯コンサートがあっていて、しかもただだ。
独身のわたしにあっては、人間関係を円滑にするための家族費なんかもいらず、ただあるのは自身の精神的開放のみ。
一日ビール一缶のみでたっせられる。
一日一回コンビニにいけば終わる。
値上がりが激しいので、ものは極力買わない。
しかし、市場原理に基づかないで、大切な外貨を遣ったことは、熟慮を欠いているのではないか。
理由を投機が原因としているが、そもそも金利差が原因で、これは必然である。
もはや逃げ場所はないのである。
国民には、説明が必要である。
一時しのぎでないことの。
戦時中の大本営発表ではない。
そこのところが、皆んなもやもやしているのではないか。