骨董は今の時代、時代をつくることができない、という記事を読んだ。
時流とはなにか、と思いながら。
ブログの記事でもなんでも、現在の時流を意識していないものは、ないと思う。
人気記事とか読んでもはて、おもしろくない。
写真がいっぱい、食べ物の写真をみても、自分のような階層には、カップヌードルをながめているばかりだ。
貧困とかそういうものがタブーとされている現在。
お金がなくても安くていい料理がありますよ、とかいわれても、いい料理は大概高価である。
お金がなくても、から、お金がないからへの転換。
まず、お金がないことを直視すべきだ。
お金がないと、まず元気がでない、はじめは、自分のちんまりした世界で、仕事をきちんとし、さらには、きちんとさせ、と、まずきちんとの世界が日本人には生まれる。
するときちんとしていない他人をさげすんで、その循環におちいる。
しかし、すべての仕事を自分でするわけにもいくまい。
そういった下降循環のはてには、お金がないというところにいきつく。
思うに、無理して元気をださずにいれば、出費もなくなっていき、よいのではないだろうか。
それを、高級料理を矮小化するなどして、ミニベルサイユ宮殿を意識していることこそ、最終的な革命前の瓦解状況におちいる。
聖書をみよう、野に咲く花のごとく、みずからは意識してなくても、意識してないがゆえに美しいものもある。
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