吉田ルイ子著 “アパルトヘイトの子どもたち” ━僕たちは怒っている━の紹介。
女性写真家であった同氏が、約30年前の南アフリカ共和国で行なわれていた人種隔離政策“アパルトヘイト”に関する子供向けの本である。人種差別や貧困などに関する世界の平和について言及しており、本のあとがき部分を載せよう。
【あとがき】
『 1990年2月11日、28年ぶりに、南アの政治囚ネルソン・マンデラ氏が釈放された日は、民主主義と平和をのぞむ世界中の人びとが喜びでわきました。それほど、ネルソン・マンデラという偉大な黒人解放闘争の釈放は、人類に対する犯罪であるアパルトヘイトという南アフリカ共和国の壁に穴をあけ、新風を送り込んだのは確かで
す。
しかし、まだたくさんのアパルトヘイト法はそのままだし、人口の70%以上の黒人には選挙権はありません。アパルトヘイトの壁が完全に崩壊するまで、闘いは続きます。やっといま、アパルトヘイトの終わりがはじまったといえましょう。
そして、アパルトヘイトの廃絶のために、今ほど世界中の国際社会、特に南ア政府と結びつきの強い日本の そして日本人ひとり一人の、アパルトヘイトに対する正確な知識と理解、そしてアパルトヘイトと戦う南アの子どもたちを含めた、差別されている子どもたちの交流が求められている時はないのです。私たちの日常の中にも、周りにも、いろいろな人種差別や、人間差別があります。
例えば、在日朝鮮人の人びとやフィリピンやパキスタンから来た外国人労働者の人びと、ベトナムやカンボジアの難民の人びとを軽蔑したり、未開放の人びとをきらったり、身体の不自由な人をいじめたり、勉強がおくれているクラスメートをからかったり、これらもみんな差別です。肌が黒いために差別されるアパルトヘイトについて学ぶことは、世界でいま何が起こっているかを知るばかりでなく、私たちの生活や心のなかにある自分と異なる人種や人間を差別する気持ちを、しっかりと見つめ直すことにもなります。
基本的人権を尊重しながら、平和で平等な世界を作っていくには、自分に何ができるのかをみんなで話しあってみましょう。この本がそのきっかけになれば嬉しいです。この本は、南アフリカ共和国で出会った子どもたちをはじめ、実に世界中のたくさんの方々の協力があってつくられました。みなさま、ありがとうございます。』
この本を読んで、次のように思った。この本が書かれた30数年前の日本はまだ金持ちの国で、後進国に対してはそれなりに影響力があったと思われる。だが現在は、財政悪化で対GDPに対する国債残高比率も高く、そんな余裕はなくなっている。
当時、南アフリカ共和国では、日本人のことを“バナナ”と言っていたそうである。なぜかと言えば、外から見れば黄色人種で肌は黄色いが、皮をむけば中身は白く見えたからであったそうである。南アフリカ共和国では、アパルトヘイトにより白人が優遇されていたが、日本人もお金持ちで優遇されていた人種であった。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 吉田ルイ子
北海道出身。東洋英和女学院中学部・高等部を経て慶應義塾大学法学部h皮を
剥けば
を卒業後、NHK職員、朝日放送アナウンサーを経て、フルブライト交換留学生として、アメリカの大学で学び、10年間ニューヨークに在住する。
2002年にくもん出版の教材誌「めざせ!21世紀の国際人1 国際平和をつくした日本人」に、掲載した。
「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人、「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている。
- 日本ジャーナリスト会議特別賞(2001年)
- 第19回国際写真フェスティバル東川賞特別賞(2003年)
著書
- 南ア・アパルトヘイト共和国 (1989年、大月書店)
- アパルトヘイトの子どもたち―僕たちは怒っている (1990年、ポプラ社教養文庫)
- 南アフリカの新しい風 MASAKANE (1995年、大月書店)
- 少女マギー―南アフリカ・アパルトヘイトをのりこえて (1996年、ポプラ社)
- 子供は見ている - The family of child (画・いわさきちひろ、1999年、講談社)
- わたしはネコロジスト (2003年、中公文庫)
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)