ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

10年目の思い 1

2005-01-16 | 砂時計
阪神大震災から10年。
あの日の映像が流されるたび、あの朝に見た光景が蘇る。

当時、神戸の須磨に住んでいた。
須磨といっても、海に近いあたりではなく、ちょっと山のほうへ入ったところだった。
それでも、リビングからは遠くに山と山の切れ間から海が望めた。
12階のマンションの揺れは、おそらく震源地の真上に値するくらいのものか、それ以上のものだったかもしれない。よもや、神戸でそんな大地震が起きるなんてことは夢にも思ってはいなかった私は、ベッドの上で揺さぶられている自分が、夢の中の自分ではないのか、と思ったほどだった。
それが地震であることを認識するのには、暇がかかったように記憶している。
横で寝ていた息子が「どないしたん?なに?これ」とねぼけまなこで尋ねたことだけ覚えている。
映画エクソシストで悪魔に乗り移られたリンダ・ブレアが、生き物のように動くベッドの上ではねていたシーンが頭に浮かんだ。
とにかく息子を守らなければならない。それが、咄嗟に頭によぎった。
幸い寝室にはベッド以外で、倒れてくるような大きな家具は何も置いてはなかったので、考えられるのは天井灯か、天井が落ちてくる心配だけだ。とにかく、布団と共に子どもに覆い被さった。
今から思えば、後にも先にも、私が自分の中の母性を強く認識したのはあの時だけではなかったか。
第一弾の大きな揺れがおさまると、隣の部屋で寝ていた夫が飛んできた。
そのときには気づかなかったが、夫はおでこをおもちゃの棚が倒れてきて怪我していた。
余震が何度か襲い、その揺れが収まるのを待って、リビングに出て行こうとすると、足元で“バリッ”と音がする。はっとして目を凝らすと、和室に置いていたキャビネットがどーんと倒れ、中に入れてあった、コレクションの食器はみごと粉々に割れ、飛び散っている。
幸い、室内履きをはいていたからいいようなものの、あれが裸足のままだったら、と思うとぞっとする。
そして、カーテンを開けて目に飛び込んできたのは、山と山の切れ目に広がる町並みを覆い尽くす火の海だったのだ。
神戸の街が燃えている。一月半ばの薄暗い闇の世界に、無気味に広がる火の海。
とてつもなく大変なことが起きている。日本はどうなってしまったのだろうか。
そんなことを立ち尽くしつつ考えた。よもや地震が起きようはずのない神戸が、こんなになっているということは、日本全体がとんでもないことになっている、と思ったからだ。
が、上から見るマンションの下あたりの町並みは、何事もなかったようにいつもの表情で建っている。

とにかく、このままここにいては危ない、ということで外へ出られる格好だけして、一階下の親しかった友人一家と共に、お互いの無事を確認しつつ階段をおりた。各階からは続々と、他の家族もでてきている。
途中、4階あたりの家の玄関ドアが激しく歪み、壁には大きなクラックが入っている。
我が家も、友人宅も機械式駐車場の下の段に止めていたので、車を出すこともできなくて、ちょうど、敷地内に駐車していた、友人のご主人の社用車に乗り込み、ラジオをつける。
だが、何も知りたい情報が入ってこない。マスコミも混乱していて、情報を伝えたくとも伝えられないのだ。錯綜する情報の中、とりあえず神戸に大地震が起こったことだけがわかる。
そんな中、一階に住む奥さんが、綺麗にお化粧して、いつもと変わらぬ様子で、一個だけ割れたというコーヒーカップをいれたビニール袋をぷらぷらさげて玄関からでてきた。
「あら、皆さん、どうされたの?」と呑気な質問を投げかけてくる。
同じマンションの住人とは思えない、発言だった。
その奥さんの部屋は、うちのマンションでも我家の棟とは別の向きの棟だったためと、どうやら1階だったために、激しい揺れの被害にあわずに済んだ様だった。
びっくりしたのは、そんな異常な事態の中でも、いつものようにコートを来て出勤していくサラリーマンがいたことだった。こんな時にでも、判を押したような生活が出来る人って……。

辺りが明るくなり始めると、サイレンの音やら、ヘリコプターの音がし始めた。
部屋に戻り、あらためて見渡すと、家中を重機でかきまぜたような惨状だった。
和室に置いていたピアノは、前につんのめってたたみに食い込んでいる。
食器棚や、冷蔵庫から飛び出した食器や、食品が手の施しようもないような状態で散らばっている。
水も止まり、電気もこない。
そんな中、なぜか電話機にのこっていた電池のおかげか、近所の戸建てに住む友人から電話が入り、うちへ非難しておいでよ、と救いの手を差し伸べてくれた。
さっそくに階下の友人宅をさそって、身の回りのものや、金品を持ってマンションをでる。
ありがたいことに、その友人宅は新築したばかりの家で、被害は殆どなく、電気も通じていた。
そのお宅でいただいた、あたたかい紅茶の味は、一生忘れないだろう。
エアコンの効いた部屋で、テレビに写る神戸の街の変わり果てた姿に、その場にいた3家族の誰もが言葉を失った。
時折起こる、唸るような地響きを伴う余震に怯えつつ、1月17日の長い一日が終わった。



最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なんと言ったらよいのやら (EKO)
2005-01-17 00:06:09
CITROENさん、神戸でずばり被災されたのですね。

読んでいると昨日のことのようなリアルな。。。。

私の住む神奈川では私が子供の頃から現在に至るまで避難訓練などの度にいつか訪れるとされている「東海地震」が持ち出され、東海地震が起きた時には被害が及ぶとされています。

なので神戸の皆さんに比べると「まさか神奈川で・・」とは誰も思わない状況ですが、そう言われながらも数十年それほどの地震も来ないし、だからと言って各家庭で何か準備があるかというと「水」位です。

一軒家なので、とりあえず先日も「火」さえ出さなければ何とかなるのではないかと言っていたのですが、それも「火」はよそから回ってきますから怖いですね。
返信する
水は重要 (CITROEN)
2005-01-17 12:43:38
EKOさん、こんにちは。

「水」、大事ですよ~。

私たちも、とりあえず口にする水は、友だちが買い置きしていたミネラルウォーターとかで当座はしのぎましたが、歯を磨いたときにその家の友だちから

「昨日のお風呂の残り湯がきれいだから使って。私たちもそうやって歯を磨いたし。」といわれたときは、ちょっと引いてしまいました。そんなときに歯を磨くほうも悪いのですけど。トイレも、水洗があたりまえの生活をしていますから、流せないという状況はきつかったです。でも、避難所で生活されていた方は、運動場に穴を掘って、前後ろに人が仕切りもない状態で用を足しているようなトイレを使っているとも聞いたときには、ちゃんとしたトイレに入られる幸せをありがたく思いました。

「火」も恐いですね。類焼ということも十分考えられますものね。まずは、寝る部屋には倒れて命取りになるようなものは置かないこと、そして玄関までの通路の確保ですね。「火」は、消火器を設置しておくことぐらいしかできないでしょうか。ほんとは、もっと行政がそういう災害に強い街づくりに積極的に取り組んでくれて、各家庭に消火器を配ることなんかもしてくれればいいのでしょうどね。

東南海地震は遠からず必ず起きるようですね。

油断せずに、立ち向かわねば、ですね。
返信する
説得力。 (EKO)
2005-01-17 13:22:38
説得力のあるアドバイス、ありがたく頂戴します。

「水」はペットボトルで買った水も期限が切れますが、私の母が先日言っていたのがこうです。

「期限が切れていないものは当然必要だけど、切れたものでも、飲料水以外に使えるからそのまま置いてある」と言うことです。確かにお風呂の水よりも期限の切れた水で歯磨きしたいですね。

(自分の家の残り湯と人様の家庭の残り湯では随分感じ方違いますよね。でも、そこは「ウルルン」な身、残り湯だろうが虫の幼虫だろうが何でも頂かねば。。というお立場だったとお察しします。)

古くなる前に使用して常に新しいのが一番ですが。



それからこれは母が祖母に聞いたことだそうですが、昔から「2月の水」は「何とかの水(忘れました。すみません)」と言ってこの時期の水は汲み置きしても傷まない。と昔からいわれているそうで、もしもペットボトルに水を水道から入れるならこの時期に入れ替えると良いそうです。

昔の人の言っていたことは結構根拠があることが多いので信じるものは救われるかもしれません。

その時代とは水道水の浄化の仕方も違っているでしょうから正確ではありませんが。



寝室は押しつぶされそうにタンスに囲まれていて大変危険なのですが、これは家を建てる時によーく考えておけば良かったです。危険。

返信する
被害が及ぶどころか (のぴ)
2005-01-17 15:48:58
予想される震源域に住んでいるのぴです(笑)←笑い事じゃないが

水ね、わたしも、うっかり期限の過ぎたペットボトル入りの水置いてあります。

正直、物置もない収納の少ない借家住まいでは、必要量を確保するのは大変。

飲み水は自治会や学校の備蓄をあてにできるにしても、

生活用水はある程度確保しないと!ですね~。

マンションなどの貯水槽がある建物は、給水が止まってもタンクに残っているので、

地震の後はすぐに風呂に水を張るといいそうです。
返信する
あの朝・・・ (coo)
2005-01-17 19:20:19
テレビのスイッチを入れ、目に飛び込んできた映像は今も忘れられません。日本じゃないよね、何処なのとアナウンサーの声がもどかしかった。自然災害は恐いです。

うちも水とカセットコンロのガスは切らさないようにしてるけど、後はなかなかです(ちゃんと考えないと)キャンプ道具が揃っているので取り出しやすい場所に移動しようかな、あと家族の集合場所を決めておかないと、昼間はバラバラですもんね。
返信する
これからも・・・。 (Roku)
2005-01-17 20:34:07
こんばんは。

今もうちの上空ではヘリコプターの音がしています。

10年経ったんだなあ・・・と旦那としみじみ話し合いました。

うちの前を天皇皇后両陛下が通ったのですが、手を振る人、旗を振る人、写真を撮る人・・・みんな笑顔の神戸市民で、被災を経験した人ばかり。10年前とは全く違った表情でお二人の乗った車を見つめていました。

私は当時塗料関係の仕事をしていたので、会社に着いたら床一面が赤と白に染まっていて驚いた記憶があります。(ちょうど↑の塗料製造途中だったんです。)

だからなのか、震災=赤と白のイメージが強烈に焼きついてしまいました。

今、どこで何が起こっても不思議じゃない状態ですものね。きちんと備えて、毎日が平穏なことに感謝しながら生きなければ、と思います。
返信する
先人の言い伝え (CITROEN)
2005-01-17 20:53:39
って、大事ですよね。

やっぱり、昔の人は色々とものがない分、工夫もし、身をもって知ったこととかが多くて、聞いているとなるほど、と思うことが多いです。

EKOさんが書きこんでくださった、おばあさまからの言い伝えのはなし、さっそく本日のブログに引用させていただきました。



のぴさん、恐いでしょう?そこのあたり。

ほんと、いつ、っていう細かい予知が難しいだけに、常々覚悟して備えておかねば、ですよね。

鎌倉の大仏殿も津波によって流された、っていう説があるそうだし、太平洋が近いっていうのは、恐いわ。



cooさん、cooさんはインドアなひとだけど、ご家族はアウトドア派なんですか?(笑)

そういう道具があるってことだけでも、サバイバルな生活には強いですよね。

そうそう、家族の集合場所、これも大事ですよね。うちなんて、家族3人誰もノーケータイなので、日中に大災害がおきたら、どうすんの?って感じです。そろそろ携帯を買わなければ!



Rokuさん、今もあちこちでテレビの照明が煌々とついてるのでは?次は10時から11時半ごろまでが騒がしくなるのではないかしら。

Rokuさんは色の記憶ですか。私は、テレビでCMのかわりに繰り返し流された公共広告機構の唄が記憶にまとわりついています。

♪だ、か、ら、捨てないでね♪とかいう歌詞の唄で、空き缶のポイ捨て防止キャンペーンみたいな内容でした。

ほんと、いつどこで何が起きてもおかしくない時代なので、一日一日を大切に生きなければ、と尚のこと思いを強くしますね。
返信する

コメントを投稿