「井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る」という言葉は、確かに井戸の中の蛙は広い海があることを知らないこと。しかし、井戸から見える空の蒼さなどは、井戸の中の世界にいたからこそ見えるものがあるという意味である。
「井の中の蛙大海を知らず」とは、「狭い世界のことしか知らない」というネガティブな意味であるが、「されど空の蒼さを知る」という言葉が加わることによって、「狭い世界にいるからこそ、その世界の深いところや細かいところをよく知っている」というポジティブな意味になる。現代風に置き換えると、他の分野のことは知らないが、自分の専門分野に詳しいことになる。
荘子の言葉である“井の中の蛙大海を知らず”のあとの“されど空の青さを知る”の言葉は、日本人が付けたらしいが、なかなか含蓄のある言葉である。更に、自分の知る世界を超えた広大、永遠の世界のあることも気づいているという謙虚なこころをいっているのかもしれない。
この言葉を地で行っている友人がいるので、彼の高説をときどき聞きに行く。彼は、本をよく読み四国霊場88カ所巡りもしているので見識が広く、独特の価値観・世界観を持っている。例えば、今のコロナ禍に関しても、自然をないがしろにした人間の業(ごう)によるものだという。すなわち、本質的な我欲のためだという。
仏教では、 善 または 悪 の業(身・口・意)をおこなうと、善因善果、悪因悪果 の道理によって、それ相応の 苦楽 が生じるとされる。 また、彼の座右の銘は、“着眼大局 着手小局”で、何事も大局を見ることが重要で、頑固な人間になってはいけないそうである。
彼の並外れた行動力と熱い生きざまは、いつも青春の真っただ中にいて理想も失っていない。そして、人脈もあり物事の表と裏の世界を知っており、分かりやすく具体例を挙げて教えてくれるので助かる。
このような人は世の中には沢山いるが、一方で政治家を筆頭に悪い業を行なう人もおり、首長になる人が必ずしも良識を持っているとは限らない。このような人は“偉人”ではなく 、自我丸出しの“ただの人”である。偉人とは歴史に遺るような、並外れた人徳のある優れた人間のことで、内実を伴う本来の意味での「偉い人」を指すのだ。
ところで、私と同じ脳出血を罹患した知人が、我欲に関して次のことを書いている。
『官僚になるとほとんどの人は、事務次官を目指します。良い官僚とは、国益より省益を重んじる人です。私は脳出血で倒れて、行政庁でキャリアを積めず退官しましたが、一般企業に移ってから社会人として、何が一番大切かを知ることが出来ました。そして倒れてから、自分が一人で生きて行けないことを痛感し、今の自分があります。
大学やいろいろな所で講演していますが、「出会い」と「変容」、即ち新しい自分に成長することで、生きる糧を得ました。名誉欲を捨てた人ほど強いということです。私は「名誉欲」だけでなく、仏教でいう「我欲」を捨てることにより、本当の自分が見えて来ました。そこから自分がしたいこと、障害があるからこそ果たせる役割を発見出来たと思っております。障害の有無に係らず、自分がしたいことをやれることは幸せなことです。』
知人は“我欲”を捨てましたが、“達成欲”を持ち続けて障害を克服しました。道は必ず開かれるもので、何事も諦めないことです。“捨てる神あれば拾う神あり”です。
「十勝の活性化を考える会」会員T