新型コロナ禍で思ったことは、命の大切さや個人情報のことで、これは資本主義や共産主義の「イデオロギー」にも関係している。ここで問題になのは、個人の自由や個人情報をどこまで守るかということである。個人のプライバシーを大切にしたばかりに、大勢の人がコロナに感染し命を落としてはならない。
これは、“新型コロナ禍の撲滅”と“経済活動の維持”の両方を考えていかなければならないことと同じく、大変難しい問題である。コロナ感染者も不注意で感染したわけではないが、経済活動を維持していかなければ、金繰りがつかず行き詰まる企業が発生し、倒産や失業者で溢れるのである。“二兎を追う者は一兎をも得ず”というが、今は二兎を追っていかねばならない緊急事態である。
現在は、米中対立、米ロ対立、北朝鮮、中東等々イデオロギーの違いが露呈している。 「自国第一主義」ではないが、国同士はコロナワクチンを含めて、“我欲”のぶつかり合いの様相を呈している。国益をかけた駆け引きはいずれ結果がでると思うが、戦争だけにはならないことを祈っている。
先日、新コロナウイルスに係る中国における対応を、ニュースで放映していた。中国では、新コロナウイルス保菌者の情報公開は、次のように行われている。
- どこの病院に入院していたか
- どこに住んでいるか
- どこの会社で働いているか
- 罹患するまでに、どんな行動をとったか
中国では以上のとおり、コロナ対策で個人よりも国家が優先するのである。日本では、保菌者が出ても、①〜③は原則、詳細は公表しないが、中国は共産主義国家なので、有無を言わせず「個人情報」を公表する。日本は自由主義国家で個人主義が浸透しているから、このような違いになるのだろう。中国では、国家が個人情報を握っているから統制しやすく、思想や自由も束縛される。
しかし、日本のように個人の自由を重んじる国では統制しづらく、時には、公共の利益を逸脱した行為も生ずる。この公共の福祉や自由逸脱のことであるが、何を考えてのことかインターネットで様々なデマやヘイトクライムなどの身勝手な行動も発生している。
自由と統制の両立は難しい問題であり、今後も新型ウイルスをはじめとする財政難、異常気象、大型地震等は覚悟する必要があり、緊急時の対応が国家課題だと思う。現下、新型コロナウイルス禍を一掃するためには、国民が一丸となって対応しなければならず、国家は他国に対する相応の責任も生ずる。大切なことは、国民も不要不急の外出を避けて、新型コロナウイルスの早期撲滅である。国会では、政府のウイルス対策への対応批判に収支しているが、非常時には政府を信頼したチームワークなども必要不可欠であると思う。
しかし、官僚の忖度から始まった森友・加計問題、公文書の改ざん・廃棄、桜を見る会、カジノ疑惑、東京高検総長の定年延長など、国民の信頼を裏切ることが多発しており、日本の政治に対しては極めて残念に思う。
100年に一度のパンデミックと言われるが、10年に一度になるかもしれないので政治家、官僚、公僕は、心構えやあり方を考える時機にきているのではないだろうか。折しも、平和の祭典である東京五輪が開催されようとしているので、これらを考えるには良い機会で、これからの日本の役割が問われているのである。
「十勝の活性化を考える会」会員T