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誰の上にも青い空

実父と義父は要介護、弟は重度精神障害者。息子は小5→中3まで不登校、2024年春から高校生。飼い猫がカウンセラーです。

たからもの3

2020-06-25 06:47:18 | たからもの(不登校)
義父は元・高校の校長先生で

平成の頃に

秋の叙勲で天皇陛下から褒章を受章した

立派な人だ


ボクが鬱病になり

転職し

時給パートになったため

というか...

収入が激減してから、関係はよくない

なので10年以上ギクシャクしている


ただ一つだけ

ボクと義父を良い方向へ結ぶのは

源次郎の未来だ


源次郎が生まれた時から義父は

「何が何でも医者にさせなさい」と言い続けてきた

ボクも医師は素晴らしい職業だと思う


義父の話では

教員同士で交わす

子ども(孫)自慢の最高の話は

「子どもを(孫を)医者にさせました」

ということらしい


源次郎が生まれてから

妻の実家に行くたび、耳が痛いくらいに

無限に聞かされてきた


源次郎が幼い頃

「お巡りさんカッコいい、刑事になりたい」と言うと

義父は

「何をバカなことを言っているんだ、医者になれ!」

と本気で否定していた



「何が何でも医者に...」

という言葉に強い執念を感じたボクだった...


補足

また昨日も源次郎は小学校を休んだ

今月6度目の不登校...

たからもの2

2020-06-24 06:53:57 | たからもの(不登校)
源次郎は

夫婦で不妊治療を2年ほど続けてやっと授かった子どもだ

治療費は高額で、合計200万円ぐらいかかったと思う


初めての診察時

医師から説教をくらった

「結婚して2年経って子どもが出来ない、

その時点で受診しないと!

今まで何をしていたのですか!」

この時、すでに結婚10年を超えていた


ボクはその時、とても頭にきた

患者って「お客様」だろ!

説教くらわすって何様だ!...と心の中で呟いた


だけど

源次郎を授かった瞬間思った

説教された通りだったんだ

ボクはなんにも分かっていなかった


「子宝」って言う通り

ホントにたからものだ...


結婚2年目ぐらいで

この喜びを感じることが出来たのなら...

ボクのその後は変わっていたのかもしれない


少なくともボクの亡き母親に

「孫の顔」を見せることが出来たはずだった

統合失調症の弟のことで、疲弊していた母に

希望を与えることが出来たと思う


医師に説教されて良かったんだ

感謝しきれない...



補足

源次郎は昨日も小学校を休んでしまった

今月5度目の不登校だ

しかも

一人で留守中に

担任の先生から心配する電話が来たのに

源次郎はゲームに夢中で着信に気づかず

留守電に入っていたのを

仕事から帰宅したボクが気が付いた...アフォッ!

たからもの

2020-06-23 06:56:40 | たからもの(不登校)
ボクに失敗談は多い

ここ5~6年ほどかけて

かなり大きな失敗をしてしまった



新型コロナウイルスの影響により

息子は3月から臨時休校になった

5年生の終わり1ヵ月、さらに6年生の初め2ヵ月を

自宅生活(留守番)して過ごすこととなった


緊急事態宣言が解除され

6月1日に小学校が再開してから

もうすぐまる1ヶ月


6年生なので、小学校卒業まで残り約9カ月


6月に入り、息子(以下、源次郎:仮名)が学校を休むのは

このブログを書いている時点で4回目

時々、不登校になるのは4年生から続いている


通勤のバスで移動中、スマホが振動する

(ボクは24時間マナーモードにしている)

スマホに応答すると


源次郎「おとぅ、お腹が痛い...苦しい...」


あ、またか...と思いながら返事をする

ボク「学校へ行けそう?」

源次郎からの「とりあえず行ってみるよ」という言葉は期待していない

行かない、と言い出したら

何が何でも行かないのが源次郎だから


源次郎「苦しくて...行けない...」

ボク「分かった、小学校へ電話しておくから」


源次郎が小学4年生までのボクだったら

「何言ってんだよ!いいから行けって!」

「学校へ行くのは当たり前だろ!」

「保健室へ行かせてもらえばいいだろ!」

と無理してでも行かせようとする父親だった


ボクは幼少時、場面緘黙症だったけど

小学校6年間で休んだのは数日程度

中学校、高校では「皆勤賞」をもらった人間だった

こんな経験も敗因の一つだと思う