ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

Home sweet home

2015-11-22 | 砂時計
1ヶ月に及ぶおつとめを終えた夫を自宅に連れ帰った。
私の拙い運転で、助手席で見る娑婆の風景がこの日夫の目にはどのように映っていたのであろうか。

運び込まれたときには、血糖値も血圧もすべてが最高潮。
死なないほうがおかしい、と医師に酷評を受けるほどの夫が1ヶ月で退院できたのは奇跡に近いことなのかもしれない。
だからこそ、食事には細心の注意を払わねばならない、と覚悟を決めて連れ帰った。
とにかく、薄味。
それこそが、肝なのである。
お酒の好きな人にとって、薄味は物足りない、美味しくない料理であるに違いない。
だが、命には代えられないのである。
早速図書館で、「高血圧」「糖尿」をキーワードに料理本を借りてきた。
味付けの薄さをカバーするために、香辛料、お酢などが欠かせないという。
また、かまぼこ、ハム、ソーセージといった加工食品に含まれる食塩には注意しなければならない。
冷凍食品は、今までうどん位しか買っていなかったので、そう困ることはないけれど、何気なく手に取っていたかまぼこなどにも、おもわぬ塩分が含まれていると知り、愕然。
結局のところ、昔ながらの手間暇かけた手料理こそが、家族の健康を支えるのだということを改めて思い知る。

甘い物はほとんどとらない夫であるが、アルコール性の糖尿病を発症してしまっているので、当然我が家に禁酒法時代が到来。
私も当初はおつきあいして禁酒していたが、途中でリタイア。
ノンアルコールの日本酒もどきを飲む、夫の横で日本酒をいただいた。
あれほどお酒をこよなく愛していた夫が、横でグラスを傾ける私をうらやましそうに見ることも、なじることもない。
やはり死の淵をのぞくと人を変えるのだな、と思った。

こういう病になった人の多くは、自分の身体が思い通りにならないことにいらつき、家族にあたることが多いという。
が、夫はそういうことを事前に見聞きしていたのか、自分のプライドなのか、私にあたることはなかった。
それでも、私の下手な運転で、助手席に座ることには忸怩たる思いがあるのか、
時折いらついた声音で指示することもあったけれど。
私も、自分で自分の運転技量をわきまえているだけに、人からそれを指摘されたくはなくて、いらっとして強い言葉で返してしまうこともたびたびあった。

夫が入院中、よほど今のシトロエンを手放そうかとも考えていた。
このまま夫がハンドルを握れないとなれば、私がこのクルマとつきあうのは厳しい。
車幅も、全長も大きな、このブレークを私は操れない。
ましてや、販売から14年も経つこのクルマにつきあえるほどのメカに関する知識も経済力もない。
だが、入院中の夫をこのクルマで見舞ったとき、夫の目に宿る精気を見たら、やはりどうにかがんばって乗り続けるしかないのかな、と思ったのだ。
それほどこのクルマが大好きな夫が、自分で運転出来ないのは、どれほどつらいかがわかるだけだけに、自分の運転技量の乏しさに情けなくもなって。
そういうお互いの気持ちのすれ違いが、日々積み重なっていったある日。

息子が帰省してきた。
平日に休みを取って帰ってきた息子を、仕事を休めない私は空港まで迎えに行けない。
リムジンバスで帰らそうと考えていたら、夫が
「俺が迎えにいってやるわ」
と言い出した。
退院後8ヶ月後のことだった。
ジムに通い、リハビリに励み、自転車に乗ることは出来るまでになっていた。
聞けば病院に来る同じような病気のおじいさんは、夫よりも重い症状でも自分で運転して来ているという。
そんな人をみれば、運転に自信のある夫が、「俺だって・・」と思うのはムリのないことだった。
下手な運転の私より、多少の麻痺が残っているとしても、夫の方がよほど確かかもしれない。
そう思い、息子の出迎えは夫に任せた。

無事、息子を連れて帰ったという報告を聞いたときには、心底安堵した私である。

そうして我が家の日常が少し戻って来たのであった。

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