「教育」
(戻ってはいけない世界)
背中に幼子(おさなご)をおぶって直立不動の姿勢を取るはだしの少年。寝ているようにも見える幼子は既に死亡し、少年は唇をかみしめて火葬の順番を待っている。
想像してみてください。少年の瞳には何が映っているのでしょうか。
この写真は現在、長崎市の原爆資料館に展示されております。
米国の写真家ジョー・オダネル氏が、米占領軍のカメラマンとして原爆投下後の広島・長崎に入り、被爆した市内の様子を撮影したときの一枚で、題名は「亡き弟を背負った『焼け跡にたつ少年』」です。
この写真を見た時、現代人の感想は概ね二つに分かれます。
1.我が美しき国の伝統を体現した、礼儀正しき少国民。
2.少年の毅然(きぜん)とした姿が逆に戦争の無情さや悲惨を伝え、心を強く揺さぶられる。
あなたの感想はどちらに近いでしょう。
「礼儀正しい被害者。被害者が礼儀正しくあらねばばらない世界。」
これは紛れもなく教育が作り出した結果であります。
いま揺れ動く教育をめぐる問題を考えるとき、決して戻ってはいけない世界をこの写真は示しています。
鬼火 木島 章
夕闇が足元まで降りてくるころ
沢から吹く柔らかい風といっしょに
夏草をかきわけて少年はやってきた
おんぶ紐をたすきがけにして
ぐったりした幼子を背負いながら。
山道を歩き続けてきたのか
裸足のほっそりとした足は傷つき
すべての爪に血がにじんでいた。
白いマスクの男たちが
立ちつくしている少年の背中から
幼子を引きうけると
掘ったばかりの小さな穴に横たえ
静かに火を放った。
炎は幼子を抱きしめ
まず肉を焼き、骨を焦がし
あたりを薄紅色に染めながら
透明な煙を空の闇に流していく。
焼け野原となった長崎の町を見下ろす
里山の中腹に設えられた急場の火葬場には
幾筋もの煙が途切れることなく立ちのぼっていた。
直立不動のまま燃え盛る炎を凝視する少年
十歳にも満たないあどけない顔からは
いっさいの表情が消え
触れるものすべてを焼きつくすように
彼もまた燃えていた。
幼子が灰になるのを見届けると
少年は黙ってもと来た道を帰っていった。
その背中には無数の燐火が続いた。
ふたたび少年に重い荷を背負わせてはいけないと
七十年たった今も、
ときおり里山で鬼火の行列を見る人がいるという。
「十勝の活性化を考える会」会員 K