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tokyo.sora

坂、建物、映画を中心に書いていくブログです。

寝台列車で行く広島の旅。━其之拾━

2016-10-20 09:32:35 | ┣TRAVEL【中国...

寝台列車で行く広島の旅。━其之九━からの続き


厳島神社
593年(推古天皇元)佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことに始まるとされる。
その後、1168年(仁安3)に平清盛が社殿を寝殿造とし、現在の規模に改築した。
1174年(承安4)に後白河法皇の御幸、1180年(治承4)に高倉上皇の御幸があるなど、多くの皇族、貴族が参詣され、京都の文化や建築様式がもたらされました。

 


鏡の池
清水が湧き出ており潮が引くと手鏡のように見えることからこう呼ばれる。
秋の月とともに詠まれた歌が多く伝わっている。

 


客神社
御本社と回廊で連接され檜皮吹の本殿と幣殿・拝殿・祓殿からなる。

 


御本社と高舞台
檜皮葺で正面には緑色の菱格子戸を建て込んだ本殿、これに続いて幣殿・拝殿・祓殿がある。
拝殿内を見上げると化粧屋根裏が二つ見え、最上部の真の棟と、この両脇の母屋が棟のように見えるところから、「三棟造」「三棟拝殿」とも呼ばれている。
高舞台は、黒漆塗の基壇に朱漆塗の高欄があり、前後には素木の階段がある。平清盛公は舞楽を当社に伝え、それが現在でもこの舞台で舞われている。

 


能舞台
厳島神社の能は、厳島合戦の後に毛利元就が京都から観世太夫を招いて神前に奉納したのが始まりで、現在の能舞台は1680年(延宝8)11月、浅野綱長によって再建されたものである。特色としては、笛柱が独立している。


反橋
天皇がご派遣になる勅使がご参拝の際に、お渡りになったと伝えられることから、別名、勅使橋とも言われる。
1557年(弘治3)毛利元就・隆元父子によって再建されたものである。

 


厳島神社遠景

厳島神社御朱印

 


その後、表参道商店街をぶらぶらと歩きました。

 


焼き牡蠣

 


揚げもみじ饅頭

 


あなご竹輪
どれも美味しく頂きました。

そして、次回は4日目。いよいよ最終日になります。

寝台列車で行く広島の旅。━其之拾壱━へ続く

 

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寝台列車で行く広島の旅。━其之九━

2016-10-18 19:23:20 | ┣TRAVEL【中国...

寝台列車で行く広島の旅。━其之八━からの続き

 
宮島口から宮島までは、10分ほどの船旅。
少し行くと厳島神社の大鳥居が見えました。

 


宮島桟橋に到着。


知らなかったけど、宮島ではたくさんの鹿がいました。
厳島神社に行くすがら、たくさんの鹿に会いました。

 


そして、やっと間近に見えてきた大鳥居です。
現在のものは、平安時代から数えて8代目にあたり、1875年(明治8)に再建。高さ16m、棟の長さ24m、両部鳥居で主柱は社殿から向かって、右側は宮崎県、左側は香川県の楠が使われ、全体に丹塗を施している。
屋根は檜皮葺で袖柱も同様。額面は、有栖川宮熾仁親王の御真筆で、沖側が『厳島神社』、社殿側『伊都岐島神社』と書かれている。
これは、社殿側から見ているので額面は、伊都岐島神社と書かれています。

 


そして、ここにも当然鹿はいます。

寝台列車で行く広島の旅。━其之拾━
へ続く

 

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寝台列車で行く広島の旅。━其之八━

2016-10-14 12:05:49 | ┣TRAVEL【中国...

寝台列車で行く広島の旅。━其之七━からの続き

ようやく、3日目。
この日は、この旅の目的である宮島に向かいます。
ちなみおいらはこれで、日本三景をコンプリート。


2003年天橋立。


広島駅からのんびりと広電で宮島口へ。


昼にはまだ、少し早い時間だけど待っている間にいい感じになっているので、宮島名物のあなごめしをうえので食べました。


あなごめし(上)¥2,000
しっかりと焼いた歯ごたえあるにも関わらず、ちゃんとタレの味もしていて、おいしかったです。


そして、向こうに見えるはこの旅の目的地、宮島に行きます。

寝台列車で行く広島の旅。━其之九━へ続く

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
あなごめしうえの http://www.anagomeshi.com
広島県廿日市市宮島口1−5−11
TEL 0829ー56ー0006
Open 10:00〜19:00

 

 

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寝台列車で行く広島の旅。━其之七━

2016-10-11 09:55:51 | ┣TRAVEL【中国...

寝台列車で行く広島の旅。━其之六━からの続き


縮景園を後にして、この日最後の目的地広島城に向かいました。

広島城
1588年(天正16)に毛利輝元が初めて上洛し、秀吉に謁見しました。
その時に、大坂城・聚楽第を訪れ、その豪壮さや町の繁栄を目の当たりにした輝元は、居城の郡山城が時代遅れであることを悟り、新しい城を作ることを決意したと言われています。
翌年に築城を開始し、同19年には輝元は入城しています。しかし、この時は本丸などの主要部分が出来ていただけで、石垣や堀が未完成だったようです。
落成したのは、1599年(慶長4)という記録が残されています。
関ヶ原の合戦後、福島正則が入城し、外堀や外郭の整備を進め広島城を完成させました。
その後、正則は洪水で破損した広島城の修復許可の不備で改易され、代わって和歌山から浅野長晟が転封して以降、明治維新まで浅野家が広島藩主として勤めました。
広島城は、別名鯉城とも言われています。
由来は、この付近が己斐浦にあたり、己斐の音が鯉に転んじたと言われています。

 


広島城裏御門跡


広島大本営跡
1877年(明治10)に広島鎮台司令部として建てられた2階建手の木造洋館。
日清戦争の際には、天皇が戦争を指揮する機関となったが、原爆により倒壊。現在は、基礎の石が残っている。

 

 


天守閣
1945年(昭和20)原爆により、城内の建物は壊滅し、1958年(昭和33)に復元されたものです。

 


天守閣からの眺め。
右側には、原爆ドームや旧広島市民球場のライトスタンドが見えます。

 


二の丸表御門
1989年(平成元)に広島築城400年を記念して復元されたものです。
焼失後も残存した礎石の上に、昔とおりの工法によって往時の姿を蘇らせています。

そして、やっと1日目が終わり、2日目に入ります。

寝台列車で行く広島の旅。━其之八━
へ続く

 

 

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寝台列車で行く広島の旅。━其之六━

2016-10-08 12:25:25 | ┣TRAVEL【中国...

寝台列車で行く広島の旅。━其之伍━からの続き


縮景園
広島藩主初代浅野長晟が広島城入城の翌年1622年(元和6)から別邸の庭として築庭されたもので、作庭者は家老で茶人として知られる上田宗箇です。
これ以後、改修が重ねられ、7代藩主重晟が1773年(天明8)から同8年にかけて京都の庭師清水七郎右衛門を招いて着手した大改修により現在に残る景観、地割になっています。
庭の特徴は、広大な池を中心に造形された池泉回遊式の大名庭園です。

 


濯纓池
この園内の中心にある濯纓池の取水は正面築山の向こう側の京橋川から満潮時に取り込むように造られており、上流からの真水と海水が混ざり合って流れ込むため、、水質は汽水状態です。
このため、コイ、ボラ、スズキ、チヌが一緒にいる池となってイアmす。

清風館
清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋造で、屋根は杮葺です。西側は優雅な書院造りの様式を備えており、東側には花頭窓を設け跨虹橋に臨んでいます。代々の藩主が愛好した名亭です。この建物は、当初は壱之茶屋と呼ばれていましたが、7代藩主重晟の時に文徴明筆の「清風」の額に因んで「清風館」と呼ばれるようになりました。


大銀杏
このイチョウは、原爆投下後の火災から生き残った木の一本です。
樹齢は推定200年以上と言われています。爆風で傾いたため、倒れないようにと梢や枝を切り払っております。

 


迎暉峰
園内最大の築山で富士山を縮景表現したとも言われています。この頂上から広島城下や広島湾、はるか宮島まで望むことができたと言われます。


跨虹橋
濯纓池を中央で南北に結び、二分する形で地上と天上を結ぶ虹のように構築された縮景園を象徴する名橋です。長さ24.88m、幅1.99m、開口部2.54mです。
7代藩主長晟が天明の大改修で清水七郎右衛門に二度も築き直させたと言われる御影石造りの太鼓橋です。堅固で原子爆弾の破壊も免れ芸予地震にも耐えたものです。

まさに縮景園の名にふさわしく、山あり池あり橋ありと色々な景色が見られる庭園でした。
そして、この日最後の目的地広島城に行きます。

寝台列車で行く広島の旅。━其之七━
へ続く

 

 

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